#001 - 10回目、あいさつ、道路標識
お題:10回目、あいさつ、道路標識
ジャンル指定:なし
生徒同士の会話によってガヤガヤとざわめく教室、その話題の中心は今日行われる召喚術の授業についてだ。
「掲示板に出てたけど、今日は戦闘実習もやるんだってさ。外部から講師を招くから予定変更だって」
「マジか、俺、まだこの間の怪我がトラウマなんだよなぁ……どうしよう、保健室に逃げるかな」
「逃げても補講でやらされるよ? それだったら皆で受けるほうがまだマシだと私は思うなぁ」
「外部講師って誰だろう? わざわざ呼ぶぐらいなんだから、きっとすごい先生なんだろうし、今日の授業は期待できるね」
不安、困惑、期待。様々な感情が混じりあった空気で教室内は浮ついていた。
基本的な実習と、必要な座学を済ませてはいるとは言え、私を含めて未だ全員が素人の域を出ていないのだ。
数度の経験は重ねているとは言え、実際に戦闘行為を行う事を思い返すと、心の奥底から冷たい恐怖がジンワリと滲み出てくる。
だが、それと同時に積み重ねてきたことを試したいと言う熱い感情も、ふつふつと湧いてくる。
そんな矛盾した感情を持て余しつつも、戦闘関連の教科書を読み直したり、思いついたことをメモして時間を潰していると、ガチャリと言う音を立てて教室のドアが開かれた。
(今日だけの外部講師だって言うけど、一体どんな――)
教室に入ってきたその人物に、教室全体が水を打ったように静まり返った。
“挨拶第一”とでかでかとプリントされた少々サイズの合っていないTシャツを着ている。
これはまだ問題ないだろう。近接戦闘の教師なども似たような格好で来ることもあるのだ。まぁ、授業を行う服装であるかは甚だ疑問ではあるが、たとえそれが隆起する筋肉を見せつけるようなサイズのTシャツだとしても、特に問題は無い。
足早に教卓に移動し教室全体を一瞥した彼は、黒板に今日の授業内容である、“召喚術 特殊召喚 無機物召喚の実践 及び 戦闘実習”と無言で書いている。
これも問題は無い。予定が変更されたとは言え、事前にアナウンスがあった授業の表題の通りだ。
ドスンと、かなりの重量であることを示す音を立てて、彼がその手に持ってきた物を置いた。
彼の隣には、道路標識が置かれている。
これは問題だろう。道路標識は文字通り道路の標識だ。教室に持ってくるものでもなければ、勝手に移動させていいものでもない。
そもそも――、そもそもだ。
私を含めてクラスの殆どが無機物召喚と聞いて思い浮かべるのはゴーレム、土の人形だ。と言うか、それ以外に知らない。
座学で習ったのも簡易なゴーレムの作成方法や召喚準備としての保管方法、基本的な実習では実際にゴーレムを召喚して操作もしている。
断じて、道路標識など必要では無いはずだ。
「――さて、そう言う訳で諸君にはこれから郊外実習用の準備をしてもらう。時間は有限だ早速準備に取り掛かるように」
呆けている内に、移動の時間になったようだ。クラスメイトも次々に席を立って準備にとりかかっている。
そう言えば彼の隣にあった標識はいつの間にか消えていた、やはりあれは召喚術で呼び出したものなのだろうか。
▼◆▼
「それでは、これより実習に入る」
私達が連れてこられたのは、魔獣が生息する校外にある戦闘実習用の土地だ。学校の敷地だが、元々魔物の巣食う領域で資源もそれなり規模もそれなり地形も豊富と言うことで、次代育成の名目で残されている土地だと聞いている。
平原区画と名付けられたこの場所も、戦闘系の学科の実習ではよく使われる場所であり、私達も何度かここで戦闘実習を行っていた。
「まず、手本を見せるから良く見ておくように」
彼はそういうと、ポケットから徐に笛を取り出して鳴らした。
低い音から高い音まで妙な具合に混じりあった音が、平原区画に響き渡る。
