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「やられたわ。まさか処女だったなんて」
CTスキャンのコントローラーを操りながら、ドクターは隣に座り込んでいる黒犬に向かって話しかけた。
「よくあいつらに気付かれなかったわね。さすがテクニシャン」
「サクラの前でそんなこと言ったら、ぶっ飛ばすからな」
「……でも、これからどうするの? たった一回、彼女の純潔を守っても、あんまり意味は無いんじゃないかしら」
「いや、一回じゃない。俺は、サクラと交わるつもりは無い」
「そんなことができるのかしら。あいつら、今回は特に本気よ。彼女を妊娠させるためなら、どんな手段をも使ってくるでしょうね」
「そんなことは絶対にさせない。俺はこの命に代えても、あいつをここから逃がしてやるつもりだ」
「随分と大事にしてるのね。それとも、怖いのかしら?」
「こわい? 何が」
「さあ、ね」
ガラスで張られたCT室の中にその声は聞こえない。
サクラからは、会話を交わす犬と女性がやけに親しげに見えた。
(なによ、あの犬……)
『全てを捧げて』の誓いが、うそ寒く思える。
(自分はちゃんと……)
和やかに言葉を交わし、もしかしたら温もりを分け合っているかもしれない相手がいる。
急に襲ってくる孤独感に耐え切れず、視界が涙に霞んだ。
(やきもち? ううん、違う!)
あくまでも孤独感だ。急に見知らぬ場所に放り込まれて、見知った人は誰一人としていない。頼りに思う『彼』には……
ぼつっとマイクの起動音がして、狼狽する声が飛び込んできた。
『どうした、サクラ! 泣いてるのか? ううう、ドクター、検査は終了だ! これ以上サクラに何かすることは、俺が許さないからな!』
がたがたっと何かを派手に蹴倒す音がして、黒犬がCT室に駆け込んでくる。
「大丈夫か? どこか辛いのか?」
低く響く優しい声も、今は聞きたくない……ぷいと顔を背けるサクラに、黒犬がそっと前足を伸ばした。
「そうか、触れない……んだったな……」
涙を拭おうとした大きな肉球がためらい、ぐるりと宙に踊る。
「ぐ……サクラ……」
「オトリコミ中悪いんだけど? そろそろあいつらが迎えに来るわよ」
後ろから入ってきたドクターは、書類の束をひらひらとさせた。
「検査の結果、疾病、異常ともになし。母体として状態良好。ただし、交接により受胎の可能性あり、経過観察を要する」
「……!」
「ってことにしておいたけど? こんなウソ、生理でも来ちゃったらばれるわよ」
「ドクター、恩に着る!」
それだけを伝えるのがやっとだ。
ちょうど検査室のドアが開き、クロは口を閉ざす。
白衣の男たちを従えたその男はご機嫌で、ドクターから書類の束をもぎ取った。
「やあ、一部始終を観察させてもらったよ。実に興味深かった」
クロの奥歯がぎりっと鳴る。
サクラは無防備な検査着一枚だった。それだけでも十分な辱めだろうに、検査のために晒された無防備な肌を見ていたと言うのか!
ぐるぐると喉の奥に雷鳴を溜める黒犬を、ドクターが目線で制した。
『だめよ!』
『しかし!』
瞳の動きだけで会話を交わす様に、サクラの身の内がちり、と焦げる。
男たちにしたがって検査室を出ようとするサクラの耳に、ドクターはすれ違いざまに言葉を吹き込んだ。
「あなた、私達の関係を誤解しているわよ。でも、ま、ゴチソウサマとは言っておくわ」
サクラは蔑みと敵意を隠そうともしないで、白衣の女を睨みつけた。