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「じゃあ、本当に大丈夫なのね」
施設の最深、地底湖のほとりにはサクラとドクター、そしてクロしか居ない。
「ああ、この施設内のセキュリティーはすでに俺たちのものだ。追跡システムには俺のダミーを送り込んでやった。今日一日、俺が不貞寝していると思うだろう」
クロはすり、すりとサクラの腹に顔を寄せた。
「それより、お前達のほうが心配だ。また前島に呼ばれているんだろう?」
「でも、ドクターが付いていてくれるって言うし」
「そうよ、安心しなさい。だって、あんたの子供なら、私にとっては……」
「孫みたいなものか?」
「そんな年じゃないわよ!」
二人の掛け合いに緊張を解かれ、サクラが軽く笑い声を立てる。
クロは満足そうに、もう一つすりと腹を撫でた。
「で、俺はここで何をすればいいんだ?」
湖水が大きく盛り上がり、人懐こそうなシャチが顔を出す。
「実地調査ってやつだよ、ダンナ。オレと海水浴だ」
「お前は、あのときの……」
「素体番号296。海の連中を取り仕切ってくれているわ」
シャチは大きな口を開けて笑った。
「そういえば、ガキができたんだってな。おめでとサン。おまけに、『一撃必殺』だって聞いたぜ」
クロの耳が一気に赤くなる。
「う……いや、まあ……女房のサクラだ」
耳慣れない紹介に、サクラはくすぐったそうに笑いながらシャチに近づいた。
「こんにちは。えーと、29……4? 6?」
「あんたが呼びやすい名前をつけてくれて構わないぜ。名前付けるの、得意なんだろ」
「じゃあ、シャチだから……ハチ!」
洞窟内にこだまするほどの笑い声を上げて、シャチは水面を叩いた。
クロとドクターは渋い顔だ。
「サクラ、子供の名前は、絶対に俺がつけるからな」
「そうね。そうして頂戴」
「ええっ、なんで? 『ハチ』って、ダメだった?」
不服そうなサクラに、クキキキと甲高い笑いが降る。
「いやいやいや、気に入ったよ。あんたのことも気に入った。ダンナのことは無事あんたに返してやるから、自分を守ることだけ考えてな」
「やっぱり、危険なのね!」
「そりゃぁ、この島の地下にある海中洞窟を、一つ一つもぐって調べるんだ。犬掻きじゃキツイだろうよ」
ドクターがサクラの肩に手を置いた。
「大丈夫よ。そのために296をつけるんだから」
「ああ、まかしときな」
二人の言葉にも不安を拭いきれないサクラを見て、クロはその袖をくいと引く。よろける体を支えるようにして、軽く、不器用に唇が重なった。
「お守りだ。お前が危ない目にあわないように。そして、俺が無事にお前のところへ帰れるように」
その様子を見ていたドクターとハチは顔を見合わせる。
「熱いわね」
「全く、茹で上がっちまいそうだ」
クロは赤くなった耳をひたすらにかきむしった。
「うるさいな。さっさとサクラを連れて行けよ! 前島に怪しまれるだろう!」
「はいはい。大事な奥方をお借りするわよ」
ドクターに優しく肩を押されながらも、サクラは振り向く。
「クロ、『いってらっしゃい』」
再びまみえるための誓いの言葉。それに応える短い単語を伝えるためには、必ずや帰らなくてはならない。
「ああ、サクラ。『いってきます』」
約束の一言を残して、黒犬は冷たい湖水に前足を差し入れた。




