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「『食う』って、ソッチの意味ね」

 翌朝、裸のマヤを包むものは、夕べ熱を分け合ったオトコの豪奢な毛皮だった。

「ねえ、起きてよ」

 揺り起こされた彼はアイスブルーの瞳を大きく見開き、飛びのき、額を地面にこすりつける。

「め、め、面目ない! 酔っていたとはいえ、とんでもない間違いを……」

「間違いなの?」

「いや、わし的には間違いではない……」

「じゃあ、いいじゃない。私的にも間違いじゃないし?」

 彼の縞模様の尻尾がパタンと床を叩き、瞳は驚きに満ちてマヤを見る。

「それより着るもの! あんたがぼろぼろにしたんだから、どこかで調達してきなさいよ」

 ほひほひと走り出した彼の尻尾が揺れている。

 マヤは今まで他の誰にも抱いたことの無い、暖かい感情を感じた。


 彼が愛してくれたのは、体だけではない。獣でありながら人間の男のように、マヤの全てを受け入れ、愛し、守ってくれた。

 子供を生むための道具として扱われた日々よりも、よっぽど幸せな夫婦生活をくれる男

……そして、その深い愛情を惜しみなく誰にでも分け与える、この世で最も優しい獣……

 回診のたびに思うのは、彼がいかに皆から慕われているかということだった。 

 今日も小さな子猫が三匹、彼にじゃれ付いている。

「親父しゃま~」

「ほひ、ほひ~。おひげは止めて。ああ、尻尾もダメえ~」

 マヤは子猫を一匹ずつ抱き上げ、くるくると診察してから彼の背中に乗せてやった。

「『親父様』なんて呼ばせているのね」

「ああ、わしは年かさじゃからのぅ。ここの連中にしてみれば、親父みたいなもんじゃろうて」

「じゃあ、私も『お母様』って呼んでもらおうかしら」

 軽い冗談のつもりだったのだが、返ってきた声は沈んだものだった。

「止めたがいい。『実験動物』の親になるなんて、つらいことのほうが多すぎる」

 

「まだ子供だったスリーワンに会ったのもこの頃だったわ。クソ生意気なチビ犬を彼は特に気にかけていて、自分の持つ知識と技術を全て教え与えようとしていた。そして、『未来』を掴むことを何よりも願っていたわ」


 真夜中、キーをたたく軽やかな音でマヤは目覚めた。

 大きなトラが、爪で器用にパソコンを繰っている。

「何やってるの?」

「あんたを抱いた後は、特に頭が冴えるんじゃ」

 パソコンの画面には意味不明な記号が並んでいる。

「わしは頭脳派じゃからな。こっちのほうが得意なんじゃよ」

彼はくるりとマヤのほうに向き直り、体をすり寄せた。

「わしでは、人間の男のように指輪を贈ってやることもできない。だから、これはわしがあんたに贈ってやれる唯一のものじゃ」

「それは、プロポーズ?」

「そう受け取ってもらえれば、うれしいんじゃがな」

 マヤは大きな肩にしがみつく。

「いいのか? わしは調子に乗るタイプじゃぞ」

「いいのよ。私も調子に乗るタイプなんだから」

 トラは尻尾をそっと細い腰に回した。

「で、これは何?」

「いずれ、あんたの役に立つ。ここから出るときにな」

「出る……出られるの? ここから」

――ここにいる実験動物たちの間に、まことしやかに伝わっている噂がある。

 前島が、いざというときのために極秘に作らせた脱出用の船が、この島のどこかに隠されている。彼らは期待を込めて、その船を『ノア』と呼ぶ――

「わしは、ずっとその船を捜しておる」

「ただの噂じゃないの?」

「噂で済ませるには、あまりにリアルすぎる話じゃからな。この施設は、各国の庇護を受けている。それは逆に標的にされてもおるということじゃ。いつ、何を理由に攻撃を受けてもおかしくはない」

「用心深い前島が、何の策も用意しないわけが無いわね」

「もちろん、シェルタ-が作られてはおるがな。何年も地下にもぐってやり過ごすなんぞ、あの男の性には合わんじゃろ」

 長い尻尾が上着のすそからするりともぐりこむ。

「ちょっと、どこ触ってんのよ!」

「わしらは、獣には戻れない。人間にもなれない。それでも、一生『実験動物』でいるつもりは無い」

「そんなところ、やめて! 今日はもう……ぅあん……」

「特に子供達にはな、『自由』を教えてやりたいんじゃ。わしは親父様じゃからな」

「……そ……こ……は、まじめな話をしながら触るところじゃないでしょ!」

「ほひいいいっ」

「私も手伝うわよ。『お母様』なんだから!」

「つらいぞ。可愛がっている『子供』が実験に使われるのは」

「そのつらさに、ずっと耐えてきたのね。一人で……」

 大きなあごを、細い手がそうっと撫でる。

「プロポーズの返事、ちゃんと言わなくちゃね……オーケーよ」

「人間のように『結婚』してはやれんぞ」

「ばかねぇ。獣のクセに、そこにこだわるの? 私が決めたんだから、私は死ぬまであなたの妻よ」

「死んでからは?」

「解ったわよ。死んでからも、あなたの妻でいてあげる」

「約束じゃぞ」

 愛を受けた獣は満足そうに目を細めて、再び尻尾をマヤの中に差し入れてきた。

「あなたって、意外と独占欲が強いわね」

「そりゃあ、独占したくもなるじゃろ。こんないいオンナ」

 マヤが艶っぽい笑み浮かべる。

「あなたが、いいオンナにしてくれたのよ」


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