第5節:小さな光と次への扉
ドルガンとのセッションから数日後、こむぎ亭に、彼の息子であるグリフィンが一人で訪ねてきた。まだあどけなさの残る顔に、緊張と、少しの期待を浮かべて。
「あの……セイラさん、いらっしゃいますか?」
「はい、私ですが。グリフィン君、どうかなさいましたか?」
私はカウンター越しに穏やかに応じた。父親とは違い、グリフィンは素直で礼儀正しい少年のようだ。
「父が……その、これをセイラさんに、と」
グリフィンは少し照れたように、小さな包みを差し出した。受け取って開けてみると、中には美しい紋様が浮かび上がった、小さなペーパーナイフが入っていた。ドルガンが得意とする「炎紋鋼」で作られたものだろう。その出来栄えは、素人目にも見事なものだとわかった。
「これは……」
「父が、昨日の夜、久しぶりに……その、まともな物が打てたんだ、と。それで、これは、セイラさんへのお礼だ、と言って……」
グリフィンの声は、少し弾んでいた。
「あと……、『少し、話もできた』とも言っていました。……ありがとうございます、セイラさん!」
グリフィンは深々と頭を下げた。彼の表情からは、父親との関係が改善されたことへの喜びが伝わってくる。
「そうですか……。それは、良かった」
私の胸にも、温かいものが込み上げてきた。ドルガンは、自分なりの方法で、息子と向き合うことができたのだろう。そして、心のわだかまりが少し解けたことで、彼の技術もまた、本来の輝きを取り戻し始めたのかもしれない。
「お父様によろしくお伝えください。素晴らしい贈り物をありがとう、と。大切に使わせていただきます」
「はい!」
グリフィンは嬉しそうに頷くと、軽い足取りで店を出ていった。
手の中のペーパーナイフを見つめる。ひんやりとした金属の感触と、そこに込められたであろう職人の想い。それは、私の活動がもたらした、ささやかだけれど確かな成果の証だった。
(人の心は、鋼と同じだ。適切な熱と、適切な言葉、そして時間があれば、必ず変化を起こせる。たとえそれが、どんなに頑固に見えても)
この一件は、私にとって大きな自信となった。同時に、ドルガンのケースが、街に広がる「憂鬱病」とはまた別の、個人的な問題であった可能性も示唆していた。もちろん、彼のストレスが憂鬱病の引き金になったり、あるいは憂鬱病の蔓延が彼の不調に影響を与えたりした可能性も否定はできない。問題は、そう単純ではないのだろう。
私は改めて、レオがもたらした情報を思い返した。
古い水道橋。すすり泣く声。溜息の魔物。
次は、そちらを調査してみる必要があるかもしれない。個人の悩み相談と並行して、この街全体の心の健康を脅かすものの正体を探らなくては。
そのためにも、この「こころの小部屋」をもっと機能させたい。訪れる人が安心して話せるように、もう少し環境を整えよう。そして、レオのような協力者との繋がりも、大切にしていかなくては。
私はペーパーナイフをそっと机の引き出しにしまい、物置部屋――いや、「こころの小部屋」へと向かった。窓から差し込む午後の光が、部屋の中を柔らかく照らしている。
ここから、何が始まるのだろう。どんな人々と出会い、どんな心の風景に触れることになるのだろう。
期待と、少しの不安。そして、それを上回る、真実への探求心。
101年の記憶を持つ賢者の魂は、14歳の少女の体の中で、静かに、しかし確かに、次なる扉を開けようとしていた。この異世界で、「心」の謎を解き明かす、長い旅路の始まりを予感しながら。




