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19

 廊下の向こうから現れた男は、にんまりと笑った。

「随分と化け物にふさわしい姿になったじゃないか」

「お前こそ、人間らしくない有様だな」

 前島の白衣は血に紅く染まり、片手にはうめき声を上げる『人間』を引きずっていた。

「ああ、職務を放棄して逃げようとするやつが多くてね。お仕置きしていたんだよ」

 脂肪で膨れた指が解け、『人間』は床に転がる。前島はまるで虫をつぶすような気軽さで、その『人間』の頭蓋をふみ砕いた。

 ごしゃりと鳴る死葬の音に、黒犬の耳がびくりと跳ねる。

「なんて事を……お前は、心まで化け物だな!」

「化け物? 神と呼んでくれよ」

 全身を逆毛立たせて唸るクロに、前島は両手を広げてみせた。

「たとえ世界中の生き物が死に絶えても、僕だけは生き残ることが出来る。それにね、君たちの造物主は僕だよ? ね、神に相応しいだろ」

「造物主が聞いて呆れる。お前は、生き物の本来の姿を歪めることしかしていない」

「素晴らしいよ、スリーワン。その姿になっても、この僕に意見するだけの理性と知性を保っているなんて! ぜひレポートしてもらわなくちゃね」

 じり、と前島が歩を進める。

「『奇跡』ってやつだよ。そんなモンに取りすがってでも、俺は、俺の幸せを守りたいんだ」

 グルルと喉を鳴らしながら、クロは上半身を沈める。

「何度でも言うよ、スリーワン。キセキなんて存在しない」

 前島が倒れこむように間合いを詰めた。

「君の体を切り刻んで、隅々まで調べてあげるよ」

 つかみ掛かる両手を避けて、クロが横とびに動く。

「前島、これを見ろ!」

 クロが背中の手で掲げた薬瓶に、前島がにたりと笑った。醜悪な口元を狂気で歪めて。

「『D』か……君もぼくにでもなるつもりかい?」

「そんなものになるつもりは無い!」

 犬の四肢をしならせて、クロが大きく飛び上がった。極限まで能力の高まっている今、クロには世界の全てがスローモーションのように感じられる。

 前島が化け物じみた跳躍力で跳び追う。

 ゆさゆさと贅肉にくが揺れる様を見ながら、クロのココロにあるものはたった一つの想いだけだった。

(俺のこの姿を見たら、サクラは泣くだろうか……)

 ちょっと破天荒な姉御ドクターは何と言うだろう。無遠慮な愛情で俺を育ててくれたあのははは……?

 前足の爪を前島に深く引っ掛けて捕らえる。両肩の手がすばやく前島の口をこじ開けて、薬瓶をそこに突っ込んだ。

(それでも俺は、この想いをお前に伝えに戻る……サクラ!)

 前島の口を強く押さえて、重力に惹かれるままに落下する。

 地面に叩きつけられた頬の中で鈍い音が響き、逃げ道をふさがれた液体が嚥下されるのが見えた。

「なんて事を!」

 前島はクロを跳ねのけ、むせながらガラス混じりの血を吐き出す。

「さすがの神様も、内側は弱いって事だ」

「ああアアあア……」

 水っぽい悲鳴が前島から垂れ流された。

「過去の実験データから、俺も『仮説』を立てた。規定量以上の『D』を投与された場合、DNA鎖の分解スピードが、再構築の速度を遥かに上回る。その結果……」

 ずるり、と輪郭が剥ける様に、前島の形が崩れ始める。

「肉体そのものがアミノ酸基にまで分解される。わざわざおまえ自身で実験してやったんだ。しっかり報告レポートしろよ?」

 アミノ酸の塊へと堕ち行く前島は、ごぼりと、確かに笑った。

「君こそ報告レポートしてよ。『幸せ』って何?」

「レポートしてやっても、お前には解らない」

「見た目まで化け物になってしまった君が、手に入れられる物なのかい?」

「手に入れる? は! 本当に解ってないな」

 クロの前足が、ごぷごぷとあわ立つ塊を踏み砕く。

「『幸せ』は、俺の中に、確かにある!」

 さらに小さく融けてゆく肉塊は、しゅわしゅわとあざ笑っているかのようだった。


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