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(旧)銃を手に  作者: 東雲飛鶴
四章 イージス
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【3・裏目】彼女が壊れたら俺のせいだ

「うん、そう、無事転院済んだんだね。良かった……」

『すごく眺めのいいとこだね、ここ。海が見える』

「空気もいいし、今度俺が日本に帰ったら、一緒に砂浜を散歩しようね」

『うん。早く帰ってきて……』

「あ、ごめん、用事出来ちゃった。またかける」

『あ、』プツ。


 指揮所脇のテントの影で麗と電話をしていた神崎は、人の気配を感じて通話を切った。麗が何かを言いかけていたのが気になったが、後で聞いておけばいいだろう。

 休暇前の気楽な生活が、麗との安らかな日々が、とても遠くに感じる。


 今の神崎は、どこにいても衆人環視の中にいる。周囲はうっとおしいほど人だらけだ。

 少し前までは、涼しいオフィスでごろごろしていたのに、今では暑苦しいテントや、むさ苦しい男まみれの司令室で、四六時中だれかと話したり指示をしたりする日々だ。


 身ひとつ、待つ人もなかった頃であれば、気にとめることもなかった。

 しかし今は、自分を待っている女がいる。


 こっちは百五十年も待っていたのに、なんで今ごろになって待たせる側になっちゃったんだ? と、腹立たしいこと甚だしい。

 いとしの麗ちゃんに、電話ひとつ満足に出来ないこの状態が、とてつもなく不愉快で不愉快で、頭がおかしくなりそうでたまらなかった。


「ちっきしょ~~~~ッ、あんのクソ甥め。そのうちボッコボコにしてやる」


 自分は総司令官なのだから仕方がない。神崎怜央の弟だから仕方がない。社員のためだから仕方がない。会社のためだから(以下略)。

 仕方ないのは分かっているが、これでは昼寝はおろか、ラブコールですらまともに出来ない。しかし現状はあくまでも非常時、この危機的状況を立て直すまでは……。と思えば思うほど、今度は自分のメンタルが危機的状況になりそうだ。自分がこれでは、本当に誰も救えなくなってしまう。

(ごめん……これ以上君の事を考えていたら、仕事にならないや……)

 神崎は、麗への想いを追い払うように、頭を左右に振って指揮所司令室に戻った。



 前日から、国境周辺での攻撃が活発化しており、現状では消耗戦の様相を呈している。先だって神崎が調達をした武器弾薬は切れ目なく届いてはいるが、それを運用するための人員や車両などが目下不足している。負傷者が出れば、それだけ戦力も削がれる。ジリ貧なことは間違いない。


 国軍は、新司令官のおかげで一人たりとも兵を出す様子はなかった。せめて、今あるだけの戦力でもいいから出してくれれば、と誰もが呪わずにはいられなかった。

 せめて、増員が到着するまでは踏ん張らなければ。


 ちらほらと各国から招聘した武装社員が集まってはいるが、間引かれた側の部隊にだって都合はある。元々ムリに間引いているのだから、多少時間がかかるのは仕方がない。

 皆、文句も言わず神崎の指示に従っている。それが彼にとっては心苦しかった。


 こんな稼業だから、誰もが不本意な事も理不尽な事も、覚悟の上で契約し、仕事をしている。だが、今回の事態は、契約よりも会社の都合が優先されているのだ。一応、帰りたい者を募りはしたが、誰一人として立ち去る者はいなかった。


「神崎司令、内部的な不満がかなり噴出しています。このままでは士気が維持出来ません。なんとか国軍の支援は得られないのでしょうか」

 現在、有能な副官として仕事をこなしているレイコが、報告にやってきた。

「え――、そうなの? みんな会社のために頑張ってくれてると思ってたのにー」

「そんなこと考えてるの神崎さんだけですよ。お金のために決まってるじゃないですか」

「そうなん? うーん……、マジで?」

「マジです」きっぱりとレイコは言った。

「そんなにこの仕事ってギャラ良かったっけ?」

「一応面倒な案件ですし、会長のメンツもかかっていますから、割り増しされてますよ」


 どうやら、なんとかいっていると思ったのは、神崎の勘違いだったようだ。

(やっぱり麗のことで、判断力がひどく鈍っているようだな……空気も読めないなんて)


「そらそうだよな……会社の都合に付き合ってもらってんだからな。創業者一族としては、ひどく申し訳ないと思ってるんだよ? これでも」

 しばし思案をする。――これしかないか。

「よし、単純な方法だか……向こう一ヶ月間の、ギャラの五十%アップを周知しろ」

「了解しました」

 これで多少はがんばってくれるといいのだが。こちらとて、ムダ死にさせたいと思っているわけじゃないんだ。でも、もう少しだけ……。


 雇用環境の改善を要求するストライキを未然に防いだ翌日、指揮所のある空港では、支社の輸送機やチャーターした民間機がピストン輸送を行っていた。情勢悪化のため、国内にいる非武装社員たちは、一旦国外に身を置くことになったからだ。

