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13

 湖水の底に横たわる闇の中から一匹の黒犬が浮かび上がってくる。もがきながら水面に顔を出すと、肺の中にわずかばかり残った空気を吐き出して新鮮な空気で胸を満たす。

 そんなクロを、ハチが陸に押し上げた。

 島の地下は海水の浸食によるり無数の洞が口をあけている。

 いくつもの海底トンネルをもぐりながらも、いまだ『ノア』を見つけることはできずに居た。

「ダンナ、少し休もうぜ」

……いくら、強化されている肉体とはいえ……

 カクンと折れるようにクロは座り込む。

「無理しすぎだぜ、ダンナ」

 喉を鳴らして笑う陽気なシャチに、クロはぽそりと尋ねた。

「どういうものなんだ……家族が居るってのは」

「別に、ダンナが思ってるほどいいモンじゃないぜ。毎日同じように、泳いで、飯食って、クソして、眠る。そん時に、誰かが傍に居てくれるってだけだ」

「随分と現実的だな」

「『生活』ってなぁ、そんなモンだろ」

 ぷふぅと水煙交じりの呼吸を吐きながらシャチは続けた。

「それでも、傍に居てくれるのが惚れた女と可愛いガキなら、それだけで幸せだがな」

「そうか。簡単なんだな」

「ああ、簡単さ。だが、オレたちみたいな半端な生き物には難しい。ダンナみたいに、相手が人間じゃなおさらだ」

「そうだな……」

 ここを出たからといってサクラを食わせてやる当てがあるわけじゃない。どうやったって、苦労をかけるのは目に見えている。

 一緒に『生活』する、ただそれだけのささやかな幸せを望むことすら……

「欲深いな、俺は」

「欲深いぐらいでちょうどいいんじゃないか? 幸せを守るにはよ」

 シャチがクキキキと甲高い声で笑う。

「どうせなら幸せの真ん中に居るために、自分自身も守ってやんな」

「そうだな」

 クロは吃と立ち上がった。

「もう一度、さっきの穴にもぐってみよう。あそこには何かがある」


 コポンと音を立てて、肺の空気がまた少し逃げていく。

[ダンナ、引き返そう。これ以上はあんたがもたねぇ]

 心配するハチを目で制して、俺は違和感の原因を探るべく丹念に岩肌を探っていった。

(繋ぎ目だ)

 爪で叩くと樹脂特有のカツリと軽い音が水中に広がる。

[解ったよ。ちょっとどいてな]

 大きな尻びれを鋭く動かして、ハチが壁に体を当てた。

 鈍い音がして微かに壁が歪み、隠されていた入り口が小さく口を開ける。

(くそっ! くらくらする)

 残り少ない空気がまた一つ、俺の鼻先から逃げてゆく。

 激しく体当たりを繰り返すハチが入り口をこじ開けるのが先か、俺の肺が最後の一呼吸を吐き出すのが先か……目の前がかすみ始めた。

(死んでたまるか! 俺は、帰らなくちゃならないんだ……)

 ふわりと薄らぎ行く思考の中に、花のようなサクラの笑顔だけが浮かぶ。

 ゆらゆらと漂い始めた俺の体を鋭い牙が軽くはさんだ。

[しっかりしろ、ダンナ!]

 ハチに咥えられて入り口をくぐると、そこは巨大な地下空洞が広がる。

 水面を飛び越えるようにして弾きあげられ、むせるように空気を吸い込んだ。

「サクラ……」

「一言目が女房の名前とか、どんだけだよ」

 その声にはからかいと安堵がたっぷりと含まれている。

 促されて見上げれば、巨大な潜水艦ふねが鋼鉄の牙城のごとく聳え立っていた。


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