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『それ』は、物置部屋の隅に置かれていた。
「『彼』の遺産よ。あの人の一番弟子だったあなたなら扱えるんでしょ」
ドクターがビニールをはずす。ホコリがぱふっとあがった。
そのパソコンの前にクロは腰をすえる。
「随分と旧式だな」
「時が来るまで、このまま置いておけって言ってたわ」
「このまま……まあ、ネットに繋ぐなってことだろうな」
ふっとホコリを吹き払って電源を入れると、軽い唸りを上げておなじみの起動音……ではなく、
「凝った演出しやがって!」
代わりに、鳴り響く重厚なクラシック音楽。黒い画面にアルファベットが流れるように浮かんでは消える……
「OSから自作したのかよ! あの凝り性がっ!」
クロは爪で叩き割らんばかりにキーボードを叩いた。
「くそっ! こんなコード、見たこともないぞ。とんでもないことしやがって!」
次々と浮かぶ符号を目で追いながら、爪は一時も止まらず新たな文字を画面に刻む。カタカタとキーが喚く音拍。
「起動と同時に発症する自己侵食型のウイルスだと? 上等だ。俺のプログラムで風穴を……開ける!」
ひときわ大きく吼えて、クロはエンターキーを叩いた。
突然、黒い画面が金黄と黒の縞模様に彩られる。それは大きく映し出された『彼』の動画だった。
【これ、ちゃんと映ってるんじゃろうな……】
画面の中の虎は、こつこつとレンズを爪先でつつく。
懐かしい姿にドクターが両手で口を押さえた。
【ほひい。わしのセキュリティを破った、ということは、スリーワンじゃな】
思い出の中に埋もれていた声に、クロも目を細める。
「今は『クロ』だよ、親父様」
【スリーワン、お前なら使いこなせるじゃろう。わしの全てをここに残した】
きりりと取り繕っていた虎の髭が、ほにゃっとゆるんだ。
画面越しに時を越えて、いとおしいオンナを見つめる表情は悲しくも優しい。
【マヤ……そこにおるか、マヤ。これを見ているということは、わしはもうお前のそばに居ないのじゃろう。辛いことをお前一人に任せて、先に逝ってしまったわしを許してくれ。それと……それとな……】
クロはそっと、ドクターを画面の正面に押した。
【愛して……おるぞ?】
「どこまで独占欲が強いのよ! そんなの聞いちゃったら……ますます次の男が捜せないじゃない」
遠い過去からささやく声にドクターは小さく微笑む。画面の中の虎も、照れたように唇の端を上げている。
【じゃあな、後はまかせたぞ?】
突然、ぱっと切り替わった画面に新たなアルファベットがぎっしりと並べられる。
「電脳爆弾、攻撃用スクリプト、電脳虫……上書きスクリプト! これだけそろっていれば、全てのシステムは思いのままだ!」
「この施設を乗っ取れるのね」
「そんな温いもんじゃない」
クロがぷふんと鼻を鳴らした。
「その気になれば、世界中の電脳システムを掌握できるぞ!」




