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 母体となるサクラへの『検査』は細密だ。

 暇をもてあましたクロはデスクの下に潜り込み、ドクターのノートパソコンを器用に爪先で繰っていた。

 検査室から出てきたドクターが非難の目でそれを覗き込む。

「あんたは、そんなことして、あいつらに気づかれても知らないわよ」

「ここはちょうど、カメラの死角になっている。ボロは出さないさ」

「自分を過信しすぎると、足元を掬われるわよ」

「それでも……もう少しなんだ」

「何をそんなに必死になっているの?」

「三日後に、ヘリが来る。そのヘリに、彼女をもぐりこませようと思っている」

 断崖絶壁で隔離されたこの島は、物資の補給や人員の移動をヘリに頼ってる。それも、島内にはヘリを保有せず、運行も不定期という徹底振りだ。

 このチャンスを逃したら次の当てはない。

「そのための時限式の爆弾ボムを、やつらのシステムに貼り付けておいた」

「勘弁してよ。そのパソコンからだってばれたら、あたしが疑われるのよ」

「あんたに迷惑をかけるつもりはない。このパソコンは、たった今、俺が盗んだ」

 サクラが検査着からの着替えを終えて出てきた。クロはパクンと画面を閉じる。

「別に協力してもらうつもりもない」

「頼まれてもしないわよ。私には『彼』との約束があるもの。私は何も見なかったし、知らなかった」

「それでいい」

 ドクターがクルリと背を向ける。

 クロはサクラの服の裾にパソコンを押し込んだ。

「最後に一つだけ。サクラの追跡チップは? あんたが埋め込んだんだろ?」

「それこそ勘弁してよ。私が手を貸したって、あいつらにバレちゃうでしょ」

 そういいながらもドクターは振り向き、サクラの左耳に触れた。

「……あとは、自分で何とかしなさい」

「すまないな。あんたには……いろいろと感謝している」

 黒犬は大きく口の端を上げて笑う。

 そんな彼を見るドクターの目は、不安の色に沈んでいた。


 夕食のパンを味気なく食みながら、サクラは黒犬から目を離せずにいた。

「ドクターとは随分と仲がいいのね」

「古くからの知り合いだからな」

「カラダのカンケイもあるし?」

「……」

 これからここを出ようという自分には関係のないことだ。

 でも……だからこそサクラは、この『男』の本心が知りたかった。黙り込んだ彼にすっと身を寄せる。

「ドクターとできたんだから、人間のメスがダメってわけじゃ……無いでしょ」

「ばっ! 何を考えている!」

 サクラから強く香り立つ『メス』がクロの本能をあぶりだす。荒れ狂う『オス』を押さえ込むための理性は、既に焼き切れる寸前だ。

「私じゃ……クロのごほうびにはなれないかなぁ」

「ごほうび……余計な事を吹き込みやがったな!」

 ぐる、と唸って向かいの檻を睨むが、チンパンジーはこちらに背を向けて知らんフリを決め込んでいる。

 クロは耳の先を真っ赤に染めてうろうろと檻の中をめぐった。

「ダメだ! 絶対にダメだからな!」

 もはやサクラが求めている男が誰なのかは明らかだ。

 それはクロが何度も不埒な夢の中で願った瞬間。だが、目の前にあるのは決して願ってはいけない『現実』。

「俺がまだ子供だった頃、獣との交配実験のために2回、人間の女が連れてこられた。だけど、獣と人がつがうなんて真っ当じゃない。実験は二回とも失敗した」

「その人たちは? まだここに居るの?」

「……『居た』だ」

 クロがサクラに鼻先を寄せる。

「ニンゲンであるお前が獣を選ぶ訳がない。だからこそノーネームを選ぶのだと思っていた」

「あんな、機械みたいな男はいや!」

「俺だって『兵器』だぞ」

「ううん。クロはこんなに暖かい」

 サクラの腕が毛深い首に回された。牙の間から吐息が切なく漏れる。

「サクラ、俺は……お前が欲しい」

 長い口吻がするりと髪を撫で下ろす。

「だが俺では、お前に将来を約束してやれるわけじゃない。肉欲でお前を汚すことしか考えられない、愚かな獣だ」

「クロ、それでもいい。私は……」

「言うな!」

 黒犬が鋭く吼えた。

 今ならサクラは、望み焦がれた『たった一言』を言ってくれるかもしれない。だが、それを聞いた後で自分を抑える自信はない。

……何度も何度も、忘れられないほど深くに俺の標を刻みつけ、逃げられないほどの快楽を教え込み、その人間としての未来すら奪って、閉じ込めてしまいたい……

 サクラの全てを喰らい尽くそうとする『劣情』という名の獣が、クロは何よりも怖かった。

「俺の大切な女は……実験動物にさせたりはしない。そう決めたんだ」

「大切な……女……」

「お前だ、サクラ」

 クロの低い声は掠れ、サクラのすぐ耳元で甘く響く。

「俺が人間だったら決してお前を手放したりはしない。誰にも渡さない。だが……俺は獣だから……」

 根元まで真っ赤に染まった耳が、誠実の証のようにサクラは感じた。

「せめて、お前の笑顔を守りたい」

「でも……それでも……私には、他にクロにあげる物がないもの」

 ふふっとクロが優しい笑息を漏らす。

「じゃあ一つだけ、ごほうびをもらってもいいか?」


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