第1話 何なんですか、この男は
「……リリア。心して聞け」
呼び出された執務室には、父と私の二人だけだった。
「トリニア帝国が、国境に兵を集めている。我が国では抗えぬ規模だ」
既に側近達は退室させられ、この執務室には国王である父と、第四王女の私だけ。
嫌な予感がしていた。
「このままでは、この国はトリニアに吸収されてしまうだろう」
この状況で帝国の話。
ここまで言われれば、残念、結末はもう見えている。
「アストリア家は、打開策としてトリニア第六王子エルヴァン殿下との縁組を受け入れることにした」
ああ、やっぱり。
“冷血非道”だと噂される、あの王子。
いつか来るかもしれないとは思っていた。
だけど……結婚を、ましてやそんな男相手に願ったことは――一度もない。
「国の存続のためだ。他に道はない。……すまない、リリア」
いつも優しい父の顔が曇っている。
そんな顔、見たくなかった。
私は溜息を押し殺して、ゆっくりと頷く。
「……わかりました、お父様。我がアストリア家の為ならば――お受けいたします」
――といった会話を父としたのが、つい昨日のことのように感じる。
私のウェディング姿のメイクをしながら、メイドのセラが泣いていた。
「うう、お嬢様……どうしてこんなことに。ああでも、とってもお綺麗……」
「何も泣く事無いじゃない」
「泣かないでいられますか! お嬢様は元より結婚自体を望んでおられなかったではありませんか。
それがよりによって、あの悪魔の王子と結婚するだなんて……私はもう、心配で心配で……!」
私の結婚相手、エルヴァン・セラフエル――トリニア帝国の第六王子。
領土拡大のため戦を繰り返すあの国は、強大な軍事力と同じだけ悪評も抱えている。
その中心にいるのが、他ならぬエルヴァンだ。
「こら、あまり悪魔だとか言うものじゃないわよ。心配性なんだから」
そうは言うものの、私の声は震えていた。
トリニア軍の、とりわけエルヴァンの非道な行いの噂は知っている。
降伏した兵士を皆殺しにする。気に入らない言動をした者がいれば、相手が一般人であろうと斬り捨てる。
味方にも容赦がなく、人を人とも思わぬ残忍な戦い方で、大地を血の色にを染め上げるのだとか……。
そのお陰で、戦場では紅い悪魔と呼ばれ恐れられていると聞く。
それだけならまだしも――兄弟、身内からさえも疎まれているという話も聞く。
そんな男の元へ、私は嫁がなければならないのだ。一体どんな仕打ちを受けるか、想像もつかない。
少なくとも、居心地の良い生活は決して望めないだろう。
「申し訳ありません。けど、エルヴァン様の評判は皆知っているのですよ。何よりも暴力を愛していて、弟気質も相まって我儘放題、冷酷非道の鬼畜だって!」
トリニアが戦争ばかりしているのは、戦争好きなエルヴァン王子の意向という噂もある。
もしそんな怪物のいる国と戦争となったら、小国である我が国の勝ち目は絶望的。
私が嫁がされることになるのも、仕方のない事だった。
幸いトリニア側も、悪名高いエルヴァンの嫁探しには苦労していたのだろうか、縁談はとんとん拍子に進んだ。
ぺそぺそ泣いているセラの柔らかい栗色の髪を撫でるのも、これが最後。
ふと、壁に飾られたいくつかの絵が目に入る。
……また私がゆっくりと絵を描ける日は、この先いつ訪れるのだろうか。
いよいよ挙式。
エルヴァンとは今日初めて会う。
手のひらがじっとり汗ばんでいるのが分かる。結婚したら何をされるか分からない。
それに、いずれ私は彼との子供も産まなければならないのだろう。
愛してもいない男の子供を出産するなんて、痛いだけだろうに。
他国に嫁いでいった姉たちはどんな気持ちだっただろう。
寵愛を受け楽しい生活を送っているという手紙が来たこともあるけれど……それが期待できれば、まだ幾分かマシだったのかな。
祭壇へと続く長い道を進む。
薄いベール越しに、白い礼服に身を包んだ黒髪の男――エルヴァンの姿が見えた。
隣に立つと、かなりの長身だ。そして立っているだけで、妙な威圧感がある。
芸術嫌いの人殺し王子。
一体どんなご尊顔なのか確かめてやろうじゃない。
ベールが取り払われると、男の顔がよく見えた。
……笑っていた。端正で美しい顔を歪ませた、悪魔のような笑みで。
「初めまして、姫」
声が聞こえた瞬間、ブワッと鳥肌が立った。
笑顔なのに、その真っ赤な目は笑ってはいない――瞳の奥に、死人のような冷たさを感じる程に。
なのにその狂おしいほどの美しさが、却ってその笑みを不気味に思わせていた。
……これならまだ不愛想に突き放された方がマシだったかもしれない。
壇上の司祭が祝詞を朗々と読み上げ、私は出来る限り淡々と所作をこなす。
横目で見やった男の頬は白く、髪は夜のように艶やかで深い色をしていた。
……きっと絵のモデルとしてはかなり魅力的だ。だけど、どうも描き残しておきたくなる表情をしていない。
司祭の声が「誓約の口づけを」と告げると、殿下の影が目前に迫った。
心臓が冷たく跳ねる。
目を合わせることが出来なかった。
私は感づかれまいと感情を抑え込み、定められた通りにまぶたを閉じて受け入れようとする。
その時、予想外のセリフが耳に飛び込んできた。
「ファーストキスが私では不足ですか?」
突如耳元で囁かれて、反射的に体がびくりと震えた。
「なら良かったですね。キスなんかしませんよ。理由は簡単、私は貴女を愛していないから」
思わず目を開けた。彼は私の手を取って、指にキスをしていた。
どよめきが起こる。
……私に恥をかかせるつもりなのだろうか?
でも、なんだか少し安心している自分もいる。
彼が顔を上げたとき、ふと口元に――見慣れない、尖った歯が見えた気がした。
(――八重歯?)
この特徴は“悪魔の歯”と呼ばれ、一般には忌み嫌われていると聞く。
なのに王族がその特徴を持つなんて、珍しい事だ。
(まあ、別に歯が尖ってようが、どうだっていいけど)
オルフェアは小さな国とはいえ、様々な人が住んでいた。
身体的特徴で人を判断するなんて真似はしない。
だが、外見はともかく――王族でありながら、儀式的なキスすら避ける男だということは判明した。
この様子では、悪評がすべて事実だと言われても、信じ切ってしまうのも無理はないかもしれない。
(愛していないからキスをしないと言い切るなんて、変な人)
私のそんな心を読んだかのようなタイミングで、エルヴァンがこちらを振り向く。
微笑みながらウィンクをされて、咄嗟に私は顔を逸らした。
(――何なの、この男!?)
そんなわけで私の結婚式は、ロマンの欠片もなく、異様な気味悪さだけを覚えて終わった。
……この時、ほんの一瞬でも、気づけたはずだったのに。
彼との出会いが、この国の運命を大きく変えることになるとは――この時はまだ、誰もが予想していなかった。




