第19話 届かない場所
――空気が、沈んでいた。
森の奥。
何もないはずの空間に、
薄い歪みが揺れている。
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【来てしまった】
【質が違う恐怖】
【本能が拒否してる】
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胸の奥が、
静かに冷える。
強敵の気配じゃない。
もっと遠い。
もっと深い。
触れてはいけない領域。
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次の瞬間。
歪みの中から――
小さな体が落ちた。
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子どもだった。
十にも満たない、
ただの村の子ども。
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【やめてくれ】
【その展開は無理】
【守ってくれ】
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呼吸が浅い。
意識もない。
体に広がるのは――
黒い侵食紋。
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見覚えがある。
ダンジョン侵食。
だが、違う。
これは――
もっと奥だ。
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リュシアの声が震える。
「……こんなの、
人に現れるはずが……」
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セリスが叫ぶ。
「レイン、早く!」
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分かっている。
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一歩、近づく。
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触れれば――
止められる。
消せる。
救える。
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今までなら。
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だが。
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その瞬間、
理解してしまった。
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これを消すには――
さらに深く、
境界の奥へ入る必要がある。
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戻れない領域。
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【選択を迫るな】
【これ罠だろ】
【嫌な未来しか見えない】
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それでも。
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迷わず、
手を伸ばした。
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「……助ける」
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指先が触れた瞬間。
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世界が反転した。
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音が消える。
色が消える。
温度が消える。
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代わりに満ちるのは――
底のない闇。
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【深すぎる】
【帰れない場所】
【ここは踏み込むな】
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侵食が、
腕を登る。
肩へ。
胸へ。
意識へ。
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境界が溶ける。
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自分が、
どこまで“自分”だったのか――
分からなくなる。
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それでも。
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手だけは、
離さなかった。
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「……まだ……」
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子どもの心臓は、
微かに動いている。
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あと少し。
あと少しで――
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そのとき。
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「――レイン!!」
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声が響いた。
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遠い。
だが確かに。
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現実の側から。
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セリスだった。
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【来てくれた】
【止めてくれ】
【間に合って】
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必死の声。
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「戻って!!
そっちに行ったら――」
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言葉が、震える。
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「……帰って来れない!!」
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意識が揺れる。
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闇に沈みかけた輪郭が、
わずかに止まる。
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それでも。
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手は、離せない。
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救えるかもしれない。
ここで離したら――
終わる。
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その瞬間。
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温かい感触が、
手首を掴んだ。
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セリスの手だった。
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「……もういい……!」
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涙の声。
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「あなたまで、
消えないで……!」
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【やめてくれ…】
【どっちも救えない】
【苦しすぎる】
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闇が引き裂かれる。
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現実が、
無理やり戻ってくる。
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引かれる。
意識が。
体が。
存在が。
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そして――
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手が、
離れた。
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静寂。
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子どもの胸は――
もう動かない。
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【言葉が出ない】
【心が重い】
【これはきつい】
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呼吸が止まる。
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世界が、
色を失う。
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胸の奥に広がるのは、
悲しみでも怒りでもない。
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空白。
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空の奥で。
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“何か”が、
わずかに揺れた。
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まるで――
観測が終わったみたいに。
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小さく息を吐く。
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「……そうか」
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これは戦いじゃない。
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選別だ。
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助ける力があるかではない。
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どこまで――
踏み込めるか。
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拳を握る。
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今度こそ。
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震えは、
止まっていた。
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(第19話・完)




