18
今日もクロは泉のほとりでデキソコナイたちに体を寄せている。
サクラは思った。
……これは贖罪なのだろう。
生き残る為には彼らを傷つけなくてはならない。ならば本物のマシンのようにただ冷酷に、この生き物達に寄り添うことなどしなければ心は楽になれるのだろうに、彼は敢えて辛い道を選ぶ。
それを知ってしまったからだろうか。二度目の『運動』は、サクラにとってどことなくわびしいものであった。
クロの真似をして、その奇怪な体に身を寄せてみる。獣と人間が入り混じった生き物は大人しく、何よりも暖かかった。
「クロ、ずっと……一人で泣いていたの?」
彼女の優しい問いに、黒犬が目を伏せる。
「サクラ、もし俺を……」
何かを言いかけたその言葉をさえぎるように、デキソコナイたちが慄いて走り出した。
「どうしたの!」
クロは、実に犬らしい警戒の唸り声でそれに答える。それほどまで近くに、外見の美しいあの男が立っていた。
「ノーネーム!」
サクラが凍りつく。
(やはり、人間にしか見えない……)
金茶の毛を衣服に隠し、片手を伸ばしてサクラに近寄る様は恋人を求める麗人のようにも思える。だがその形良い唇から漏れる声には一切の抑揚がなく、ただの『音声』でしかない。
「生殖相手を補足」
(サクラは、セイショクアイテなんかじゃない!)
ぐっと身を沈めたクロは全身をしならせるようにしてその男に飛び掛り、泉に突き落とした。
(くそっ! 本当なら沈めてやりたいが……)
前島の秘蔵っ子である彼に手を出すのはリスクが高すぎる。それに今はサクラを彼から引き離すのが先だと、クロは判断した。
ノーネームがゆるりと泉から起き上がるのを待つことなく、クロは走り出す。サクラがそれに続く。
「サクラ、こっちだ!」
ごつっとした岩陰に、クロはサクラを押し込んだ。
「066! 居るんだろ!」
ずざざっと頭上の木が揺すられ、チンパンジーがひょこりと顔を出す。
「大変なことになったねぇ」
「やっぱりデバガメしてやがったか。ならば話は早い」
「皆で警戒網を張ってやるよ。あんたはしっかりその子を守ってやりな!」
「すまん。恩に着る!」
ざざざざっと枝を走ってゆくチンパンジーを見送って、クロは改めてサクラを振り見た。
唇を白くなるほどにかみ締め、爪立てるほどに己を抱いたサクラは、ぶるぶると大きく震えている。
「サクラ、聞いただろ。もう大丈夫だ」
それでも震える両肩は止まらない。
黒犬は焦れる思いにかられて、震える体にしっかりと身を寄せた。それはここにサクラが初めて連れてこられたあの日以来、初めてのクロからの接触。
「クロ……」
その温もりにサクラが縋りつく。黒犬はただ女を守りたい一心で、不器用にその体を抱きしめた。
ふわりと、微かに『メス』が香る。
(まただ)
それが誰を求めるものでも構わない。クロの心は既に固く決まっていた。
「サクラ、後でどんなに恨んでくれても構わない。今すぐ憎まれたって良い。あいつにお前を渡すわけにはいかない! あいつは、お前を幸せにはしてくれない!」
サクラが甘く満たされた芳香を放つ。それに誘われる獣性をただひたすらに押さえ込んで、クロは続けた。
「俺も……お前を幸せにはしてやれない。頼む、サクラ、幸せになってくれ!」
「どうやって……」
「俺がここから出してやる。だから、約束してくれ。お前を幸せにする男を選ぶと!」
サクラは、なぜか悲しげな顔でその言葉を聞いていた。