不穏当なプロローグ
改訂版、順次差し替えてゆきます。
……コツ、コツ、コツ
随分とかたい廊下を歩く音だ。まるで牢獄へと続く石畳を歩くような……
目隠しの下で、女はそんなことを考えていた。
彼女の体は厳重に縛られ、玉口枷で口は塞がれている。
分厚い目隠しは何も見せてはくれないが、唯一拘束されていない耳だけは緊張に煽られて必要以上に敏感になっていた。
ギイィーイ。
悲鳴に似た響きは、重い材でできたドアが開かれた音だろう。空気の流れに混じる消毒薬の匂いが鼻を刺激する。
どさりと乱暴に下されれば、床材の冷たさに絶望ばかりが押し寄せる。
目隠しをはずされた視界は蛍光灯の白さに刺されて、ちかりと意識が揺れた。
(ここは……?)
使用目的の定かでない計器類で壁を埋め尽くされた地下室。中央に置かれたガラス張りの小部屋が飼育ケースのようにも見える。
女は初めて、自分を捕えているのが白衣を着た男たちであることに気が付いた。
男たちは無言のまま女の拘束を外し、飼育ケースの入り口を開ける。
「いや!」
右に左に身を振って抵抗する哀れな女を掴む腕は容赦も慈悲もなく、彼女を飼育ケースに押し込んだ。
ここで何が始まると言うのか……ガラスにドンと身を当て、無駄な抵抗をする女に冷たい声が降る。
「君にはチャンスをあげたつもりだったんだけど……残念だよ」
捕まえた虫の脚をもごうとしているようなサディスティックな眼差し。ニヤリとどす黒い笑いを浮かべる太った男。
(だれ?)
見覚えのある顔だ。微かに……本当に微かだが。
「君がいけないんだよ、せっかくの僕のプロポーズを断ったりするから……」
(思い出した! バイト先のお客サンだ)
数回来店しただけの彼から唐突なプロポーズを受けて、丁重にお断りした覚えがある。
「その腹いせ? 一体何をするつもりなの?」
太った男が贅肉を微かに揺らして笑った。
「君って、頭悪いよね。『チャンスをあげた』って言っただろ。そして君は、僕ではなく彼を選んだ」
「カレ……?」
男の合図とともに扉が小さく開き、黒い超大型犬が飼育ケースの中に放り込まれる。
「やめて、何をする気なの!」
「その質問、二回目だよね。よかったよ。君みたいなバカな女と結婚しなくてすんだ」
「だから、何をするのって、聞いているんだってば!」
「見て解んないかな? 交配実験だよ」
大きな体ごと揺らすような熱い息を吐きながら、黒犬がのそりと女に歩み寄った。
「遺伝子組み換えって聞いたことあるだろ?僕はそれを成体に施す手術を研究しているんだ。動物にヒトゲノムを組み込んで、人間並の知能を持たせたり……ね。彼は、残念ながら知性を持つには至らなかったけど……」
男は醜く顔をゆがめて笑う。
「僕の理論では十分に繁殖可能だ」
「いや! やめて! 助けて!」
どれほどの叫びをあげようとも、飼育ケースを覗き込む男たちは冷淡な表情を崩しはしない。それは明らかに『実験動物』を見る眼差しだ。
交配相手としてあてがわれた女を、黒犬が引き倒した。
挿絵はウチの娘からもらいました。