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「そういえば、交配は、順調かい?」
前島は、思い出したように聞いた。
「あぁ?」
筋肉の性能を調べるために小一時間ほど運動させられた後だ。クロはぐったりとしている。
それでも前島を睨み返すまなざしは鋭い反抗心を含んでいた。
「僕としては、万が一『兵器』が脱走した場合の、自然的な交配確率を知りたいところではあるんだけどね」
「獣が、人を犯す可能性ってことか」
「君もロマンの無いことを言うねえ。まあ、過去の実験ではそうだったから、確かに否定はしないけどね」
前島は手元に紙束を引き寄せて楽しげにめくる。
「君は小さかったから覚えていないかな。以前実験に使った女たちは、ひどかった。番わされた獣から逃げ回り、触れられることすら拒んでいた」
覚えていない訳がない。
彼女たちはいつも怯えたように瞳を伏せていた。その姿はトラウマとなって、深く黒犬の胸に刻まれるほどに、だ。
「なのに君達は……ふふふっ」
前島が酷薄な目元を細めて笑う。その表情は凶悪なまでに残忍だ
「四六時中身を寄せ合って、まるで安い恋愛ドラマのようだ。微笑ましいことだよ」
クロの背中が逆毛立つのは嫌悪だろうか。
それとも……恐怖?
「君なら『愛』なんて非科学的なことは言わないよね? どんな手を使ったのか、ぜひ報告してよ」
「確かに、『愛』なんて安いことは言わない。あいつは『奇跡』だ」
「キセキ……ああ、『例外』ってことか」
「そんな言い方しかできないのか、馬鹿な男だ」
「馬鹿は君のほうだよ、スリーワン。奇跡なんてこの世には存在しない。『奇跡的』という言葉はあるが、それは確率上の問題だ。例えどんなに低確率であっても、起こり得ることは奇跡とは言わない」
前島の目はさらに細く尖り、のど元に刃を突きつけるようにクロを射竦める。
「人間だって所詮は動物だ。愛だの恋だの、『理性』でもっともらしい理由をつけて、『本能』では交配に有利な相手を探しているに過ぎない。君達は『本能』で求め合っているだけだよ。その証拠に、彼女のカラダは君にとって極上だろう?」
(確かにサクラは……)
極上だ。求めても求めても冷めぬ劣情の熱で黒犬を満たす。
「本能上で重要な要因は五感だ。まずは視覚野。これは、より人間に近いノーネームよりも君を選んだことから、彼女にとってはさして重要な要素ではないらしい。同様の理由から、聴覚と触覚も外して良いだろう。残るは嗅覚と味覚だが……」
再び笑顔を纏った贅肉に、クロは耳の先から尻尾の産毛に至るまで、全身全ての毛が一気に立ち上がった。
「実にエロティックな要因だと思うよ。唇で味わい、体臭を感じるほどに鼻を擦り付けあうなんて」
「サクラに何をする気だ!」
「『仮説』を立てたら、『実験』だよ。僕はサイエンティストだからね」
「そんな実験なんてさせないからな!」
斬り返すがごときクロの睨みも、前島を傷つけるには至らない。
「実験はもう始まっている。朝から、ノーネームをはなっておいたからね」
「!」
「『奇跡』ってのを見せておくれよ」
走り出したクロの背中を、のんびりとした声が追い立てた。




