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 どの檻からだろうか、鼻の悪そうないびきが聞こえる。なんとなくその数を数えながら、サクラは眠れずに居た。

 布団を頭から被り、堅く目を閉じてクロの存在を拒否しようとはするのだが、胸に居座った理不尽な怒りを消すことが出来ない。

 この怒りの正体を……ドクターがクロに親しげにするのを見たときに感じた、あの黒い感情の理由を考えるほどに、そのあまりの馬鹿馬鹿しさが更なる苛立ちとなって湧き上がってくる。

(だって、『彼』は……)

 布団から顔だけを出して床に寝そべる黒犬を見る。

 そもそも、四足の骨格からして人間とは違う。その上にたくましく野性的な体躯を形造る筋肉だって、それらを包み込む黒い毛並みですら、彼が犬である証拠でしかない。

 闇よりもさらに黒いその瞳が、ふいと静かに開いた。小さな常夜灯の明りを反してクルリと輝く漆黒が、微かに熱っぽい優しさに潤んでいる。

「どうした。眠れないのか?」

 低く、甘い声が耳朶に沁みた。その声は、サクラの心に柔らかい掻き傷を残す。

「あの女ドクターとはどんな関係なの?」

 嫉妬に狂うサクラを、彼女の中の冷静な部分があざけり笑っている。自分のカレシでもない、まして人間ですらない彼の過去を知ることに、どれほどの意味があるのか、と。

 それでも本能的な部分は目の前にいる黒犬に囚われて、貪欲に『彼』を求めている。

「『まっとうな犬なら、人間としちゃいけない事』をしたの?」

「何を急に……」

 むくりと起き上がる漆黒の姿に、彼女はびくりと慄いた。

「……だから、知られたくなかったんだ……」

 黒犬が、耳と尻尾を垂れる。

「俺も『そういう年頃』だったし……彼女にとっても俺は、何人もいる情夫おとこの一人でしかなかった。全て、過去の話だ」

「私にはくつっ! 屈辱的なことしかしなかったくせにっ!」

「やつらを誤魔化すためだ! 俺がああしなければ、奴らはお前を素体番号無ノーネームしに……」

 ずり、とベットの端まで後退る姿を見て、黒犬は悲しそうに喉の奥を鳴らす。

「頼む、怖がらないでくれ。本当に爪先すら触れないと誓う。だからお前を……守らせてくれ!」

「触れ……ない?」

 身の内に沸く、ぎゅっと締め付けるような孤独感。サクラは枕を振り上げる。

 放たれた枕は黒犬の体に当たって、ぼすんと情けなく床に転がった。

「じゃあ、触らないで! 近寄らないで! もう寝るから。」

 サクラは頭から布団を被り、ばふんと乱暴に背を向ける。

 その背中に届いたクロの声は小さく、震えているようにも感じられた。

「俺はここにいる。いつでも呼んでくれ」


 泣きつかれて眠ってしまった呼吸が、穏やかに凪いでゆく。俺はベッドの上を覗き込み、その寝顔をそっと確かめた。

 涙で張り付いた髪を掻き分けてやりたいが、触れないと約束した以上、それは許されない。代わりに、布団からはみ出した手と自分の前足をそっと並べる。

(全然違うな)

 黒い毛に覆われて、不恰好に丸い犬の手と、白くてすらりと指の伸びた人間の手……きっと一生重なることはないであろう。

(混乱していたな。無理もない)

 取り乱した彼女は、俺とドクターの仲を疑ったようだが、それがやきもちだと自惚れるほど世間知らずじゃない。

 自分の許容範囲キャパシティを越える事態に陥った人間というのは、誰か縋る相手を求めるものだ。たとえ相手が人間じゃなくとも……

「もし俺が人間なら……」

 ドクターとの関係も、もっとうまく説明してやれただろう。こんなに恐れられることもなく、頼りなさげなこの指先をただ握り締めてやることも許されるに違いない。

(ふん、馬鹿馬鹿しい話だ)

 サクラからそっと離れ、ベッドのすぐ足元に寝そべる。

 俺が『犬』だという事実はどうしたって覆しようがない。ならば、せめて……

(サクラ、俺が全てをかけて守ってやる)


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