レストランの娘ティナ/ディップダイのワンピース/バニラビーンズのプリン 3
居眠りしちゃった。
あれ、水汲みの最中だったっけ?
それとも学校?
などとティナは自分の今の状況を振り返ろうとして、どの状況でもないことに気付いた。
なんだかおかしいぞ? という疑問によって半分眠っていた意識が完全に目覚めた。自分が度胸試しでアデリーンと共に誘惑の森に入ったこと、謎の声が聞こえたときに倒れてしまったことなど、ティナは一つ一つ思い出していく。
そしてようやく、「ここはいったいどこ?」という肝心の疑問に至った。
まず、木製のベッドに寝かされている。
ベッドや調度品は豪華で、ティナの親のレストランより遥かに綺麗だ。
窓からは森が見える。
天井には小さな、だが丁寧な細工が施された燭台がある。
こんな豪勢な場所の心当たりなどティナにはなかった。
もしかしたら領主の館よりも綺麗かもしれない。
「ってことは」
ここまで来てようやくティナは正解に辿り着いた。
あるいは、薄々気付きつつも気付きたくなかった正解を直視した。
ここは森の中のお屋敷である、と。
だが、自分が連れてこられて寝ている理由はわからない。助けてくれたと思うのが一番手っ取り早い。だが、確かにあのときティナやアデリーンたちは何者かに叱責された。優しく保護してくれたなどと思うのは絶対にまずい。
「あ、起きましたか?」
がちゃりと扉が開いて声を掛けられた。
ティナは口から心臓が跳びでそうなほどに驚いた。
自分に声を掛ける存在など、森の悪霊以外にないのだ。
「わああー!? ごっ、ごめんなさいごめんなさい! 勝手に入ってごめんなさい!」
だが当然、扉から入ってきたのは悪霊などではなく、影も形もある人間――ジルだった。
「あー落ち着いて落ち着いて。落ち着いたら森の外まで送ってあげますからちょっと休んでなさい」
「え、あ、はい」
ティナは平伏しようとしたが、ジルに優しく制された。
そしてティナはようやくジルの顔と姿を正確に捉えた。
優しそうな顔立ちだと思った。
兄より年上で、親よりは年下だろう。
橙色のストレートの髪と、穏やかな目つき。
学校の先生、と言われたら信じてしまいそうな雰囲気だ。
だが、ジルの着ている服装が、何が何やらまったくわからなかった。
「服……」
「ん? ああ、これ、珍しいですよね」
ジルが恥ずかしげにほくそ笑む。
ティナにとっては「珍しい」なんてものではなかった。
ダイラン魔導王国において、ぱっと見で身分の高さを示すものは何か。
幾つか挙げることはできるが一番わかりやすいのは服。
そして刺繍だ。
貴族が公の場で着るマントやローブには国や都市、そして家を示す紋章が色鮮やかな刺繍で描かれていることが多い。プライベートの服においては花や鳥、神話に出てくる絵画的なワンシーンをマントやローブに刺繍するなど、時間と手間暇をかけて装飾する貴族もいる。あるいは、様々な色糸を使って織った織物で豪華な服を作らせる貴族もいる。
また上着の下のチュニックやシャツに幾何学的な模様を刺繍で描いたり、首周りや袖を綺麗に縁取る刺繍をするなどをして、さりげないお洒落を演出したりする。
一方で、平民の服はシンプルだ。
単色で、袖や首周りがほつれないように縫っているだけの簡素な服が多い。華美な刺繍をすることは、貴族に近い高級商人でもない限りはまずなく、するにしても補修することが目的になる方が遥かに多い。もちろん洒落っ気のある平民もいるが、平民が貴族のような服を着るのは誤解を生むので良いこととはされない。織物の生地や編み物の服を着ることもあるが、当然ながら貴族が使うような華美なものも少ない。
そうした平民がトラブルを避けつつおしゃれを楽しむ方法は色々ある。たとえば服を留める飾り紐や小物に工夫をこらすのも洒落っ気の表れだ。また、厳冬期などはセーターが必需品だ。セーターを編む際に遊び心を凝らすことについてはとやかく言われたりはしない。
あるいは服や布を染める際に「絞り」を使い、水玉模様などを描く者もいる。ただ、ダイラン魔導王国を含めたアルゲネス全体では、そこまで綺麗な絞りをする技術は未発達だった。また美的感覚として、刺繍のようにはっきりくっきりした図案の方が良しとされる。
