表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/89

 一晩中泣いていたせいだろうか。喉が熱い。

「痛っ!」

 体を起こしたサクラは、激しい頭痛に顔をしかめた。

 隣でサクラを抱きしめていた男が、その気配に目を覚ます。

「どうした?」

 優しく鼻先を押し付けた男は、サクラの体が熱いことに少しうろたえた。

「熱がある? そうか、だから悪夢を……」

 ベッドを抜け出そうとする男に、頼りなく震える細い腕がすがりつく。

「やだ。どこへ行くの?」

「とりあえず薬を……水分も必要だな。」

「行かないで。そばにいて。」

 男はもそりと向き直り、たくましい腕の中にその細い体を抱きしめた。

「解った。だから、眠れ。」

 悪寒に胴震いながら、サクラは目の前にいる男の名を呼ぶ。

「……クロ。」

「サクラ、いい加減に俺の名前を……」

 彼は続きの言葉を飲み込み、微かに汗ばんだ額に唇を近づけた。


 熱による浅いまどろみから抜け出した頃には、窓の外はすでに薄暗くなっていた。部屋の中に彼の気配はない。

「クロ?」

 サクラは、よろよろとリビングへ向かう。

 そこにもクロの姿はなく、ウメに絵本を読んでいたおばちゃんが顔を上げた。

「気分はどうだい?」

「……あ、仕事……」

「全く、あんたはまじめだねえ……私がちゃんと電話しておいたよ。病気の時ぐらい、仕事なんか忘れな。」

 ぶるりと震えるサクラに、ウメが心配そうに擦り寄る。

「母ちゃ、さむい?」

「あまり近寄っちゃダメよ、うつるから。」

 柔らかな髪をくしゃくしゃと撫でながら、それでも、朝よりは幾分具合がいいことに彼女は気づいた。

「あの子が家中の薬を引っ張り出して、あんたに飲ませていたよ。」

「それで、クロは?」

「さあ? ふらりと出て行って、まだ……」

 ちょうど玄関が開いて、上機嫌な声が部屋に響き渡る。

「ウメ、お土産あるぞー。」

 リビングに入って来たクロは、両手いっぱいに色とりどりの袋を提げていた。

「サクラ! もう起きても平気なのか?」

 嬉しそうな微笑みを投げかけながら、クロは走りついてきた子供に一番大きな包みを渡す。

「Wiiだ。父ちゃんと対戦しような?」

「こんな高いもの、どうしたんだい!」

「あ? パチンコだよ。全く簡単なからくりだな。確率の偏り値を大きくすることで、連チャン期を発生させる。いわゆる『波』というやつだ。その波の周期を計算して……」

「一日中、パチンコしてたの?」

 サクラの言葉に含まれた微かな怒りに、クロは気づかなかった。

「一日中じゃないぞ。必要なデータを集めるために、午前中は……」

「私が熱で苦しんでいるときに、パチンコ屋にいたのっ?」

 今度は、はっきりと怒りが伝わった。

「……仕方ないだろう。『人間』は金が要る。」

「お金なんかっ!」

「なきゃ困るだろ! あんまりほめられる稼ぎ方じゃないのは、俺だって解っている。だが、国籍も、身分もない、ただの『犬』が稼ぐ方法なんて!」

「クロは……! 犬だった頃のクロは、そんな事言わなかった!」

 どさりと、その両手から袋が滑り落る。クロは深くうなだれた。

「……そんなに、昔の俺がいいのか、サクラ?」

 搾り出すようなその声に、サクラはハッと身を引く。

「お前がどんなに望もうと、昔の俺に戻ってやることは出来ない……お前がどんなに嫌っていようと、俺は……」

 言葉が涙に呑まれた。

 クロは俯いたまま静かに、ただ静かにリビングから出て行く。

 おばちゃんが、その不器用なやり取りに大きな溜息をついた。

「あんただって、もう気づいているんだろ。あんなぶきっちょな男、二人といないよ。」

「うん……解ってる。」

 床に落ちたビニール袋の中には、コンビニの棚を買い占めたんじゃないかというほどのゼリーとヨーグルト、それに、スポーツドリンクが詰まっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