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部屋に飛び込んだクロは、その非道な有様に体中を焼かれる気がした。
自分の大事なオンナを腰の下に敷きこんだ男。その両手は引き裂かれたブラウスから顕になった肌に触れている。
鼻先は胸元に埋められ、だが何の感慨もなく鼻息をすする様は正しく『確認作業』……
(サクラ!)
こちらに何かを訴える彼女の瞳が屈辱と絶望で濡れている。
身を焦がすほどの怒りがクロの心を黒く塗りつぶした。戦いの本能が音を立てて研ぎ澄まされてゆく。
「サクラから離れろ!」
黒い砲弾となった肉体をしならせて、ノーネームの眉間に飛び込む。身を起こした男にさらに後ろ足で蹴りこみ、ベッドから叩き落す。
クロはサクラを引き寄せた。
「サクラ、どこか怪我は……」
……ある……
口から引き抜いた布に唾液と共に滲んだ薄い紅色……そして細い腕に深くうがたれた爪跡から一筋の血が伝う。
それを見た瞬間、クロの中の理性は仮面をはぐように滑り落ちた。その下から化け物じみた暗い感情が顔をのぞかせる。
(俺がどれほどの思いで……)
……獣の体でキズモノにしてしまったからこそ、獣の体で汚さなければ愛せないからこそ! 決して傷などつけないように大事にしてきた俺のオンナ……
「……殺してやる……」
ノーネームを見つめるその眼は深く闇色に沈み、『敵』しか映さない。
もはや瞳は敵の情報を脳に伝達するための『器官』でしかなく、脳は効率よい攻撃を計算するための『マシン』に過ぎない。
……そして心は……
漆黒の兵器と化したクロが大きく体を宙に跳ね上げ、ノーネームの首元めがけて飛び掛った。
「右、八時方向」
相変わらず抑揚の無い声で、ノーネームがそれを弾き飛ばす。
「ぅ……ぐうっ」
こぶしを受けながらもクロは体をひねり、爪で敵の肩口を深くえぐった。さっくりとあいた傷口が鮮血を垂れ流し金茶の毛並みを赤く汚す。
傷口に触れたノーネームがつぶやいた。
「ダメージ計測。生命維持に問題なし」
床に転がったクロも頭を振りながら起き上がった。いつも優しい声でサクラを呼ぶその大きな口から、硬く冷たい言葉が……
「ダメージ軽微。攻撃を再開」
マシンのようなその響きに、サクラの体を戦慄が走り抜ける。
「クロ! 戻って来て!」
しかしサクラの叫びは、再びノーネームに飛び掛ったクロの耳には届かなかった。
ぶつかり合うように戦う男たちを眺めながら、サクラもまた戦っている。
(さっき、お腹に乗られた……)
悲鳴と共に吐き出したくなる言葉を、手のひらを噛んでこらえた。
どんなに不安でも、今すぐ彼にそれを伝えたくても、知られるわけにはいかない。
醜い贅肉を揺らしながら入って来たこの男には……特に!
前島は二人の間に割って入り、ノーネームをかばうようにクロに腕を差し出す。
牙が衣服を食い破り、前島の脂ぎった腕に深く沈んだ。
「キレて、子供みたいに暴れて、これが君のキセキ?」
前島は黒犬の上あごをつかんで宙吊りにする。クロが食い破ったはずのその腕には傷一つない。
「この……化け物が!」
喉の奥から搾り出すようにクロがうめく。
「化け物はお互い様だろ。君の戦う姿は実に恐ろしい」
前島はクロを引き寄せて、すぐ耳元でささやいた。
「彼女をごらんよ。あんなに怯えて……君たちの恋愛ゴッコもここまでだね」
うち震えながら見つめているサクラの顔は蒼く、乾ききった唇を固く結んでいる。
「たとえ化け物扱いされようとも……俺の気持ちが変わることは無い!」
「ふぅん。でも、彼女はどうかな」
床に叩きつけられ、クロは小さく悲鳴を上げた。
サクラはすがるように飛びつき、助け起こし、涙を拭うように頬を摺り寄せ……憎悪を込めて前島をにらみつける。
「わぁ、すごいね。本当にドラマみたいだ。でもスリーワン、こんなのはキセキじゃない。やっぱり『例外』だよ」
冷たく言い放つ前島を睨みつけるクロの瞳も憎悪に燃えていた。
「ノーネームを二度と近づけるな! 次は……殺す!」
「怖い怖い。よく言い聞かせておくよ」
前島たちがドアの向こうに消えるのを確かめて、サクラはがくがくと震え崩れる。
その体をクロは身を寄せて支えた。
「どうしよう、クロ……どうしよう……」
「大丈夫だ。もう心配ない」
「違うの、赤ちゃんが……どうしよう……」
「大丈夫だ。赤ん坊ぐらい、大丈……赤ん坊っ?」




