追放
※今日と明日でプロローグの7話まで投稿します
第一王女ジルの、十七歳の誕生日。
祝福に満ちるはずの日は、その母――王妃バザルデの溜め息から始まった。
「一ヶ月ぶりですね、ジル」
「はい。お母様もご機嫌麗しゅう」
王女ジルは、溜め息どころか涙と嗚咽を漏らしたいとさえ思っていた。
ジルは、燃え盛るように赤みがかった橙色の毛、そして彫像のように美しい顔立ちという母と同じ特徴を持ちながらも、細やかな表情や身にまとう雰囲気はまるで似ていなかった。
バザルデは猛々しさと高慢に溢れた瞳をしているが、ジルは小動物のように怯えて、伏し目がちだ。見知らぬ者が見れば、親子と思う者は少なかった。
「麗しいように見えるかしら」
それを知ってか知らずか、バザルデはまるで他人と接するような皮肉を呟く。
今ジルが呼び出されている場所は、ダイラン魔導王国の王城、謁見の間だ。
玉座にはジルの父、アラン国王が座り、その隣に王妃バザルデが座っていた。
娘を迎えるような温かい部屋ではない。
ここでの王や王妃の言葉は、私的なものではないからだ。
言葉は記録され、王の言葉を遂行するべく側近が動く。
祝宴を開く場所ではなく、政治を執り行う場所だ。
誰かを歓待する場所ではなく、処遇を決める場所だ。
「……魔法の腕は上がりましたか」
「いえ、修行は怠ってはいないのですが」
「新たな魔法を覚えたと聞いたのだけれど」
「【発熱】の魔法の延長です。【乾燥】と名付けました」
くすくすと忍び笑いが漏れる。
厳かな謁見の間でそれを止める者はいない。
それがジルの立ち位置だった。
嘲笑される者、王室に席を置きながら恥をかく者。
「ジル。それをどう使うつもりですか」
バザルデが問う。
その研ぎ澄まされた声を聞き、誰もが口をつぐんだ。
忍び笑いどころか呼吸さえも止まるような重い沈黙が場に降りる。
「答えよ」
ジルには、答えようがなかった。
母がなぜそんなことを追求するのか理由がわからず、意図を掴み損ねた。
普段であればつまらぬと言って切り捨てられるだけの話だからだ。
「……何かと便利かと思いまして」
ジルの苦し紛れの答えに、バザルデは不快を示した。
「日々の暮らしを便利にするなど、魔法使いがやるべきことではない。平民ならまだしも、この国の王の血を持つ者ならばそんなつまらぬことに魔法を使うのは浪費です」
「……はい」
ジルの得意とするものは、裁縫や料理だ。
だがそれはバザルデにとっては取るに足らないものであり、いっそ不快でさえあったのだろう。ジルはせめて自分の特技と魔法を結びつけられないかと考案した魔法が幾つかあるが、逆効果だったことを痛感していた。
「何故そのようなくだらぬことに魔法を使うのです」
「わずかなりとも、お役に立ちたく」
「役に立つ? そなたは勘違いをしている」
がぁん、とバザルデの持つ杖が床を叩いた。
王以外のすべての人間に戦慄が走った。
バザルデの逆鱗に触れればただではすまない。
「ダイラン王家の血を持つ者ならば、役に立てるために魔法を使うのではない。君臨し、跪かせるために魔法を使いこなす……いや、魔法を支配するのです」
「はい」
「ジルよ」
バザルデが鈴を鳴らす。
その合図と共に、大きな鎧兜が持ち込まれた。
「我が二つ名にして最強の魔法、【灼光】をあなたに教えましたね。その成果を見せなさい」
灼光の魔女。
それが王妃バザルデの二つ名だ。
あるいは護国の鬼とも恐れられている。
どちらも由来は一つだ。
そう形容しなければ表現できないほどに恐ろしい存在だからだ。
「……【灼光】」
そのバザルデがもっとも得意とする魔法を、ジルが唱えた。
まっすぐ伸ばしたジルの指先から、糸よりも細い一条の光が鎧を照らす。
そう、照らしただけ。
当たった場所が明るく熱を帯びるが、それ以上のことはない。
最強の魔女の娘の実力とはとても言いがたい。
