PTAの憂鬱
四月。桜が舞う校門の前で、私は息子の手をぎゅっと握っていた。
「ママ、あの人たち、なにしてるの?」
校庭の片隅では、スーツ姿の保護者たちが真剣な顔で何かの書類を回している。
――あれが噂のPTAだ。
入学式が終わるや否や、担任の先生が言った。
「それでは次に、PTA役員を決めます!」
教室の空気が一瞬にして凍りついた。あの瞬間、私は知った。戦場はここにあったのだと。
「どなたか、立候補される方はいらっしゃいませんか?」
沈黙。机の上の桜の花びらが、フワリと落ちた。
(誰か、手を挙げてくれ……)
しかし、誰も動かない。全員が下を向き、筆箱をいじる。
その時、担任が笑顔で言った。
「では、新入生の保護者の方からお願いしましょうか」
――やめてくれ先生、目を合わせるな。私は空を見ていた。鳥を見ていた。地球の平和を考えていた。
だが、隣の席のママが小声でつぶやく。
「○○くんのママ、若いからできるんじゃない?」
その瞬間、教室中の視線が私に突き刺さった。
若さは罪だ。PTA界では特に。
気づけば私は“書記”に選ばれていた。拍手が起きたが、私はなぜ拍手されているのかもわからなかった。
(PTAって、もっと優しい団体じゃなかったっけ?)
そう思ったのも束の間、地獄の会議が始まった。
「運動会の旗、予算が足りないので手作りでお願いします!」
「給食試食会のアンケート、回収率が低いです!」
「校長先生にお礼の花束を……いや、ここは鉢植え派が多いので!」
会議はまるで国会中継。反対派、賛成派、そして中立派。
「お菓子を配る係」ひとつ決めるのに一時間。
「バザーでの値札」でもう一時間。
その間に、子どもたちは家でSwitchをしている。母たちはスマホでLINEを送り合う。
――“会議まだ終わらないんだけどヤバい笑”
――“わかるw うちもご飯コンビニにしたw”
これが現代のPTAだ。
私はふと隣を見る。副会長の田中さん。
完璧なヘアセットに笑顔、議事録も即完璧。
「すごいですね、田中さん」
「慣れよ慣れ、三年目だから」
その言葉が、私に妙な勇気をくれた。
(そうか、三年やれば人は進化するんだ)
秋。文化祭の準備中。
私は画用紙の山に埋もれながら、ふと息子の声を思い出した。
「ママ、学校楽しいよ。いつもありがとう」
その一言で、疲れが少しだけ消えた。
どんなにバカバカしい会議も、きっとどこかで子どもたちの笑顔につながっている――
……と思いたい。いや、思うしかない。
そして年度末。PTAの引継ぎ会。
「次期書記は……新人の佐藤さんで!」
教室がざわめく。私はそっと手を挙げた。
「すみません、辞退します!」
一瞬の沈黙ののち、誰かが拍手した。
“勇気ある撤退”である。
帰り道、春の風が頬を撫でた。
桜が再び咲いていた。
PTAの一年は、嵐のように過ぎていった。
でも――悪くなかったかもしれない。
息子が駆け寄ってきた。
「ママ、今年も書記やるの?」
「もうやらないよ」
「じゃあ、今度はパパがやる?」
……その日、わが家に新たな嵐が吹いた。




