レストランの娘ティナ/ディップダイのワンピース/バニラビーンズのプリン 4
ジルは、ティナとカラッパを連れて屋敷の正門へ向かった。
大きな正門は、屋敷の主人が念じるだけで開けることができる。
扉はジルの念に応え、ごごごご……と重苦しい音を立て開いた。
するとそこには、今にも死にそうなほどに真剣な面持ちの子供がいた。
「あっ!? ティナ!」
「アデリーン!」
ティナが駆け寄ると、アデリーンは背骨を砕かんばかりに抱きついた。
「ごめんティナ! ごめんなさい……! 逃げちゃってごめんなさい……!」
恐らく、無我夢中で逃げてる内にティナと言う子を見捨てたことに気付いたのだろう。
子供たちは、勇気を振り絞って戻ってきたのだろうとジルは気付いた。
ジルは微笑ましい気分で子供たちを眺める。
「くっ、くるし……アデリーン」
「こらこら。苦しがってますよ」
ジルの言葉に、アデリーンがはっとしてティナを離した。
けほけほとティナが咳き込み、アデリーンが背中をなでている。
ティナが落ち着いた頃、ジルはおほんおほんとわざとらしい咳払いをする。
子供たちが全員、緊張した面持ちでジルの言葉を待った。
「勝手に森に入るんじゃありません! 魔物もいるんですよ!」
ジルが大きな声で叱る。
子供たちは、ここで緊張の糸が解けた。
一斉に大きな声で泣き出してしまった。
雨の日のアマガエルのように、ごめんなさいごめんなさいの大合唱だ。
(う……ちょっとやり過ぎてしまいましたね……)
そもそも、ジルが大仰に脅かしすぎたのも原因の一つだ。
罪悪感がちくりとジルの心を刺す。
とはいえ、屋敷に不法侵入などという真似を他の貴族にやったらとんでもないことになる。棒で打たれたり、消えない傷を負わされたりする可能性だって低くはない。ここは心を鬼にして叱らねばと思い、ジルはあえて声を張り上げた。
「良いですか! 今度またこういうことをしたら、町の門番や領主に届けを出して、きっちりと罰を受けてもらいます。二度としません、って誓いなさい!」
「二度としません!」
「ごめんなさーい!」
その後ろで、かちんかちんとカラッパがハサミを鳴らすと子供たちはますます縮み上がった。おいこらわかってんのかガキどもとでも言いたいようだ。
「あなたも後ろで何やってるんですか! 話がややこしくなるから静かにしてなさい!」
「かちん」
「かちんじゃありません。まったく、あなたもお調子者ですね……」
カラッパが申し訳無さそうに身を縮める。
図体の大きな魔物を恐れることなく叱るジルを、子供たちは尊敬の眼差しで見ていた。
「それにしても、女の子なのにやんちゃな子ばかりですねぇ」
よく見れば、ティナ以外の子供たちは泥だらけだ。
顔は涙と鼻水にまみれ、膝小僧はすりむいている。
よほど慌てていたのだろう。
「【治癒】」
ジルは、小さな擦り傷や怪我を治す程度の魔法も使える。
子供たちは驚きで声も出なかった。
「お姉ちゃんて魔法使い? 幽霊じゃないの?」
ティナが素直に尋ねた。
そう言われて、決して悪い気分ではなかった。
幽霊のように自由で気ままな隠遁生活をしているのだ。
むしろ言い得て妙だとさえ思った。
「さあ? もしかしたら本物の幽霊かもしれませんよ?」
◆
「誘惑の森のことは秘密ね」
「うん」
アデリーンがそう言うと、子供たちは解散した。
ティナも自分の家へと急いだ。
今日のことは秘密だ。
それは、アデリーンのグループの秘密を守るという意味だ。
そしてティナにとっては、屋敷の中で経験したことをアデリーンたちには秘密にする……という意味でもある。「友達が勇気を出して屋敷に向かっている間、絶品のプリンと紅茶を楽しんでいました」とは流石にティナも言えなかった。
まさにあそこは誘惑の森だとティナは思った。
恐ろしい森を抜ければ、素敵な服を着た魔女が、すばらしいデザートを作っている。昔の人もあんな風に誘惑されたのだろうかとティナは思う。すでにティナは、自分があの魔女に誘惑されてしまったと思った。町の外に自由に出られるような大人になったら、いつかまた行ってみたいと強く思った。
そんな野望を抱きながらティナは帰宅した。ティナは帰ってきたときはいつもレストランの裏の勝手口から入る。そこは厨房に繋がっており、丁度ティナの兄マルスが営業の準備を終えて暇そうにしていた。
「お兄ちゃん、ただいま」
「ん? ティナか、遅かったな。まさか町の外まで行ったんじゃないだろうな?」
「うっ、うん。行ってないよ!?」
「ホントかぁ? ……ま、危ないところには行くなよ」
