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(相変わらず、前島は醜い……)
腹の贅肉を揺らす姿にサクラは強い嫌悪感を抱いた。
二人の部屋へ『直々に』出向いてきた前島は必要以上に上機嫌で、よく喋る。
血色の悪い唇の動きが、彼をさらに醜く見せていた。
「ドクターから聞いているよ。母体となる体を健全に保つための軽作業が必要だってね」
サクラにある程度の自由を与えるための、ドクターからの提案。
「君には、あの檻の掃除をしてもらうよ。メインの作業は機械化されているんだ。軽いレクリエーションだと思えばいい」
それだけを言うと前島はサクラへの興味をなくしたようだ。ねっとりと、ねめつけるような視線をクロに移す。
「スリーワン、君には、僕の実験を手伝ってもらいたい」
「普通に言えばいいだろう。実験動物になれ、と」
「ああ、スリーワン。その気の強さも最高だ。楽しい実験になりそうだよ」
サクラの胸に一抹の不安がよぎる。
「その実験って、危険じゃないよね? 『彼』みたいになったりしないよね!」
「彼? あー、あー、ドクターの!」
投げ返された視線は、酷薄なものだった。
「まだスリーワンをつぶす気はないよ。君との交配も済んでないしね」
酷薄さの上に、さらに残忍な光が宿る。
「それに、彼は特別だからね。何しろ、希少なTYPE・マエジ……」
「ヴワン!」
サクラの前ではめったに聞かせない犬の声が鳴った。
「そっかー、愛しの彼女には聞かせたくないよね、よもや、君が僕の……」
「無駄口を叩いてないで、さっさと実験を始めろ!」
「解ったよ。じゃあ、ついておいで」
不安そうなサクラに向かって、クロは大きな口の端を軽くあげて見せる。
「夕飯までには、帰ってくるからな」
(しかし、醜い男だ)
薬品の瓶を並べる太った指を見ながら、黒犬は思った。彼は自分に埋め込まれた『人間』の遺伝子が誰のものか知っている。
だからこそ、目の前にいるこの男が誰よりも憎かった。
「あくまでも彼女に言わないつもりかい? 君に遺伝子を提供したのが僕だって事を」
「言えるわけがないだろう! 俺ですら認めたくないことだ」
「隠し事の多い恋愛は、フェアじゃないと思うよ」
「フェアとか、お前が言うな!」
瓶を並べ終わった前島には、それ以上クロの言葉を聴くつもりは無かった。
「さて、中身が何かわかるかな?」
黒犬の視線がちらりとラベルの上を撫でる。
「アナボリックステロイド、テストステロン、エリスロポエチン……筋肉増強剤だな」
「薬剤に対する知識もあるとは、すばらしいね。さすがは『タイプ・MAEZIMA』」
いちいちのオーバーリアクションがクロを苛立たせる。
「でも、君に試してもらうのは、こっち」
『A』とだけ書かれた大きな瓶に、黒犬は疑惑の念を隠せない。
「君なら、自分の体に起こった変化を薬学的にレポートできるだろ?」
「俺に、無理させないんじゃなかったのか」
「こんなの、無理のうちに入らないよ。せいぜい物質分泌を補う程度の、ジュースみたいなもんさ。君にはまだ、『彼』に投与した『D』を使うつもりはないよ」
前島は軽く瓶をゆすって液体を透かし見た。
遮光瓶の中の液体は、茶色くよどんで鈍い音を立てる。
クロは慄然とした。目の前にいるサディスティックな笑いを浮かべる男にではなく、それを内包する、自分という存在に。
逆毛立つ腕に前島の太い指が注射器を押し当てた。
「さあ、実験を始めようか」




