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 そこはビジネスホテルのように、無機質に整えられた部屋。小さなユニットのバスルームと、冷蔵庫のほかは何の飾り気も無い。

 ただ、部屋の中央に置かれたキングサイズのベッドだけは趣味の悪いピンクのリネンで彩られ、この部屋に不釣合いな色気を放っていた。

(下品な趣味だ)

 クロは赤くなる耳を前足でクシュクシュとこする。

 こうなった以上、サクラとの交接は避けようがない。例えやつらを誤魔化すための『カタチ』だけだとしても、自分が抱かなければ、サクラはノーネームの手に落とされるだろう。

 だが、彼が抱きたいのはサクラの『カタチ』などではない。

 この部屋に入ってからずっと背中を向けたままの彼女に、黒犬はそっと擦り寄った。

「サクラ?」

 飛び切り甘い声でささやいても、その背中が動くことは無い。

「怒っているのか?」

 近づけば、耳に手当てられたガーゼから消毒の匂いがあがった。痛々しいまでの白に、黒犬の劣情が霧散する。

「……すまん」

「なにが?」

 クロに向けたその背中は小さく震えた。

「お前を傷つけておきながら、脱出は失敗した」

「そんなことじゃないっ!」

 サクラが飛びつく勢いを受け止めきれず、黒犬は柔らかな体を抱いたまま床に転がる。顔を埋めるようにした彼女は、黒い毛皮に涙を擦り付けた。

「馬鹿じゃないのっ? 私なんかのために、死ぬ気だったのっ!」

「馬鹿じゃない。お前のためだから、死ぬ気だったんだ」

 あくまでも冷静を貫こうとする言葉に、サクラは震えながらさらに涙をこぼす。

 黒毛の深くまでその雫がしみこんだ。

「クロ、私のためなら、絶対……死なないで……死んでも、死なないで!」

「……日本語がおかしいぞ、それ」

 濡れた頬にそっと鼻先で触れて、クロは自分勝手な喜びに打ち震える。

(大丈夫。サクラは、俺を必要としている)

 その涙の暖かさに心を押された黒犬は低く囁いた。

「サクラ、状況は解っているな?」

 胸元の被毛に深く顔を埋めたまま、サクラが頷く。

「もしここで俺が拒めば、やつらはお前をノーネームに渡すだろう」

 禍々しい名を拒絶するように、細い肩がぞくりと震えた。

 クロは、どぎついピンクに彩られたベッドを見上げる。縁取りに使われた派手なレースがあざとい。

「サクラ、俺は犬だ。お前に対して、人間らしいことは何一つしてやれない。お前は初めてだというのに……獣じみた格好をさせないと、交わることもできない。それでも……」

 クロはサクラの耳元に顔をうずめた。切なく揺れる声は不埒な熱情を含み、サクラを甘く潤してゆく。

「……俺は、お前を抱きたい」

 サクラが長い口吻にそっと唇を寄せた。

「いいよ。クロなら……いい」

 それはこの世で最も不恰好な口づけ……ピースの合わないパズルのように、重なり合った形はあまりにも違いすぎる。だが黒犬にとっては、この世で最も甘い、赦しの唇……

「俺『なら』良い……か」

 さらに低くなった声に寂しさが混じる。

 無様な音立てるクロのキスは、それでも、サクラの体をリネンの海に沈めた。

「サクラ……」

 チュプと唇を鳴らしながらクロがささやく。

「優しくしてやりたい。誰よりも優しく。だが……」

 泣き出しそうな声がサクラの耳の傍で響いた。

「ランボウに……するかもしれない」

「それでも……いいよ」

 オンナの匂いが強くオトコを誘う。クロは鼻先で震えている首筋をなぞった。

 だが微かな違和感を、犬の嗅覚が鋭く捕らえる。

(くうっ! ここまで来て……)

 クロは大きく鼻先を上げ、奥歯を鳴るほどに食いしばった。

「サクラ、手当てして来い。つ……き……のものが、来ている」

 それを押してまでスるほどクロはマニアックではない。

(やはり、許されないということなのか?)

 我慢のために食いしばった犬歯は、さらに大きな歯軋りを立てた。


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