表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺とあいつ  作者: ポトフ
3/6

動き出した世界

あの電話から数年。俺は相変わらず、アイツの配信を覗き見する日々を送っていた。大学を卒業し、今は地元の小さなデザイン会社で働いている。特に刺激があるわけでもなく、ただ平穏に時間が過ぎていく。そんな俺の日常の中で、アイツの配信だけが、唯一の「特別」だった。


アイツのチャンネル登録者数は、どんどん増えていく。コメント欄は常に活気にあふれ、スーパーチャットも飛び交う。俺の知らない場所で、アイツは眩しいくらいに輝いていた。それが誇らしくもあり、同時に、手の届かない存在になってしまったことを突きつけられているようで、胸が苦しかった。


ある日、会社の休憩時間。スマホを眺めていると、SNSのトレンド欄にアイツの名前が上がっていた。


「翔チャンネル、初のオフラインイベント開催決定!」


その文字が目に飛び込んできた瞬間、心臓が大きく跳ねた。オフラインイベント。それはつまり、アイツが、画面の向こう側から現実の世界に出てくるということだ。たくさんのファンに囲まれて、きっと、あの眩しい笑顔を見せるのだろう。


詳細を見てみると、会場は東京。俺の住むここからは、新幹線で片道数時間かかる。それでも、俺はすぐにイベントチケットの先行抽選に申し込んでいた。冷静に考えれば、当選する確率は低い。そもそも、当たったとして、俺が東京まで行って、アイツに会ってどうするんだ? 話しかける勇気なんて、あるはずもない。けれど、体が勝手に動いてしまった。


数日後、メールの受信通知が来た。件名には「抽選結果のお知らせ」とある。


どうせ、外れるだろう。

俺とアイツの間に、そんな奇跡が起こるはずがない。


そう思いながら、ゆっくりとメールを開いた。

そこに表示されていたのは、たった一言。


「ご当選おめでとうございます!」


…信じられない。まさか、本当に当たるなんて。


手の中に握りしめたスマホが、熱を持っているように感じた。

全身の血が、一気に沸騰したかのような感覚。

当選通知のメールを、何度も何度も読み返した。


日付、時間、会場……間違いなく、アイツのイベントだ。


嬉しい、というよりは、戸惑いの方が大きかった。

本当に、行っていいのだろうか。


俺がアイツの前に姿を現したら、アイツはどんな顔をするだろう。


きっと、覚えてもいないだろうな。

何年も連絡を取っていない幼馴染なんて、アイツの記憶からは消えているかもしれない。


それでも、俺はチケットを購入した。


だって、こんな機会、二度とないかもしれない。

画面越しにしか見ることのできなかったアイツを、間近で見られるかもしれないのだ。

それに、もし、万が一、アイツが俺のことを覚えていたら。


その時、俺は、あの時言えなかった言葉を伝えることができるかもしれない。


イベント当日。


東京へ向かう新幹線の中、俺は落ち着かなかった。 


座席に深く座り、窓の外を流れる景色を眺める。

隣に座るサラリーマンは、ぐっすりと眠っている。


俺だけが、この緊張と興奮の渦の中にいるようだった。


東京駅に降り立つと、人の多さに圧倒される。

何年も前にアイツが降り立ったこの駅で、俺は今、アイツに会いに来た。


まるで、時間が巻き戻されたかのような感覚。

会場に近づくにつれて、熱気が増していく。

アイツのグッズを身につけたファンらしき人たちが、たくさんいる。

皆、キラキラした目で、会場の入り口を見つめていた。


俺は、その熱気に少し気後れしながらも、人の波に紛れて会場の中へと入っていった。

広いホールの中は、すでに多くの人で埋め尽くされていた。


ステージには、大きなスクリーンが設置されていて、アイツの動画が流れている。


「ああ、本当に、アイツのイベントなんだな」


改めてそう実感すると、胸の奥から、じんわりと熱いものが込み上げてきた。


自分の座席を探して進んでいく。

俺の席は、ステージから比較的近い、前から数えて数番目の列だった。


こんなに近くで、アイツを見られるなんて。


座席に座ると、周りから聞こえてくるファンの声に、俺は思わず耳を傾けた。


「翔くん、マジでかっこいいよね!」

「ゲーム上手いし、トークも面白いし、最高!」

「今日のイベント、マジで楽しみだね!」


皆、アイツのことを、心から応援しているのが伝わってくる。

俺は、自分がこの場にいていいのか、少しだけ不安になった。


俺は、アイツのファンではない。


いや、ファン、なのかもしれないけれど、皆とは違う。

俺は、ただの、昔の幼馴染。

一方的に、アイツのことを知っていて、それでも、遠くから見ていることしかできなかった人間だ。


イベント開始時刻が近づき、会場の照明がゆっくりと落ちていく。


スクリーンに、カウントダウンの数字が大きく表示された。


5、4、3、2、1……。


ゼロになった瞬間、ステージが、眩しい光に包まれた。


そして、大歓声が沸き起こる中、スポットライトを浴びて、アイツがステージに登場した。


「みんなー! 今日は来てくれてありがとう!」


アイツの声が、会場中に響き渡る。

その声は、画面越しに聞いていた声よりも、ずっと力強く、そして、ずっと、俺の心に直接響いてきた。


ステージの上で、アイツは最高の笑顔を浮かべていた。あの、昔から変わらない、無邪気で、人を惹きつける笑顔。


俺は、その笑顔から目が離せなかった。

まるで、時間が止まったかのように、俺の視界には、アイツしか映っていなかった。


アイツは、本当に、眩しいくらいに輝いていた。

俺の知らない、たくさんのファンに囲まれて、夢を叶えたアイツ。


その姿を見て、俺は、胸がいっぱいになった。

そして、同時に、強い後悔の念が押し寄せた。

どうして、あの時、俺は言葉を伝えられなかったんだろう。


どうして、もっと、素直になれなかったんだろう。

後悔しても、もう遅い。


それでも、目の前にいるアイツを見ていると、どうしても、あの頃の気持ちが、鮮やかに蘇ってくる。

アイツは、俺に気づくことはないだろう。

たくさんのファンの中の一人として、俺も、その場にいるだけ。


それでも、この距離で、アイツを見つめていると、どうしても、淡い期待が、胸に広がるのを感じた。

このイベントが、俺たちの関係に、何か変化をもたらすのだろうか。


それとも、ただ、一方的に、俺がアイツの成長を見届けるだけで終わるのだろうか。


分からなかった。けれど、一度動き出してしまったこの気持ちは、もう止めることができなかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