第9話 世界が、俺に触れた
――低い震動が、
大地の奥から広がっていた。
揺れているのは地面じゃない。
世界そのものが、
わずかに軋んでいる。
⸻
【来るぞ来るぞ】
【覚醒ターン入った】
【心臓もたん】
⸻
視界の中心。
倒れたまま動かない、
セリスの姿。
胸の奥が、
静かに燃えていた。
⸻
怒りじゃない。
絶望でもない。
もっと深い場所。
⸻
――触れるな。
⸻
その感情が、
言葉にならないまま溢れる。
⸻
黒い影が、
ゆっくりこちらへ近づく。
もう、誰も止める者はいない。
ここは外。
俺は無力。
――そのはずだった。
⸻
どくん。
⸻
胸の奥で、
あの鼓動が鳴る。
遠かったはずのダンジョン。
届かないはずの領域。
それが今――
すぐ背後にある。
⸻
【空気変わったぞ】
【なんだこの圧】
【鳥肌えぐい】
⸻
呼吸が、静かに整う。
恐怖はない。
焦りもない。
ただ一つだけ、
確かな理解があった。
⸻
――距離なんて、最初からなかった。
⸻
「……そうか」
小さく、呟く。
⸻
ダンジョンの中だけじゃない。
外でもない。
⸻
境界そのものが、俺だった。
⸻
黒い影が踏み込む。
終わりを告げる一歩。
⸻
その瞬間。
⸻
「――止まれ」
⸻
音は、ほとんどなかった。
ただ。
空間が、
静かに凍った。
⸻
黒い影の動きが、
完全に止まる。
指先一つ、揺れない。
⸻
【は???】
【外で能力発動!?】
【ルール壊れた】
⸻
胸の奥の鼓動が、
さらに強くなる。
遠かったダンジョンが、
完全に重なる。
⸻
ここは外じゃない。
⸻
全部、内側だ。
⸻
ゆっくり歩き出す。
止まったままの黒い影へ。
恐怖はない。
あるのは――
静かな確信だけ。
⸻
「……触れるなって、言っただろ」
⸻
手を、かざす。
⸻
「――消えろ」
⸻
次の瞬間。
⸻
音もなく。
⸻
黒い影が、
輪郭から崩れた。
砕けるでもない。
吹き飛ぶでもない。
⸻
ただ――
存在がほどけて消えた。
⸻
【ちょっと待て】
【今なにした??】
【理解が追いつかん】
⸻
静寂。
誰も声を出せない時間。
⸻
やがて。
配信画面の数字が、
ゆっくりと更新される。
⸻
視聴者:1,200,000
⸻
【100万突破きた】
【歴史の瞬間】
【伝説回リアタイしてる】
⸻
興味はなかった。
そんな数字より――
⸻
「……セリス」
⸻
倒れている彼女の元へ走る。
膝をつく。
呼吸は、浅い。
でも――
生きている。
⸻
胸の奥の熱が、
少しだけほどけた。
⸻
そのとき。
⸻
背後で、
別の気配が生まれた。
⸻
【まだ終わりじゃないのか】
【フラグやめて】
【嘘だろここで】
⸻
振り向く。
⸻
空が、
わずかに歪んでいた。
⸻
裂け目。
そこから、
何かが覗いている。
⸻
黒い影とは違う。
もっと遠い。
もっと深い。
⸻
――見ている。
⸻
世界の外側から、
こちらを。
⸻
胸の奥の鼓動が、
初めて――
わずかに揺れた。
⸻
視聴者:1,480,000
⸻
配信画面の端に、
見慣れない表示が浮かぶ。
⸻
《干渉検知》
《上位存在の観測を確認》
⸻
【なにこのログ】
【運営じゃないやつ】
【ガチで怖いやつ】
⸻
静かに、息を吐く。
⸻
「……次は、そっちか」
⸻
空の裂け目を、
まっすぐ見上げた。
⸻
その瞬間。
裂け目の奥の“何か”が――
わずかに笑った。
⸻
(第9話・完)