あれは魔獣を呼び寄せる笛で、こういった戦闘用の授業では広域殲滅の実習で使われることもあると、別の教師から教えてもらったことを思い出した。
つまり、彼はこれから広域殲滅の手本を見せるのだろう、外部講師が自身の実力を見せるためにそういった事を行うという事もよく聞く話だった。
少なくとも私達は、その時まではそう考えていた。
だが。
「止まれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい!!」
怒号と共に横なぎに振るわれる“止まれ”の標識。
背中の筋肉ははち切れんばかりに隆起しており、振り切られた標識はその迫力に違わず舞い上がった土煙すら切り裂いていた。
彼は突進してくる魔獣を物ともせずに、その手に持った標識で真っ二つに切り裂いたのだ。
進行を一時停止させるどころか、生命を永遠に停止させるとか常識はどこにいった。
悪夢はまだまだ続いている。
先陣を切った個体が屠られた事を皮切りに、遠巻きに見ていた残りの魔獣が、こちらへ向かって押し寄せてきたのだ。
既に群れの全貌はその移動による土煙で見えなくなるほどで、私達は雲霞の如く押し寄せる圧倒的な物量に心が圧し折られそうになっていた。
「ふむ、ちと数が多いな、呼びすぎたか」
事も無げにつぶやく彼の両手に、召喚のための陣が浮かび上がる。
(あぁ、やっぱりあの人が使っているのは召喚術だったんだなぁ……)
私は現実から逃げるように、そんな益体もない事を考えていた。
そこから現れたのは、右手に徐行の標識、左手に追い越し禁止の標識。よく街で見かける道路標識だった。
「フンッ!」
槍術の教本に乗りそうなほど綺麗な投擲フォームを取ったかと思うと、気合一閃。
その逞しい腕が掻き消えると、群れとなってこちらへ向かってくる魔獣へ召喚した道路標識を投擲した。
「フンッハッ!」
次々と召喚されては投擲される道路標識。それも一本ずつではなく、数本をまとめて投擲していく。
轟音と共に魔獣の群れへ次々と着弾するそれは、都合十回目の投擲を終える頃には、確かに群れを徐行させ、その乱立する標識で追い越すことすら不可能になっていた。
それでも止まらずに、彼はさらに、追加で召喚を行う。
「ここは一方通行で、Uターン禁止だッ!」
束になって召喚される一方通行とUターン禁止の道路標識を次々と投擲し、道路標識の壁を作り出して魔獣の群れの進行方向をさらに調節した。
「よしよし、これで授業が出来るな! さて、これから諸君らにはこの召喚を学んでもらう。まず最初は――」
あんなの出来るか――。
クラスが一丸となって心を一つにした記念すべき瞬間だった。
▼◆▼
結論から言おう。
道路標識は、正しく道路標識だった。
何を言っているのかわからないと思うが、端的に言うならばそうだったのだ。
あれは魔道具を具現化する召喚術の一種で、道路標識一つ一つがそこにある意味を遵守させるように精神に作用する魔道具だった。
精神に作用するとは言うものの、精神操作する禁術のような物ではなく、なんとなくそうしなければならないと言う気分になる程度のもので、さらに一つでは効果が薄いために大量の魔道具が必要になるとの事だ。
それを補うために、道路標識というどこにでもあり簡単な構造のものを具現化すると言う手法を取っているらしい。意外なことに術者の負担は少なく、かなりのローコストで効果を出すことの出来る優秀な術だった。
その有効性を認識した今、私達召喚術科で読まれているのは国交省が発行している道路標識一覧だ。
そして、副産物というべきか、今教室でブームとなっているのは車両免許の取得だ。
無論、更なる効力の増強のために交通法規も熟知した私達に死角は無く、免許の取得率は百パーセントとなっていることを追記させていただく。