努力を重ねても、魔法を生半可に囓った平民とさして変わらない。
「愚か者! 【灼光】とはこうです!」
バザルデが怒りの声とともに指先から光を放った。
その瞬間、一条の光が鎧を貫き、その後ろの謁見の間の壁を穿った。
大鎧は縦に真っ二つに割れ、壁に風穴が開く。
そして避け損ねた兵士が左腕を落とした。
あまりに大きすぎる熱によって血さえ流れない。
傷口が炭と化したのだ。
その場にいる誰もがバザルデの魔法に戦慄した。
「バザルデ、落ち着くが良い。……【復元】」
その王の一声で、兵士の腕がすぐに体にくっつき、傷がみるみる内に治った。
王アランは、治癒と防御において誰にも負けない技量を持っていた。
「申し訳ございません、王」
バザルデが王アランに詫び、そして再びジルを冷めた目で見つめた。
「ジルよ……そなたには無理難題でしたか」
はい。
私にはできません。
人を殺すことも、人を殺すような魔法を使いこなすことも。
覚悟も能力もありません。
その内心を、ジルは口から出せなかった。
一方でバザルデは、そのどちらも兼ね備えていた。
誰よりも強く、恐ろしい。この人から見れば私はあまりにも不出来で、取るに足らない者なのだろう――ジルはそんな劣等感と悲しみを、常々感じていた。
「……まあ、そのあたりで良かろう」
「王よ、しかし……」
「この子に魔法は使えぬ。もはや魚に陸で息をせよ、犬猫に空を飛べと言うに等しい。もう良いではないか」
「まあ……」
バザルデは、悲嘆にくれるような素振りを見せる。
だがそれは演技だ。
周囲は誤魔化せても、ジルは誤魔化されなかった。
母が自分を試すような物言いも、これが理由だったかと納得する。
「跡継ぎは……そなたの姪、エリンナが良かろう。王家の血も濃い。問題はあるまい」
この言葉に、謁見の間はどよめいた。
バザルデとアランの間に男児はいない。王位継承権や血の濃さから言えば、ジルこそが筆頭であった。だが現在のダイラン魔導王国においては、誰が先に生まれたかだけでは片付けられない問題があった。
それは、魔法の力だ。
バザルデの魔法は随一のものであった。一騎当千の勇者であろうが伝説の竜であろうが、区別なく焼き尽くす。そしてアランの魔法はあらゆる傷と病を治すことができる。そのため兵から絶大な信頼を得ており、未熟者の新兵さえも蛮族の戦士のごとく果敢に戦う。ダイラン魔導王国はこの二人の恐るべき魔法によってこのアルゲネス全土の覇権を握っていた。
三十年ほど前まではそのような大きな国ではなく、朴訥としながらも知性と平和を愛する小国であった。だが先代の王が強硬な軍国路線を敷き、風土が変わった。多くの国々と戦争状態へ突入した。
そしてアランは多くの周辺国に勝利し、支配していった。先々代の王の時代は惰弱と侮られたダイラン魔導王国は、たった二世代で誰もが恐れる強国となった。もはや、覇権を握り続けるための力を持たない者を王に据えることなどできない。
「では、ジルの縁談は……?」
「オルクス占星国は、次の王の相手であれば誰でも差し出すであろうよ。エリンナに婿を取らせよう」
オルクス占星国とは、ダイランにもっとも近い属国である。
古来から和平と裏切りと戦争を繰り返した縁の深い土地であり、現代ではどちらの王族にもお互いの血が流れている。オルクスの王族と結婚するということは、自国の王族の血を濃くする意味合いもあった。
「まあ……」
バザルデが密かにほくそ笑む。
それこそがバザルデの願いであった。
魔法の才能のない不出来な娘よりも、自分の血族を、中でも才能ある者を愛する。
特にエリンナはバザルデのお気に入りの家族であり、そして弟子であった。
「ジル。そなたはもはや王女ではない。ここから去るが良い」
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