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『あんたの戸籍、用意できたわよ。』
「は?」
電話の向こうから聞こえるドクターの声はあまりに気安く、受話器を握ったクロは、少し当惑した。
食事の終わったリビングでは、エプロンを脱いだチンパンジーと、サクラ、それにウメが団欒を楽しんでいたが、素っ頓狂な彼の声を聞いて一様に振り向く。
『だから、戸籍。あと、諸々の身分証明も偽造してあげたから。』
「まるでラーメンでも出来たような言い方だな。そんなに簡単にできるものなのか?」
『あら、簡単じゃないわよ。各方面のお偉いさんに圧力をかけて、国家レベルでの情報操作を……』
「手間かけてくれたのは解ったよ。で? その諸々の書類ってのは、取りに行ったほうがいいのか?」
『そこまで持っていってあげるわよ。……って言うか、持って来たんだけどね。』
「はぁああ?」
受話器を投げ出すようにして走り出したクロが、勢い良く玄関を開けると、はたして、携帯を握り締めた『破天荒な姐さん』がニコニコと手を振っていた。
「あんたは、本当に自由だな。」
呆れ顔のクロを押しのけて、舌足らずな幼子が飛びつく。
「ドクちゃん!」
「ウっメ~♪ お土産あるわよ。『ヴィタメールのザッハトルテ』。上手に言えたらあげるわよぉ。」
いかにも高級そうな菓子箱に、ウメが目を輝かせた。
「ビタメル?」
「おっし~い。『ビ』じゃ無くて『ヴィ』。言ってご覧。」
「ウビイイ。」
「ぜんっぜん言えてないっ! かわいいっ! もう一回……」
「WittamerのSachertorte。これでいいだろ。人の息子で遊ぶなよ。」
ひょいとウメを抱き上げるクロに、ドクターが恨めしそうな目を向ける。
「ほんっと、可愛くないわね。あんた。」
「俺が可愛くしてどうする。」
「ウメはこんなに可愛いのにね~。」
「いいから入れ。話が進まない。」
リビングに通されたドクターは、おばちゃんに気安く片手を挙げた。
「ハーイ、ルーシー、調子はどう?」
「おや、ジェニファー、久しぶりだね。」
「ルーシー? ジェニファー?」
怪訝な顔をするクロに、サクラが耳打ちをする。
「なんだか海外ドラマにはまって、毎晩チャットでそう呼び合っているみたいよ。」
「平和だな。」
プフンと鼻を鳴らす彼に、ドクターが分厚い封筒を渡した。
「姓は『犬飼』。本籍は北海道ってことになってるわよ。」
「ふん。『地方から出てきました』ってことか。それにしても犬飼とは、小じゃれた名前だな。」
『元犬』の彼に向かって、ドクターはにっこりと微笑む。
「サクラちゃんの『飼い犬』だからね?」
「お前! それが言いたかっただけだろ!」
「ちなみに名前は黒有人よ。サクラちゃんから聞いたわ。やきもち焼きサン。」
「ううう、それは……」
クロが耳まで真っ赤になった。
「これで、あんたは人間よ。いつでもサクラちゃんを『嫁』にできるわね。」
赤面あきらかなまま、男はサクラを見下ろす。
「その、サクラ……俺と、正式に……だな?」
彼女は桜の花のようにほころんだ笑顔で、大きく頷いた。
「さあ、そうと決まったら、結婚式だよ!」
おばちゃんがぱんぱんっと、陽気に手を鳴らす。
「ジェニファー、準備は?」
「オーケーよ、ルーシー。ハチも招待しておいたわ。」
ウメがぴょんと飛び上がった。
「ケッコしき!」
「大掛かりなことはしてあげられない。ハチもいるから、式場は海。それでも、ドレスだけは着せてあげたいじゃない?」
「う、確かに、サクラの花嫁姿……」
これ以上は赤くなりようが無いと思われた顔が、さらに赤くなる。
「で、いつだよ。」
「明日よ。」
「明日ああああ?」
ぽかんと口を開けた若い二人を尻目に、おばちゃんとドクターは、ぱしんとハイタッチを交わした。
「私達は明日の準備があるから、今夜は二人でごゆっくりー。」
「ウメもいっしょー!」
父親に駆け寄ろうとするその背中に、菓子箱が差し出される。
「ウメ、ザッハトルテとネンネしよっか?」
「ジャハトーテー。」
ウメがぐるりと振り向く。
「俺の息子をエサで釣るなっ!」
そんなクロに、ドクターが少し剣呑な表情を向けた。
「ねぇ、『島には帰ってくるな』っていった意味、解ってる? あんた、ウメちゃん2号はどうなってるの?」
「色々と……不安があるんだよ、俺だって。」
「心配しなくても、99.8パーセント以上の確率で『人型』の子が生まれるわよ。」
「だからって、女の子だったりしたら……毛深いのはかわいそうだ。」
「そんな先々のこと……サクラちゃんは? これ以上、コレの子供を産むのはいや?」
「いえ、その、クロさえ……よければ。」
「ウメだって、ちっちゃいの、欲しいわよね。」
「かわいいの!」
「後はあんたしだいよ、『お父さん』。」




