素体番号066
無事に第二章、終わりました!
おまけってことで、ちょっと短いお話を。
サクラは、隠し持っていたバナナを檻の中に差し入れた。
「あら、豪勢だねぇ。」
檻の中に居た彼女は、目を細めてそれを受け取る。
「そういえば、どうだい? アッチの方は?」
「え、あ……アッチは……」
赤くなってうつむくサクラから『メスの匂い』が甘く立ち上っている。
「余計な心配だったねぇ。」
ぷふっと笑うとサクラは、ますます赤くなった。
「コレのお礼に、今日は昔話でもしてあげようかね。」
手の中でバナナを転がしながら、おばちゃんは遠い目をした。
三人目の子供には、毛が一本も生えていなかった。
前の二人の子が、体のあらぬところから人間の腕を生やした、いわゆる『デキソコナイ』だったのを考えれば随分とましだ。
寒くないように、腕ですっぽりと抱えながら乳を含ませる。
私が人語を話せることを知らない人間達は、檻の外で騒いでいた。
「三体とも、というのは初めてです。」
「これは066自身の母体としての適性に疑問を……」
うるさいねえ。子供がいるんだから、静かにして欲しいもんだねえ。
見てごらんよ、もうとろりと目をつぶって、幸せな夢でも見ているようじゃないか。
……突然、脂太った腕が私から子供を取り上げた。
「大丈夫だよ。検査が済んだら返してあげるから。」
そういって、前の二人だって返してはくれなかったじゃないか!
その子を放しておくれ、返しておくれ……前島!
母親の業が私を責めたてる。
吸う者のいなくなった乳は痛みを持ち、涸れ果てた涙の代わりに母乳を垂れ流す。
「へぇ、悲しんでいるように見えなくも無いね。」
檻を覗き込んだ憎い男を睨みつける気力すら、私には、残っていない。
「君がもう少し賢ければ、どんな気分なのか報告してもらえるのに、残念だよ。」
前島は、檻の中に何か小さなものを押し込んできた。
「乳汁を持て余している君には、ちょうどいいだろ。素体番号111だ。」
まだ目も開かない子犬が、きゅい、と小さく鳴いた。
「もー小さくって、可愛くって……今じゃ馬鹿みたいにでかくて、可愛くも無いけどね。」
毛が生えそろう頃には、その子は人語を話すようになった。
「ちゃーちゃん?」
黒い瞳で私を『母』と呼ぶこの子を、あの男なんかに奪わせはしない!
私は厳しく……時には叩いてまで、人間の前で喋らないようにしつけた。
おかげで、前島はこの子の能力を見誤ったようだ。
「言葉を話せない? おかしいね。」
前島が、檻の外からのぞきこんでいる。
白衣を着た男からの報告に、醜いあごを揺すって頷いている。
「まあ、ゆっくりと観察するさ。何しろ、コレは貴重なタイプ・MAEZIMAだからね。」 悪魔のような男が笑いながら去った後、震える私の腕の中で、黒い瞳が不安げに揺れていた。
「ちゃーちゃん、タイプまえじまってなぁに?」
タイプ・MAEZIMA! こんないとけない体に、あの悪魔の遺伝子が書き込まれているなんて!
「ぼく、まえじまみたいになっちゃうの?」
私は、震えながら見上げている瞳に、大きな笑顔を落してやった。
「あんたは、母ちゃんが好きかい?」
黒い瞳が、無垢な輝きを取り戻した。
「うん、ちゃーちゃん、好きぃ!」
「じゃあ、大丈夫。母ちゃんに任せておきな。あんたをあんなふうに育てはしない。」
ぐりぐりと抱きしめてやると、黒い子犬はくすぐったそうに笑った。
「もー、撫でくりまわして、舐めまわして、可愛がり倒して育てたよ。それでもやっぱり、反抗期ってのはあるものなんだねぇ。」
「おい。」
向かいの檻から、野太い声がする。
「親を呼ぶのに、『おい』は無いだろうよ。」
「猿が犬の親? 笑わせんなよ。」
「親をあんた呼ばわりしない!」
黒犬は不服そうにプフンと鼻を鳴らした。
「ンなくだらないことより、『レセプション』に参加するって聞いたぞ。」
手先の起用な猿には、乗り物の操縦に関する訓練が課せられている。兵器として売り込むには一番のオプションだからだ。
年に何回か、軍事関係者を招いたときに行われるその成果の発表会、『レセプション』耳障りのいい言葉で飾られてはいるが、無人の戦闘機でたった一機を追い回す、体のいい『撃墜ショー』だ。
「心配してくれるのかい?」
「はぁ? うぬぼれんな!」
「安心しな。あんたが嫁さんをもらって、可愛い孫の顔を見るまで、死ぬつもりは無いよ。」
「ま、あんたは殺しても死なないだろうがな。」
憎まれ口の影で、不安を隠しきれずに揺れ動く尻尾を、私はみのがさなかった。
普段はヘリすらないこの島に、最新鋭の戦闘機が運び込まれる。
飛行服を着せられ、壇上に連れ出された私は、毛のない猿どもを一瞥した。
……あんたたちがこのショーで賭けを楽しんでいるのは知っているんだよ。
私に賭けたやつはどのぐらい居るんだい? ラッキーだね。がっぽり儲けさせてあげるよ。
何しろ、あの馬鹿息子には、まだ私が必要らしいからね……
檻に戻された私を、向かいの檻から黒犬が振り返った。
「ふん、死に損なったみたいだな。」
「おや、起きていてくれたのかい。」
「た、たまたま、目が覚めただけだ!」
その尻尾は、ぶんぶんと振られている。
「素直じゃないねぇ。」
「うぬぼれんなよ、ババア。」
「ババア言わない!」
黒犬は、前足で耳を抱えるようにして向こうを向いてしまった。
「もう寝る! 邪魔すんなよ。」
「じゃあ、おばちゃんはクロのお母さんなのね。」
「そうだよ。何ならお義母さんって呼んでくれてもいいんだよ。」
バン!と扉を開けて、いまや立派な成犬になった黒犬が駆け込んできた。
「誰がお義母さんだ!」
「だって、あんたの嫁だろ?」
「嫁……」
クロの視線がせわしなくサクラを見上げ、床を見下ろし、再びサクラを見上げた。
「……嫁、か。」
火がつきそうなほど真っ赤になった耳を見て、サクラも赤面する。
「夜な夜な人に言えないようなコトをしてるくせに、その純情っぷりは何なんだろうね。」「人に……って、クロはすごくノーマルで……」
「サクラっ! テンパるなー!」
クロはサクラの背中を押した。
「と、ト、ト、とりあえず、部屋に戻ろう。夕飯の時間だしな。」
ふと、クロは立ち止まって振り返った。
「その、感謝は、している……ぞ。『母さん』」
檻の中から、プフッと笑う声が聞こえた。




