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「まだ、クロが!」

 地下洞窟にサクラの声が響き渡る。

 他の者達は乗り込みを終えたというのに、サクラを待たせたままの黒犬は未だに現れない。

「サクラちゃん、取り敢えず中に!」

 手を引こうとするドクターに抗って、サクラは搭乗口の前に飛び出した。

「残り五分! ぎりぎりまで待っておくれ!」

 おばちゃんはがなるように叫び、サクラの隣に立つ。

「おばちゃん、あそこ!」

「来た!」

 しかし、ふらりと歩み寄るその背中には人間の腕が生えている。

 サクラは悲鳴を上げた。

「クロ、それ!」

「ン? ああ、生えた」

 黒い瞳が、いつもと変らぬ優しさで、切なく輝く。サクラは安堵の吐息を漏らして彼に駆け寄った。

「クロ、早く中に!」

「お前は、俺がこんな姿になっても……」

 背中の腕がサクラを引き寄せ、黒い前足の間に強く抱き込む。

「俺の夢が、また一つ叶った……」

 器用な腕はひじから柔らかく曲がり、ふわりと広げた手のひらは背中の曲線にぴったりとなじむ。

「サクラ、子供の名前を考えたんだ」

「嫌だ! 今は聞きたくない! 後で聞くから、早く……」

 ドクターが搾り出すように、苦しい言葉を告げた。

「聞いてあげなさい。多分、クロは何かの薬品で麻痺させることによって、強制的に『D』の効果を押さえ込んでいるだけ……」

「『奇跡』の種明かしなんかするなよ」

 なんでもないことのように、クロは軽く鼻を鳴らす。

 だが……サクラは、涙さえも失って立ち尽くした。

「離れていても俺が生きているほうがいい、と言ってくれたな。今でも、そう思ってくれているか?」

「クロ……本当に、もう?」

 サクラが、やっとの思いでクロを抱き返す。細い腕が毛並みの中にもぐりこみ、しっかりと体が寄り添った。

 ずっと憧れていた『抱き合う感覚』にクロの尻尾はゆさゆさと揺れる。

「俺も、例え離れていてもお前が生きていてくれれば良い。だから、一緒には行かない」

「全く、勝手な息子だね! あんたは」

 おばちゃんはサクラの代わりに泣いていた。

「サクラ、子供の名前は『ウメ』だ。お前と同じ、花の名前だ」

「あんたのセンスだって、ひどいじゃないのよ」

 ドクターも泣いていた。

 サクラは優しい色を焼き付けようとするかのように、クロの瞳をただ見つめている。

「勉強なんか出来なくたっていい。俺の事なんか知らなくても構わない。優しい子に……愛情のわかる子に育ててやってくれ」

 最後のキスは……唇を重ねることさえ、もうクロには解らなかった。ただ、最上の愛情を込めて、ぺろりとサクラの頬を舐める。

「サクラを頼む」

 クロが手を離す。

 よろける彼女をドクターとおばちゃんが抱きとめた。

「元気でいてくれよ」

 大事な育ての親たちを、たった一人の愛する妻を、そして、その腹に幸せに眠る我が子を……今一度、自分の『幸せ』を振り返って、クロは歩き出した。

 ただ一人、生き残るために!


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