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あかの、

作者: vardaj

『五限終わり いつもの場所で』

 短い言葉をLINEに打ち付けた。三年のゼミ生が中身のない議論を延々と続けている。レジュメが一枚。ただでさえ内容がまとまっていない紙切れを渡されただけでよくも議論が出来るものだと感心する。当たり障りのない感想を言って終わらせるくらいが関の山だろう。そう思った。

ロの字型に動かされた机でかわされる空虚。本当は、

誰も聞いていない。

誰も見ていない。

 ――――既読。

 すぐにLINEが反応した。向こう岸で眠たそうにしている女はメッセージを見た途端に目を輝かせすぐに返信がかえってくる。ファンシーな動物のスタンプとともに送られてくる、安っぽい言葉。

『楽しみ』


               *


 いつからだろうか。

 四年ほど付き合っていた女と別れてからだっただろうか。

 同じ高校に通っていた彼女とは違う大学に入ると自然と疎遠になって別れた。別れを切り出したのは彼女からで、電話で告げられた。いつもの間延びした声がその時だけははっきりと聞こえた。だから何を言われるかは分かっていた。それでも彼女は言いづらそうに、遠回しに最近あったこと、友達の話、くだらない話をならべた。本当にくだらなくて別れを告げられたことはすっかり忘れそうだった。電話を切った後に思い出した。その夜のこと、ふと目を覚ますと何かがいるような感覚があった。虫が入ってきたのかと疑った。明かりをつけると、

 『悪魔』がそこにいた。

 そいつは何をするでもなく隣にいて、時折みつめる。窪んでいるが、ギラギラした目で何かを訴えるように見つめてくる。目線を合わせたくないから視界にいれないよう努めた。そうしていくうちに、駅に転がるホームレスと同じくらいに無視できるようになった。

勿論、最初のうちは何が起こったのかと理解できずにいた。目を疑って夢に違いないと思ったし、誰かに見られるのではないかと思って人目を避けるようにして生活することもあった。赤色をした悪魔はどこにいてもぼくに付きまとい、ぼくの生活を脅かすこととなった。しかしそれも杞憂に終わった。意を決して外に飛び出し、悪魔から逃れようとした時、悪魔は無論ついてきた。交通量の多い交差点の真ん中で悪魔は僕に追いついた。周りを見渡すと悪魔に見向きをする者は誰もいなかった。気味の悪い人外は他の人には見えなかった。ぼくは安堵し、それ以来無視するようになった。いないものとして扱えば、生活に困ることはなかった。悪魔のために何かしなければならないことはなく、今のところ魂を奪われるというようなことはおきていない。……それでも居心地が良くないのに変わりはないが。

 悪魔がするのはただひとつだけ、ぼくをみつめるだけだった。


            *


 ベッドから身体を起こして、眼鏡をさぐる。脱ぎ散らかしたシャツのポケットに無造作に入れてある。薄暗い室内にようやく焦点が合う……。

 ペンキをこぼしたかのような赤色。

 触れば手にこびりついてしまいそうな塗り立ての遊具の、光沢の消えた赤に似ている。その表面をしきりに眼球が移動している。顔に突起はあるが機能はしていない。四肢は妙に細長く先端にいくにつれ鋭くとがっている。肩甲骨は隆起し羽根として活躍。

 赤くて、ヒト型をした悪魔がぼくの隣にはびこっていた。

 反対側には先刻まで繰り返されたピストン運動への感想を語る女。ぼくはそれならよかった、と笑顔で返答する。

「ねえ、私たち付き合ってるんだよね」繰り返される質問にぼくは今日も嘘をついて「きみのことを大事に思っているから付き合えないんだ」とばかり言う。

 女は黙る。

 不意に訪れる沈黙に耐えることが出来なくて、つい悪魔に視線をむけてしまう。固まりかけた血にも似た赤色は身体からとび出た羽根で飛び回っていた。今、眼球はどこにあるのだろうか。探す。決して目線は合わせないように、視界の端で。

「それってセフレってこと」

「……何でそうなるかな。違うって」

「じゃあ何。私たちは何?」

 あった。眼球は頭頂近くで止まっていた。それならもっと注意深く観察できる。「何、ってさ……。別に呼び方とか関係なくない?」これまで気が付かなかったことだが、悪魔の指は六本だった。手も足もどちらも、だ。「関係あるよ。」関係ないよ。「どう呼ばれたいかって他人が間に入らないと、無意味だよ」ぼくのことばに反応するかのように悪魔の鋭い目が移動しぼくをみつめる。

「ぼくは、君のステータスになりたくなんて」ないんだよ。

「じゃあ別れよう」

 女は今にも泣きそうな声で切り出してそう言った。瞳にたまった涙はきっとアクリル絵の具か何かだろう。水で薄めていないドロドロの原液の。

「そうだね、かずさがそういうなら仕方ないね」

「なんでいっつもそうなの」

 女から涙が垂れる。久しぶりに目の前にいる女の名前を呼んだ気がした。すんなりと出てきたことに我ながら感心してしまった。漢字は思い出せなかった。

 悪魔はぐるぐると女の周りをまわってはぼくをみつめる。それは非難するような目つきだった。ぼくと女の関係に他の誰かが入ってきた感じがして嫌になる。この関係に名前を付けることは最後までしたくなかった。

 ホテルの狭いエレベーターで彼女は言う。

「これからは、あかの他人だね」

 そうだね。と言ったのは、どっちだろう。

 ホテルを出る頃には、悪魔が二体になっていた。

                                   (了)


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― 新着の感想 ―
[一言] ビジュアルが浮かんでくるような物語でした。「悪魔」の映像も浮かんできました。ご自身の文体が出来上がっていると思います。硬質な物語でした。
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