つまるところ、「染め」でお洒落という発想がこの土地では乏しかった。ジルのように異文化の雑誌や本を目にしない限り、思いつくことはほぼありえない。
「空……」
「うん? なんです?」
「空を着てる。すごく綺麗」
だからティナにとって、目の前のジルを同じ人間とカテゴライズして良いかさえ迷った。こんなにも鮮やかな青で染め抜かれた服など、庶民には中々手に入らない。さらに、染めないことで雲を表現しているなどティナは見たこともなかった。
頭の固い人間にとってジルの格好は「なにこれ?」と非難混じりの疑問が出てきてもおかしくはない。
だがティナはまだ子供であり、常識にとらわれず綺麗なものは綺麗だと言う素直さがあった。
「え、えへへ……。ありがとうございます。いや、その、普通の服に着替える暇なかったもので」
「魔女様なの? それとも妖精?」
「あー、いやー、照れますねー。あ、帰る前にお茶でも飲みますか? デザートもあるんですよ」
照れ笑いをして若干挙動不審な動きをしながら、ジルが茶の用意を始めた。
◆
ジルは、伯父のコンラッドから様々な料理や茶の淹れ方を習った。
コンラッドはこの国の伝統的な宮廷料理に造形が深かっただけではない。どこで習ったのかはわからないが異国の料理も数多く知っていた。幼い頃のジルが由来を教えてくれとせがんでも、コンラッドは決して明確な答えを言わなかった。
だがジルはこの屋敷に来たことで、由来をなんとなく想像できていた。恐らく自分自身と同じなのだろうと。
ともあれ、コンラッドの得意料理の一つにプディング……デザートとしてのプリンがあった。
基本的に鶏卵、生クリーム、砂糖、そして卵臭さを消す香料だけ。ごくごくシンプルなデザートだ。だがそれゆえに基礎的な技術を習得しているかどうかが試されるメニューでもある。
ジルは幼い頃、コンラッドによく作ってもらった。懐かしの味だ。作り方も教わっていた。今回ジルは、「初めてワンピースを作った記念」として自分のためのデザートとお茶を楽しむつもりだった。だが初見で褒めてくれた小さなお客様にも分けてやろうという気分になったのだった。
「え、うそ、美味しい……!?」
「あら、ありがとうございます」
「ええ……? お父さんのより、美味しい……信じられない……?」
「そこまで褒められると照れますね」
ジルの作ったプリンは絶品だ。
料理にうるさいコンラッドも手放しに褒め称えたものだ。
ジルがプリンを作るときに気をつけることは三つある。
一つ目は、生地を混ぜる際に気泡が入らないようにすること。
二つ目、卵液と生クリームを混ぜた生地をよく濾し、なめらかにすること。
最後は、湯煎する際の適切な温度管理だ。
ジルはそのすべてを【液体操作】、【加熱】の魔法で完璧に解決できた。
ついでに言えば、紅茶を淹れるときの最適温度や茶葉のジャンピングなども常にベストの状態を引き出せる。ジルの支度する茶会は、実は王侯貴族さえも中々楽しめない魅惑のひとときでもあった。
ティナが真剣な顔をしてプリンを食べるのを見て、ジルは満足そうに微笑む。
「すごい……甘味も、硬さも、バランスが完璧。酒の香りもしないのに卵の臭みがない。どうなってるの?」
「ああ、香料は普通に手に入らないと思いますよ。レア物なので。私も偶然手に入れました」
「それは……秘密、ですよね?」
「あなた、なんだか聞き方がプロっぽいですね?」
「あっ、す、すみません……。親がレストランやってて」
「じゃあ未来のプロに褒められたんですかね」
ジルが微笑むと、ティナもはにかむように笑った。さっきまでの狼狽はどこへ行ったのやら、ティナは完全にリラックスしているように見えた。
(落ち着いてくれて良かった)
そんな風に安心した頃、大きな声が聞こえてきた。
「魔女さまー! ごめんなさーい!」
「ティナを返してくださーい!」
それはもはや呼び声というより、嗚咽や泣き声だった。
何人もの子供がおいおいと泣きながら、ティナの名前を叫んでいる。
ジルは、自分が生け贄を求める悪い竜か魔王にでもなったかのような気分だった。
ちびっ子勇者はまったくもって勇敢だと感心さえした。
「お友達?」
「……はい」
ティナが顔を真っ赤にして、ジルの問いかけに頷いた。
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