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夜の二十二時

 偶然と言うこともあるだろう。白いビニール傘なんて、何処にでも売ってある。同じタイプの傘が学校に大量に持ち込まれていても不思議ではない。


 だが、僕が毎回居残りをする羽目になった時に、玄関の横の柱に白い傘がいつも置いてあるのは、果たして偶然と言えるだろうか。今日も今日とて立てかけられてある白い傘を横目で見ながら、僕は玄関で薄気味悪いものを感じていた。もう既に、家には同じ傘が五本はある。最初の方こそ遠慮なく使わせてもらっていたが、最近では流石にもう白い傘には手を出さないようにしていた。


自分用に透明のビニール傘を買い、それを毎日、雨が降っていない日でも学校に持ってきていた。友達にはからかわれたが、まさか「何だかよく分からないけど白い傘に狙われているから」と言うわけにもいかない。僕は言いようもない寒気にブルッと身を震わせ、置いてある白い傘から逃げるようにして雨の中を家路へと急いだ。


 それにしても、梅雨でもないのにこう雨の日が続くというのも珍しかった。雨は嫌いだ。古傷が痛むという表現があるが、僕もそうだった。もっとも僕の場合は外傷ではなく、記憶のほう-…。


≪lalala…♪≫


 何処からともなく歌声が聞こえてきて、僕は思わず立ち止まった。間違いない。あの歌声だ。心臓が急に跳ね上がった。あの日以来、こうして帰宅していると、偶に歌声が聞こえてくるようになっていた。僕は慌てて辺りを見渡した。やっぱり今回も、周りに人影はない。だけど今日は、坂道じゃない。僕が今いるのは、前回の森の中とはまた別の、三百メートルくらい離れた車道だった。曲がりくねったカーブが続くこの道には、今も数台の車がヘッドライトを付けて通り過ぎていく。タイヤで撥ねた水溜りが目の前で飛沫を上げる中、僕は首を捻った。


 毎回毎回、違う場所であの歌声は聞こえてくる。だがどちらにしろ、辺りに誰かが潜んでいるとは思えなかった。共通しているのは、僕が居残りをして遅い時間帯に一人で帰っている時だということ。一体誰が何の為に、歌を歌っているのだろうか。


 しばらく美しい歌声に耳を澄ませ、僕は諦めて歩き出した。分からないことをいくら考えても仕方がない。数学と一緒だ。


≪…la……lalalala…♪…≫


 もうお馴染みになった歌声に、僕はしばらく身を委ねてゆったりと歩いていた。いつからだろうか、最初は傘と同じように薄気味悪かったこの歌声も、いつの間にか僕は心待ちにするようになっていた。この歌声を耳にするたびに、僕は胸の奥がきゅうっと締め付けられるような切なさを覚えた。幼いころ、どこかで聞いたことがあるような、そんな懐かしい切なさ。実際、歌声が聞こえない日は、わざと人通りの少ない道を選んだりもしたほどだ。


 しばらく僕の後をついてきた歌声も、雨が上がるころにはいつの間にか聞こえなくなっていた。僕は怪訝に思いながらも、ビニール傘をたたもうとして、はたと手を止めた。


 傘。


 そう、傘だ。共通していることが、もうひとつあった。雨が降っている間、あの歌声が聞こえる。思えば晴れの日に、あの歌声を聞いたことがない。


 もしかしたら、歌声は傘と関係しているのかも知れない。僕は空を見上げた。雨雲が残る夜空は、風の動きに合わせて目まぐるしく蠢いていた。僕は暗闇の中でスマホを取り出し天気予報を確認した。明日も、予定では雨になっている。ということは明日も、あの歌声が聞こえてくる可能性は高い。僕が顔をしかめていると、突然、スマホのアラームが鳴って、二十二時を告げた。不味い。門限を守らないと、親にこっぴどく叱られてしまう。僕は慌てて家に帰った。


 翌日。生憎風邪を引いてしまった僕は、頭痛を堪えながら学校に行った。休むことも考えたが、天気予報では、先週末から続いていた雨も今日でひと段落するらしい。今夜を逃せば、次に雨が降るのは随分先のことになるかも知れなかった。


 あの歌声は、雨と関係があるんじゃないだろうか。だとしたら、あの不思議な白い傘も、歌声の持ち主と同じ人物がやっているのかも知れない。どんな理由があるのか分からないが、僕に歌声を聞かせたくて、こっそり傘を用意しているのかも知れなかった。これまでの経験上、夜雨の中傘を開けば、あの歌声が聞こえてくる。もしかしたらあの傘にはラジオのアンテナのようなものが仕込まれていて、それで遠くから歌を流しているのかもしれない。だとすれば、雑音めいた歌声にも説明がつく。


 僕はどうしても確かめたかった。一体誰が、何の為にこんなことをやっているのか。何故だか分からないが、あの歌声を最初に聞いたときから、僕の頭の片隅で常にあの音楽が鳴っていた。




 時が経つに連れだんだんと酷くなっていく頭痛を無視し、僕は放課後になるとわざと教室に残り課題をやっている振りをした。このごろでは毎日のように居残りしていたから、クラスメイトは誰も僕が帰らないのを不思議に思わなかった。

 

 やがて日が沈み、窓の外が黒く染まったころ、教室はいつものように僕一人になった。僕は窓の外を見上げた。小粒の雨が透明なガラスを濡らし、蛍光灯の光を反射してキラキラと光っている。頃合だ。僕は黙って席を立った。


 自然と胸が高鳴っていくのを感じつつ、僕は暗い廊下を小走りに進んだ。正面玄関にたどり着くと、僕は急いで右側の壁を確認した。



 …あった。


 例の傘だ。今日もまた、いつもと同じように右側の壁に立てかけられている。心臓が奇妙に飛び跳ね、僕は思わず生唾を飲み込んだ。半ば緊張しながら、ゆっくりと白い傘に手を伸ばす。


 恐る恐る傘を広げ、その中で僕はじっと耳を澄ませた。


 

 《………♪…》


      《…………la…》



 聞こえる。雑音交じりで分かりにくいが、微かにあの歌声が聞こえてくる。仮説は正しかった。やっぱりあの歌声は、この傘が受信機になっている。雨が上がる前にこの音がするほうに行けば、歌声の主に会えるかもしれない。僕は空を見上げ睨んだ。雨足はそれほど強くない。時間はあまり残されていないだろう。何とかこの歌声の謎を知りたくて、気がつくと僕は暗闇の中へと駆け出していた。

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