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桜の下。懐かしい声。

 あれから半年が過ぎた。

 あの悪夢が眠る島も春を迎え、島にたった一本の桜は、まさに満開だ

 少し大きくなった腹を抱えて、サクラはその根元に佇む。


 あの後……『ノア』の中から焼き尽くされるこの島を見た。

 だが心優しいクロは、島に残されたデキソコナイたちの逃げ場として、この桜だけは攻撃しないようにプログラミングしていたらしい。

 焼け野原の中に佇む巨木は、はかない花びらを降らし続ける。

 

 前島の仕事は完璧だった。

 情報操作と洗脳。サクラの存在は初めから無かったことになっていた。

 ドクターに新しい姓を与られた彼女は既に『人間』の中で新生活を始めている。今日ここに来たのは、お腹の子供の定期健診のためだ。

「検査の結果が出たわよ」

 その声に振り返りはしたものの、サクラの心は舞い落ちる花びらに囚われたままだ。

「ちゃんと育っているわ。私の予想では人間ははおや似の子供になるはずよ」

「そうですか……」


 ドクターは前島の研究を掘り起こし、売り渡すことを条件にこの島を手に入れた。

 もちろん全てを渡すつもりなどない。

「お偉いさん方には、生き残ったデキソコナイたちを見せたわ。生体兵器の研究は失敗したと思わせるためにね」

 ドクターも揺れ落ちる花吹雪に視線を上げた。

「この島には他にも売るものがいくらでもある。あの哀れな生き物達は、ここで静かに暮らしていけるのよ」

 サクラの上着を抱えて、おばちゃんが駆け寄ってくる。

「体を冷やすなって言っているだろ!」


 『実験動物』たちはそれぞれ野性に戻された。

 人間の知性を隠しながら、普通の『動物』として生きていくことを選んだのだ。

 ただ世話焼きのチンパンジーだけは、都会のアパートに隠れ住んででも『息子の嫁』に付き添うことを選んだ。

 それはサクラの為ではなく、あの黒犬を失った自分の寂しさを埋めるためなのかもしれない。それでも、生まれ来る子供に対する愛情を共有できる誰かが居るということが、サクラを支えてくれる。

「あの子はよく、花の下で昼寝をしていたねぇ」

 ふわりと香る木の下は時間すらも無いような静けさだった。


 ドクターが沈黙を破る。

「あの子は、生きているわ」

 サクラの瞳に色が灯った。

「生きている……」

 それは、悲しいほどの喜びにあふれた色……

「もっとも、理性も、知性もなくして、ただのデキソコナイになってしまっているけどね。あなたが会いたいなら、探してくるわよ」

「元気で……いますか?」

「ええ、健康的には何の問題も無いわ」

 サクラは幹肌に触れ、そっと樹に口を寄せた。

 冷たい樹皮の下に二人が交わした熱を隠して、桜は来年も咲くのだろう。

「クロ、会いたい……」

 それは、他の誰にも聞かせはしないサクラの本心。この花にだけそっと告げて……

 サクラは明るく振り向いた。

「生きていてくれれば、それでいいんです」

……変わり果てて、私を忘れてしまった彼に会うには、まだ傷が生々しすぎる……

 

 誰もいなくなった樹の下に、一匹の『デキソコナイ』が歩み寄った。

 背中から人間の腕を生やし、体は奇妙に歪んでしまった彼には凛々しい黒犬の面影は無い。

 惚けたように虚ろな目をして、桜の幹に擦り寄る。

「……サクラ……」

 それが何を指す言葉なのか、すでに獣にはわからない。

 ただ、そうつぶやく瞬間、理性をなくした瞳が優しい漆黒に潤む。

「……サクラ……サクラ……」

 花びらが抱きしめるように降りかかるなか、唯一覚えている単語をつぶやき続ける。

「……サクラ……」

 ただ、鳴くように……泣くように……




                                          fin

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