15
まだ夜中だというのに……遠くで非常を告げるベルが鳴っている。
目を覚ました黒犬は、ぴんと両耳を張った。誰かが廊下を走り回っている……一人や二人ではなさそうだ。
「サクラ、起きて着替えておけ」
揺り起こされた彼女も状況に違和感を感じたのだろう。少し身を硬くして、手早く衣服を整え始めた。
「……この足音は!」
クロは耳覚えのある足音のために扉を開ける。
「ドクター!」
飛び込んできた女医は息を切らして座り込んだ。
「夜中にごめんねぇ。もしかして『お楽しみ』だった?」
いつもどおりの軽口に安心して、黒犬は少しだけ耳を動かす。
だが、この状況は……?
「バカ言ってないで、説明しろ! 何をやらかしたんだ」
「前島の馬鹿息子とお近づきになるチャンスがあってね、せっかくだから、あっつ~い鉛弾をプレゼントしてあげたのよ」
自動式拳銃を軽くかざして、ドクターが微笑んだ。
気丈な彼女には珍しく、返り血に汚れた袖口が小さく震えて緊張を伝える。
「始めるわよ。作戦は、ちゃんとみんなに伝わっているわよね?」
ドクターは黒犬に小型のノートパソコンを差し出す。
「大丈夫だ。全ての準備は整っている」
クロはすぐさま画面を開き、ものすごい速さでキーを叩き始める。
「サクラちゃん、あなたにはコレを……」
差し出された自動式拳銃に、クロは厳しい声を出す。
「そんな物騒なものをサクラに……」
……かしゃ、カチッ……
手馴れた様子で安全装置を繰りながら、サクラはにっこりと微笑んだ。
「安全装置したから、物騒じゃないよ?」
「お前は……それ以上いい女になる気かよ」
クロはまぶしそうに目を細めてサクラを見上げる……
「デレて無いで、さっさとしなさい!」
ドクターの声に弾かれて、彼はパソコンに向き直った。
「まずは、全ての扉、檻を開放する!」
リズミカルに、爪の下でキーが歌う。
「『操縦士』はそのままハチたちが待つ地下空洞へ! 『ノア』を奪取する。他のものは、陽動だ! 暴れることで人間をシェルターに追い込む!」
クロがひたすらにキーを叩く叩く叩く、叩く!
「後は……各国の軍事施設に送り込んでおいたウィルスを発症させる! この事態を収束させるべく、攻撃命令が発令される」
エンターキーを打ち下ろして、クロは画面をパタンと閉じた。
「攻撃開始まで1時間を設定した。その間に『ノア』との合流ポイントにたどり着けなかったものは、この施設と共に焼き尽くされる……」
「完璧ね。この島に居た実験動物の痕跡は、何も残らない」
「ドクター、『ノア』を奪いにいった連中を援護しに行ってくれ!」
「わかったわ! 合流ポイントで待っているから!」
軽いガッツポーズを交わして、ドクターは鳴り始めた警告音の中に飛び出して行く。
「サクラ、お前にも大事なミッションがある」
振り向いたクロは、ノートパソコンをサクラに握らせた。
「俺の後ろをしっかりついて来い。もし、はぐれたときは……必ず合流ポイントまでたどり着いて、俺を待っていてくれ」
クロは伸び上がって軽く唇を合わせる。ちゅぷ、と不器用な音が響いた。
「お守り……だ。行くぞ!」
唇を離した二人の前に飛び込んできた、輝く金茶の影。
「ノーネームっ?」
「目標、補足」
無機質な声にサクラが震えた。




