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 寝室のベッドでただ寄り添って、俺はサクラの柔らかな髪をなでていた。

「クロ?」

 軽くあげたサクラの目線が俺を誘う。

「今夜は……しない。新たにコレをつけない自信が無いからな。」

 俺はサクラの首筋に薄っすらと残っている標を、そっとなぞった。

「明日までに消えればいいんだが……胸元の開いたドレスだったりしたらやばいな。」

 今は隠されているソコには、俺が昨夜つけたばかりの情交の後が、紅に咲いているはずだ。

「クロ、そんなに気にしなくても……」

「『花嫁』ってのは、女の子の晴れ舞台なんだろ。最高に綺麗な『花嫁』にしてやりたい。」

 多分、今の俺は真っ赤になっているのだろう。耳が微かに熱い。

「その代わり明日は、その最高に綺麗なお前を……抱かせてくれ。」

 恥じらいながら、はにかみながら、サクラが頷く。その姿に疼くほどの幸せを感じて、俺はサクラを抱き寄せた。

……こんなに大事なオンナに、後先も考えないで子供を生ませるなんて、黒犬おれは馬鹿だ。

「サクラ、俺はどうやってお前を抱いた? その……ウメが出来たとき。」

 俺の体に腕を回したサクラの声は、小さなものだった。

「よく解らない。ハジメテ……だったし。」

「はあ? ハジメテって……ハジメテだよな?」

「知らなかったの?」

「俺が、ハジメテ……」

 そんな大事なことを思い出せない今の俺も馬鹿だが、ナニも解らないオンナを手篭めにするなんて……

「非道だな、俺は。」

「ひどいことなんて一度もされなかったよ。クロは、いつでも優しかった。」

「へぇ、『クロ』は?」

「今だって、こうして優しくしてくれるじゃない。昔も今も、クロは私を幸せにしてくれる。」

「サクラ、これからも、だ。」

 俺は、サクラに軽く唇で触れた。

「お前には、『幸せ』だけを与えてやりたい。この世で一番幸せなオンナにしてやる。」

 微かな誘いに色づく唇に唇を重ね、甘く、軽くその感触を味わう。

「クロの幸せは?」

「俺の?」

「クロは、もっと幸せにならなくていいの?」

「俺は……こうしてお前がいてくれる今が幸せだ。これ以上を望んだりしたら、ばちが当たる。」

 腕の中にあるこのいとおしい温もりを手放すことなど、いまさら考えられない。ならばせめて、この俺の全てをかけて、ただただひたすらにサクラの幸せだけを!

 ふと、サクラの唇に悲しみが混じったような気がした。

 

 オーシャンビューのホテルは、数組の結婚式で立て込んでいた。

「ウチは衣装を借りただけだから大丈夫。あんたは、ウメの相手でもしていて頂戴。」

 早々に着替えを終えたタキシード組は追い出され、会場となる砂浜へと所在無く追い立てられた。

 人気のない海辺では、おばちゃんが料理を並べている。かっちりと仕立てられた子供用スーツを着せられたウメはその後ろをついて、つまみ食いに忙しい。

「平和な光景だな。」

 ふと笑みを漏らすクロの横で、ざぶっと波立つ音がした。

「よう、ダンナ。おめでとサン。」

 波打ち際に上がった、黒と白の大きな体躯は、今日の数少ない参列者だ。

「ハチ、久しぶりだな。」

「ハチ? 296じゃなくて『ハチ』かよ。ダンナ、随分と人間らしくなったじゃねえか。」

 シャチは大きな口を開け、人懐っこく笑った。

「ダンナをここは連れてきたのは、正解だったな。」

「連れて……って、ドクターの命令じゃなかったのか?」

「姐さんは、ダンナの記憶が戻るのを待つつもりだったのさ。でも、ンなまだるっこしいことやってらんねえ。ダンナが『桜が見たい』って言ったときに、俺はぴんっときたね。」

「何に?」

「脳みそでは覚えて無くても、ダンナのどっか根っこのところは、自分の女房を忘れてないってことにさ。」

「それ、なんだが、昔の俺はちゃんとサクラを愛していたのか?」

「覚えてないってのは、怖いねぇ。傍から見てて砂吐きそうなぐらいにラブラブだったぜ。」

 明るい言葉に、クロは沈んだ声を返す。

「俺は……昔の俺に勝てるか? あいつを、本当に幸せにしてやれるんだろうか。」

「マリッジブルーってヤツかい?女々しいな。」

 クキキキと、甲高い笑い声が上がった。

「もっとシンプルに考えなよ。例えば……三日後、ダンナは何してる?」

「多分、就活だな。」

「夢がないねえ。じゃあ一年後は?」

「そんな先のことは考えていない。」

「な、そんなもんだぜ。でも、一年後、ダンナは笑っていたいかい?」

「笑って……」

 クロは、自分の息子に優しいまなざしを向けた。ウメは、つまみ食いに気付いたおばちゃんに怒られて、小さなべそをかいている。

「そうだな。ウメがいて、サクラがいて……今日の延長のように、平和な気持ちで笑っていたいな。」

「アッチだって、きっとそう思っているぜ。でなきゃ、嫁になんて来ちゃくれねえよ。」

「そうか、シンプルだな。」

「ダンナは難しく考えすぎなんだよ。ま、悪くはねえけどな。」

 クキ、とシャチが笑った。

「そういえば、姐さんは? 『最後のチャンス』をやるって言ってたけど、上手くいったのかい?」

「最後の? 誰に?」

「嫁さんにだろうよ。」

 ぞわ、と背筋さする不安に、クロが走り出す。

「ウメを頼む!」

「ダンナ、たまには我儘になってもいいんだぞ!」

 走り去る背中が、微かに怯えて見えた。


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