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16

 ノーネームは腹部からの激しい出血に赤黒く染まりながら、よろよろと近づいてくる。

「損傷甚大。生命維持に問題発生」

 サクラを見るまなざしに、禍々しい色がともっていた。

「種の存続を最優先。交配相手を確認」

 がばっと広げられた五指がサクラに迫る。

 だん!と床を蹴って跳ね上がったクロの牙が、骨ばった肘に深く食い込んだ。

「妨害者を確認。排除開始」

 食らいつかれた痛みも、感情も、そして正気さえも感じられない声。

 ノーネームは血潮に染まった腕ごとクロを振り上げた。そのまま狂気の勢いに任せて壁に打ち付ける。

「ぐうっ」

 肺から逆流する空気にむせながら、大きな黒犬は固い床に叩き落された。

 サクラは自動式拳銃ベレッタを構える。安全装置をはずす指が、恐怖とためらいで震えた。

……生き物を撃つのは初めてだけど……

 再びサクラに向かおうとするノーネームの背中にクロが噛りつく。

「残念だったな! サクラの腹には、もう俺の子供が入ってンだよ!」

「子供……を優先的に排除」

「くっそ! こいつ、壊れやがったな!」

 失血でゆらりゆらりと揺れながら、ノーネームが放つ狂気の色はより濃くなってゆく。

「排除、排除、ハイジョ……」

 背中に手を回しクロを掴みあげると、暴れる体を盾のように掲げてサクラとの間合いを詰めた。

(ダメ! このままじゃクロに当たっちゃう)

 恐怖に押しつぶされそうになりながらも、サクラの指はもう震えてはいない。銃口が真っ直ぐにノーネームの眉間に向けられる。

(もっと、間合いを詰めて……)

 美しい悪鬼は、もう手の届く距離まで迫っている。

(まだ! もっとこっちへ……)

 男の胸板が覆いかぶさるようにサクラを襲い、クロは遥か後方へと投げ捨てられた。

 サクラの手で引き金が引かれ、腕が発弾の反動で大きくぶれる。大きな銃声と共にノーネームの眉間は大きくはじけ、噴出した返り血が容赦なくサクラを汚した。

「サクラ!」

 全身の筋肉をしならせてクロが跳ぶ。崩れ落ちるノーネームの真下に飛び込み、サクラを引き離す。

「損傷……甚……大……」

 金茶の毛並みはゆっくりと崩れ落ち、自分が流した血の海に沈んだ。

「おい! サクラ、しっかりしろ!」

 呆然と引き金に添えられていたサクラの指先に、震えが戻ってくる。

「死ん……だ?」

「ああ」

 小さな震えはじわりと広がり、サクラの体中を支配する。

 クロは小刻みに揺れる肩に顔を乗せた。

「血が……ついちゃうよ」

「いいんだよ! お前が血まみれるときは、俺も一緒に血まみれてやる」

 サクラの口から嗚咽が漏れる。

「赤ちゃんは……無事?」

「ああ。ちゃんと守ってくれたな」

「うん」

「……ありがとう。がんばったな」

「うん」

「もう、立てるか?」

 サクラはキュッと唇を引き結んで涙を止めた。

「大丈夫。行こう、クロ!」

 だが、廊下はパニック状態だった。

 実験動物だった獣達は本来の力のままに暴れまわる。人間達はシェルターを目指して逃げ惑うばかりだ。

「こっちは妊婦連れだ。もっと安全なルートを……」

 サクラからパソコンを受け取ろうとしたクロの動きが、突然、固まる。肩が呼吸で大きく揺れ、だらしなく開いた口元からよだれが垂れ滴った。

「……そんな……」

 うめく声には絶望が含まれている。

「まさか……クロ!」

 サクラの目の前でクロの体が大きくきしみ、両肩の筋肉がおかしな形に歪んだ。

「サクラ……銃を構えろ」

 首を振って後退さる彼女に、クロは大きな口の端をあげて笑って見せる。

「心配するな。俺を撃てって言うんじゃない」

 前足でよだれを拭って、クロは尻尾をピンと立てた。

「強行突破する! しっかりついて来い」


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