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……ゴボ、ゴボ、ゴボ……
吐き出した空気が耳元で不快な音を立てる。
クロは大きくもがいて海面へと顔を出した。
「くそ! 死ぬって、意外と難しいな」
底さえ知れない大海の表面を掻きながら『兵器』である己の肉体を呪う。
彼の強い生存本能は限界が近づいてなお、生きるためにあがく事を止めようとはしなかった。犬掻きでもがく視界を、大きな黒い三角形が横切る。
(サメ?)
ごぽりと顔を沈めれば、黒地に白を染め抜いた巨体が見えた。
(シャチ、か……)
どちらでも構わない。博識な彼は、初めて見るその生き物が『海のギャング』だということも、肉食だということも知っている。
「好都合だ」
クロは意識的に力を抜いて波に体を預ける。
きっとその生き物は、おやつ代わりに黒犬の体を貪り喰うだろう。サクラが一緒に居たかどうかもわからなくなるぐらい、完璧に。
「ほら、食いつけよ。うまいぞ」
自虐的な言葉に応えるものがあった。
「いや、ダンナ。あんた、うまそうじゃないし」
「!」
シャチの鼻先が海面にクロを押し上げる。
「そうか。お前、前島の……」
「表向きはそうなってるけどな。本当の俺達のボスは、ドクターさ」
「あの女! 本当に節操が無いな。海の生き物にまで、手を出しているのか!」
「オレと姐さんは、そんなんじゃないぜ? それに、姐さんが寂しいオンナだってのは、あんたも知っているんだろ」
「まあ、そうだな」
シャチが薄く口を開く。それは『海のギャング』という二つ名にはふさわしくない、人のよさそうな笑顔だった。
「で、ここにお前をよこしたのは、ドクターか?」
「申し訳ないんだけど、前島さ。一緒に来てもらうぜ」
……冗談じゃない! ここで連れ戻されれば、サクラが逃げ出したことがばれてしまう。
クロはシャチの鼻先を蹴りつけ、海に潜ろうとした。
「海でオレに勝てると思うのかい、ダンナ」
シャチの大きなあごは、やすやすとクロを捕らえる。
「ダンナが、大事なオンナを守ろうとしているのは知ってるよ。だがな、オレも、女房と子供を守らなきゃならないんだ」
気の毒そうにつぶやきながらも、その大きなシャチはクロを海中に引きずり込んだ。
「ダンナ、一つだけ忠告してやるよ。本当に守ってやりたいと思うなら、どんなことをしても生き残って、側にいてやりな」
シャチがグイと泳ぎだす。
島の壁面にぽっかりと開いた海中トンネルが、その巨体を飲み込んだ。




