ある小説家志望の騒がしい電話
「もしもし、久しぶりだな。森久保、いまも腐った江戸川乱歩のような怪奇小説を書いているのか?」
「なんだ、急に電話をかけてきたと思えば、残念ながらいまも苦吟しているところだ。あと江戸川乱歩は怪奇小説家ではない推理小説家だ」
静寂を破って電話をかけてきたのは、大学の同期だった阿部であった。携帯が鳴ったのは随分と久しぶりである。それくらい私の交友関係は狭い。その上、私が小説を書いていることを知っている友人となると阿部しかいない。
今日も私はワンルームのマンションに引きこもって駄文を書き散らしていたのだ。
「そうか、推理小説家だったか。どうだ、世を驚嘆させる怪作は書けそうか?」
「残念ながら懐作ばかりで、どこかで読んだ事のあるような懐かしいものばかり書ける」
「産みの苦しみというやつだな。男の身でそれを体験できるというのは稀有な体験だぞ。一層、男が女になってしまうものでも書いてみろ」
性転換を題材にした作品は古今東西、枚挙にいとまがない。西洋ではオーランドー、中国では捜神記にそのような話が一片収録されている。近年でも多くの作品が出ており、私が手を出せるような隙はない。それはそうと、電話の向こうが随分と騒がしい。
私の部屋はそういう喧騒から縁がないので多少の音でも大きく感じてしまう。なぜなら、マンションの最上階、角部屋という執筆に最適な環境が整っているからだ。
「そんな手垢のついた案使えるものか。どこにいるんだ? 随分と後ろが騒がしいようだが」
「ああ、そのことか。ちょっとな……」
阿部がもったいつけたような口調で、答えをはぐらかすときはだいたい何か裏があるのだ。まぁ、裏に何が隠れていようが関係ない。私はこの静寂に囲まれた部屋で、執筆に勤しむのだ。
「用事がないなら切るぞ。ちょうど筆が乗ってきたところなんだ。怪作とは言わないが、快作なら書けそうな塩梅だ」
とは強がってみたものの実は先程から筆は止まっており、一文もかけていない。
「ちょっとまて、ちゃんと用事がある。お前が怪奇小説を書いていると知って以来、何か変な出来事に遭遇したら教えてやろうと思っていたのだ。ちょうど、今しがたそういうことがあったので電話したんだ」
「えっ、なんだって? 後ろがうるさくて聞こえん」
ライブ会場にでもいるのか、いよいよ阿部の後ろでは騒ぎ声が激しくなっている。
「だから! いま不思議な出来事が起きているんだ!」
「不思議なことだって!? ぜひ、教えてくれ!」
電話の後ろがうるさいせいで、どうしてもこちらの声も大きくなってしまう。執筆をする際、私は音楽をつけることをしないので余計に自分の声が大きく聞こえた。
「そう慌てるな。いま、お前どこにいる?」
「どこって? 自分の部屋だが」
「それはちょうどいい、いまお前の部屋の前にいるんだ」
私は慌てて、部屋から飛び出した。
そこには携帯を手にした阿部が立っていた。玄関を抜けると先っきまでの騒音が嘘のように消えて阿部の声がよく聞こえた。
「なっ、不思議なことがあっただろ?」