マルスがちくりと釘を刺す。だが、森の中まで行ったことは見破られてないだろうとティナは安堵する。もしばれていたら釘を刺すどころでは済まないはずだからだ。
「お、そうだティナ。ちょっと試食してみてくれるか?」
「え、何か作ったの?」
「卵と砂糖が余ってな……そろそろ良いか」
マルスが氷壺の蓋を開けた。
氷壺とは、氷を敷き詰めて中の空間を冷やす壺……つまりは電気を使用しない冷蔵庫だ。レストランや薬師は魔法使いが作った氷を買ったり、あるいは自分で魔法を唱えて氷を作ったりして自分の仕事に活用している。
マルスはその中に保管された、蓋付きの陶器のカップを取り出した。
「これ、もしかして」
「もしかしてもなにも、いつものやつだよ」
ティナの家のレストラン『ロシナンテ』の名物デザート、プリンだ。
「うっ」
「ん? なんだよその顔。美味いぞ、多分」
プリンは、このシェルランドの町発祥のデザートだ。
どこかの料理人が二十年ほど前に発明したらしく、色んな喫茶店やレストランで出されている。その中でもティナの家のレストランのプリンは、町で五本の指に入るほどの人気があった。ティナの父の作るプリンは間違いなく絶品だ。そして兄もまた、暇があるとプリンや様々な料理の練習をしていた。
「そ、そうじゃないよ! 食べて良い?」
「当たり前だろ」
いただきます、とティナは言って口を付けた。
美味しい。
マルスの年齢でここまでちゃんとしたものを作れる人間は、そうはいない。
「……もしかして、不味かったか?」
「う、ううん! そうじゃないよ!」
ティナは、嘘がつけない。
純粋に誤魔化すのが下手だった。
「じゃあ何が不満なんだよ」
「これ、酒精を飛ばしたお酒を使ったよね? 多分……アンズのお酒。あと蜂蜜もかな」
「おお、よくわかったな。で、どうだ?」
「酒精を飛ばしても、ほんのちょっとだけ苦みがある。大人はこういうの好きだと思う。あとちょっとプリンがゆるい。水分が多いからだと思う」
「やっぱり子供は苦手な味か……」
マルスは味覚が渋い。甘いものを作るのが好きな割に、他の子供ほど甘いものに興味は示さない。作りすぎてしまったものをこうしてティナやティナの友達に食べさせることが多く、それもまたマルスがモテる理由の一つだった。
そしてティナの味覚は、マルスよりも大人びていた。単に好みが子供っぽくないという意味ではない。「味が何によって構成されているか」という分析能力と、「自分が好きなものと客が喜びそうなものを切り分けて冷静に批評する」という能力を兼ね備えていた。美食家としての天性の才能があるのだ。
だが、ティナはつい先程、「自分の好み」と「客が喜ぶもの」を同時に満たす最高のプリンと出会っていた。普段ならば兄の作ったデザートにもほぼ満点の評価を出すだろうが、今日に限っては評価が辛口だった。
「酸っぱさが控えめで、甘い香り。果物の匂いで打ち消すんじゃなくて、プリンそのものを邪魔せずにもっと美味しくするような……そういうプリンが良いと思う」
「難しいな」
「でも多分、できると思う」
「なんだ。妙に口調強いな。ならお前はパティシエでも目指せよ」
マルスがからかうと、ティナは恨めしげにマルスを睨む。
ティナも、兄のように厨房で働きたいのだ。
まだ幼いために、親からは火を扱ったり包丁を扱ったりを遠ざけられている。
「おう、修行は結構だがそろそろ営業だぞ」
「ああ、親父」
禿頭で、体格の良い男がにやにやしながら子供たちを眺めていた。
レストラン『ロシナンテ』のオーナーでありティナとマルスの父、ローランだった。
「マルスは夕方まで休んでろ。今日は客にお前の料理を出してもらうからな」
「わかった!」
マルスが威勢よく返事をした。
そして勢いよく店を飛び出していった。
「休めってのは遊べって意味じゃねえんだがなぁ。しかも友達に自慢する気だな、まったく……」
マルスの年齢で厨房に立てる人間は中々いない。
だがマルスは、ローランも認めざるをえない腕前をしていた。
苦笑しつつもローランはマルスの背中を見送る。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん料理上手いし」
「そうだな……ところで、ティナ」
「うん」
ローランは子煩悩な父親で、ティナには特に甘い。
マルスもティナを可愛がっているが、このローランほどではない。
嘘で誤魔化しの下手なティナでも、十分に騙されてくれる。
それがわかっているから、ティナは完全に父に対して油断していた。
「お前……バニラビーンズの入ったプリンなんてどこで食べた?」
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