 こんな時ですら、日本政府は専用機を仕立てたり、といった援助もなく、全く手を貸してくれる気配すらない。よほど世間体や下らないメンツとやらが気になるようだ。


 政府のために犠牲になっている日本人技術者がこんなにいるのに、連中には同胞を救いたい、という気持ちそのものが欠落しているのだろう。

 国防大臣に対して、神崎が何度も支援の申し入れをしているが、自国の危機のはずなのに、お前達がどうにかしろ、治安維持を委託する契約をしたろう、の一点張りで聞く耳を持たない。恐らく彼も大統領の甥御同様に、PMCなど使い捨てに出来る駒くらいにしか思っていないのだ。

(ほんの数日、手を貸してくれるだけでいいのに……)

 自分たちを取り巻く理不尽さに、神崎の苛立ちが募る。



 二日経って、ようやくまとまった増援と追加の車両が到着した。目下指揮所周辺には、次々と増援部隊を収容するためのテントが建てられている。

 増援の連中は皆、会社の一大事と聞いて最初からかなり気合いが入っていた。誰もが神崎と共に戦ったことのある、歴戦の勇士揃いだ。

 急ごしらえのかきあつめ部隊だったが、今回の作戦が神崎の勅命であり、指揮を執るのが神崎自身と聞いて「祭の前夜」のように、増援部隊は皆一様にテンションが高かった。

 だが逆に、神崎自身のテンションは激しく下降しており、心身ともに疲弊していた。


「レイコ、ちょっと休ませてもらうよ……」

「はい。お疲れ様です、神崎司令」


 司令室のモニターに二十時間ほども貼り付いていた神崎は、やっと到着した増援第一団の配置作業を終え、軽い頭痛を感じながら自室に逃げ込んだ。

 全ての作業を自分一人で行うのは負担が大きかったが、非常にシビアでタイトな状況ゆえに、他人にこの組木細工のような緻密な作業を手伝わせることが出来なかったのだ。

 強いストレスに苛まされていた彼は、自室のベッドに倒れ込むと深い眠りについた。


 ――ふと、携帯の着信音で目が覚めた。

 手を伸ばして取ろうとして、もう少しで届くところで切れてしまった。携帯の時間を見ると、部屋に来てから数時間が経過していた。

「ん……。麗かな……」

 ねぼけまなこで着信履歴を見てみる。

 ――え……?

 ――履歴が……二百回を超えてる……?

(あ! 話の途中で切ってから、もう四日も経ってるのか! うっかりしてた……)


 神崎はここ数日、携帯を自室の充電器に差しっぱなしにしていたのだ。

 麗への連絡も外では他人の目もあるので、自室で電話をしようと思っていたのだが、いつも疲れ果ててベッドに倒れ込むと即寝てしまう。それの繰り返しだった。


(やばいなぁ……すんごい怒ってるかも……)


 早速、こわごわ麗の携帯に電話をかけてみると、ワンコールで繋がった。

「あ、麗? ごめん……ずっとかけられなくて」

『神崎さん、麗の母親です。よかった、やっと連絡取れて……』

「え、お母さんですか? ……あの、何かあったんですか?」

 塩野義夫人の悲壮な声が、良からぬ事態を予感させた。

『麗の容態が、急変したんです……』

 ――なん……だって?


 母親の話によれば、一昨日、麗の容態が悪化して、現在ICUで治療を受けている。

 これ以上状況が悪化した場合を考え、手術の用意もしているらしい。

 転院させたことで、神崎はすっかり油断していた。麗はもう大丈夫なのだと。転院直後の精密検査では、急変するような兆候も見られなかったからだ。


 ――そばにいてやりたい……。


 麗のために急ぎ日本に帰りたいが、全く身動きが取れない状態に神崎は歯噛みした。



 母親との電話を切った後、メールの着信を調べてみた。

 ずらりと並んだ未読のメール。日に日に、呪詛の言葉に変わっていく件名――。

「俺は……なんてことをしてしまったんだ……」

 忙しさにかまけて、麗をほったらかしにしていたことを激しく後悔した。

 彼はしばらくベッドの上で嗚咽を漏らしていたが、気を取り直して、麗からのメールを一件一件開いていった。

 そこには、日に日に心細さが募っていく様が、生々しく綴られていた。



     ☆ ☆ ☆



   本当に私の病気は、新しい病院で治るのかな……


   もしかしたら、このまま再び会えずに死んでしまうのかな……


   新しい病院に来たのに、どんどん胸が苦しくなっていく……


   私は見捨てられたのかな……


   助けて……


   助けて助けて助けて


   どうして貴方はいないの? どうして私のそばにいないの?


   どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?


   助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて



     ☆ ☆ ☆



 最後のメールを見た後、神崎は携帯を床に落としてしまった。

 液晶画面いっぱいに、麗からのSOS、いや呪詛の声が綴られていたのだ。


 希望を与えた分だけ、麗の心の闇もまた濃くなり、それが体をも蝕んでしまった。

 きっとそうだ、そうにちがいない。彼女が倒れたのは、自分のせいだ。


 このまま彼女が死んでしまったら、自分を許せない――――。

 何もかもが裏目に出てしまった――。

 神崎は、ボロボロだった。


 今の自分、神としての力をほとんど失った自分には、何もしてやることが出来ない。

 やり場のない無力感が体の中で暴れ回り、彼の心をズタズタに引き裂いていく。

 どれだけ修羅場をくぐろうと、どれほど長く生きようと、そんなことは関係なかった。恋人が己のために苦しんでいる、その現実は、いとも容易く彼の心を打ち砕いた。



 麗からのメールで魂の抜けた神崎は、ふらふらと部屋を出た。

 虚ろな目で、廊下の窓から外を見ると、うっすらと夜が明けかかっていた。

 上半身はTシャツ一枚で少し肌寒い。外は、たまに偵察の車が出入りする程度で、航空機の発着もなく静かだった。

 途中彼は廊下で二人ほどの社員とすれ違った。挨拶をされたような気はしたが、どろりとした思考で「えっと……」と思っているうちに、相手は通り過ぎていった。


 神崎はそのまま夢遊病患者のように、おぼつかない足取りで司令室にやって来た。

 ドアを開けると、一斉に彼に視線が集まり挨拶が飛んで来た。室内にはレイコとグレッグ、そして数人のオペレーターがいるのみ。OA機器や人の体温で内部は生暖かかった。


「グレッグ。俺、日本帰りたい。……どうしたらいい?」

 神崎は俯いたまま、ハンバーガーをむさぼり食っているグレッグに訊ねた。

「まるでゾンビのようだな。何があったんだ?」

「………………彼女が、死にそうなんだ。俺のせいで」


 神崎がボソボソと小声で言ったので、グレッグは聞き取れなかった。

 グレッグは破顔して、彼の頭をごしゃごしゃとなでてやった。そして、筋肉だらけの腕で、彼をぎゅっと抱き締めた。彼が落ち込むと、こうして慰めてやるのが倣いだった。

 どうしても淋しさに耐えられなくなる夜が、神崎には時折あったからだ。


「ボーイ、また落ち込んでるのか? 仕方ない奴だな。パパが慰めてやる」

「……いつものとは、違うんだ。淋しいからじゃない。ホントに、死にそうなんだ」

「どういうことだ?」


 グレッグは彼を腕の中から解放すると、肩を掴んで顔を覗き込んだ。

 神崎は視線を床に落とし、ぽつぽつと事情を説明しはじめた。


 レイコの淹れた珈琲で少し落ち着いた彼は、自分がひどく取り乱していたことを恥じていた。過去何度か彼の副官を務めたことのあるレイコも、ここまで落ち込んでいる彼を見るのは初めてで、相当なショックだったのだろう、と思った。無論レイコもグレッグ同様、「神崎を慰める係」を担当した経験がある。


「見つかったんですか、白猫さん」

 レイコが驚いている。絶望的だと思っていたからだ。

「ああ……なのに、こんな事になるなんて……」

 マグカップを両手で包み、沈痛な面持ちで神崎は答えた。

「カンタンだろ? ちょっかい出してる連中を蹴散らして、首謀者とっ捕まえればいい」

 グレッグは食いかけのハンバーガーを食べながら言った。

「カンタンなわけあるか。毎日必死でやりくりしてるというのに。この脳筋め」

「憎まれ口を叩けるくらいには立ち直ったかい? ボーイ」

「おかげさんで」と言って、神崎は鼻で笑ってみせた。


 ――ん? 神崎は何かに気が付いた。焦りのために気付けなかった事だ。彼はマグカップをレイコに渡し、自分のデスクの上の書類を手に取り、食い入るように見た。


「ふーーむ…………」神崎はしばらく思案した。

 何かを思いついたのか、急に彼の顔に生気がもどって来た。「……なるほどね」

「蹴散らしたら、帰ってもいいかな?」

「いいんじゃねぇか? また虫が沸いたら帰ってくりゃいいだろ。それまでは、俺らが面倒を見る」グレッグはハンバーガーの包みを取り、「食うか?」と神崎に差し出した。

「いや結構」とハンバーガーのお裾分けを丁重に断ると「レイコさん、増援第二陣は?」

「間もなく到着です」

「よし……、今すぐ蹴散らしてやる……」

 神崎の顔は、知将のそれに戻っていた。

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