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 夕方、仕事から帰ってきたサクラを出迎えたのは、実に笑える光景だった。

 家の前に佇む、泥だらけの親子……

「何してるのよ。」

「うう……これ、066に怒られるかなぁ?」

 顔にまでべっとりと泥をつけた父親は、情けない子犬のような上目遣いだ。

「父ちゃ、お山、でっかいの。」

「お山、作ったの? 楽しかった?」

 泥の塊に成り果てた息子は、遊び倒した満足な顔でにっこりと微笑む。

「仕方ない。一緒に謝ってあげるから。」

「うう……すまん。」

「お風呂に入ったら、着替えを買いに行かなくちゃね。」


 買い物袋を提げた『夫婦』が夕暮れの桜並木を歩いている。

 見上げた蕾は僅かに緩み、すでに開いた数輪の花が南風に揺れていた。

「もう少し温かくなったら、一気に咲くわよ。」

「そうか。これだけの木が花に染まる様は、圧巻だろうな。」

「この桜が咲いたら……」

 彼は、本当にいなくなってしまうのだろうか。

「どうしても、あの島に帰るつもりなの?」

「ああ、俺にはほかに行くところもないからな。それに、あの島には俺の桜がある。」

 ふっとほころぶ彼の顔は、抱きなれたオンナを思い出すような色気を感じさせる。

「島にはたった一本、桜の古木があって……俺のためだけに、毎年花を咲かせてくれる。」

「知ってる。」

 それは、サクラにとっても思い出の木……今、目の前にいるこの男は知らないだろう。

 その木漏れ日の下で、サクラがオンナになった日のことを……

「俺はデキソコナイになった後も、あの桜の下から離れられなかった。この姿になってからも、だ。」

 人間の姿の中に、優しい面影だけを残した黒犬すら知らないだろう。……満開の下で、会えないオトコを想ってサクラが流した涙を……

「あの木の下だけが、俺の帰る場所なんだ。」

「……ウメは、連れて行かせないわよ。」

 突如むき出しになった警戒心に、クロは悲しそうに瞳を伏せた。

 二人の間を、ただ、南風が柔らかく通り過ぎてゆく……


……夢を見た……

 サクラの夢の中で、その古木は満開の花を降らせていた。

 その幹肌に、優しいあの獣が寄り添っている。

『クロ!』

 声が、桜吹雪に掻き消された。

『クロ、お願い、こっちを見て!』

 漆黒の瞳は、艶潤んで花を見上げる。

『クロ、お願い! 私を置いていかないで! 行かないで!』

 いっそう降る花びらが、黒い体を包むように隠した。


「クロ!」

 夢の続きを叫んで、サクラは目を覚ました。

 一人きりの部屋は暗く、再び眠るには今の夢はあまりにも……

「……クロ……」

 涙混じりのつぶやきに、駆け寄ってくる足音が応える。部屋に、漆黒の瞳のオトコが飛び込んできた。

「サクラ、どうした!」

「夢を……」

「夢ぇ?」

 その男は、あきらかな安堵の溜息を漏らして、サクラに体を沿わせる。

「怖い夢だったのか。」

 その温かさに寄り添って、サクラは涙を流した。

「クロ、お願い、置いていかないで……」

「泣くな、俺はここにいる。」

「クロ……クロ……」

 浮かされたようにサクラが呼び続けている『男』に、彼はちりちりと焦がされるような憎しみを感じた。同時に、その涙を止めることができない自分にも……

 がばと胸をはだけ、涙に濡れた顔をそこに抱きこむ。

 ぱさりと乾いた毛並みが、懐かしい男の香りでサクラを包んだ。

「クロ、もうどこにも行かないで。ずっと、そばにいて……」

 ただ涙を受け止めるしか出来ない苛立ちに、その男はサクラに回した腕を解くことが出来ずにいた。


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