第3章 逢瀬にもならざり
「……で、今日は何?」
可志楽さんの落語会には、毎回通うようになっていた。
今夜もその予定だ。
開演までまだ時間が空く昼下がり、私は可志楽さんと並んで、川沿いの遊歩道を歩いていた。
「何…って、ただの通りすがりですけど」
「ふーん。俺が今日ここに来るの知ってて、ちょうど同じタイミングで、たまたまここを歩いてるってわけか?」
「……そうです」
「ふふっ、嘘が下手だねぇ」
彼のくすぐるような笑い声。
それを聞くと、鼓動が少しだけ速くなる。
いつの間にか、咳の有無で嘘がバレるくらいの関係にはなっていた。
おかげで、咳をしない私の言葉は軽くあしらわれてしまうけれど。
落語会に足を運べば必ず、可志楽さんと楽屋口で話せるようにはなっていた。
分け隔ての無い彼だから、ファンと言葉を交わすこと自体は特段珍しくはない。
それでも時々、私だけに向ける表情がある気がしていた。
こうして二人きりになる機会も、少しずつ増えてきた。
ただ、それを彼がどう思っているのかは分からない。
「まぁ、いいけど。こっちとしては、偶然ってことにしておく方が都合がいいし」
「……え、都合?」
「だって俺、"独身キャラ"だから」
彼は真っすぐ前を向いたまま、いたずらっぽく笑った。
「自由に生きているように見せて、実は恋人いましたー、なんてダサいだろ……」
その言葉に、私は少し胸が締めつけられた。
「……じゃあ、恋人にはなれませんね」
「うん、絶対にね」
彼は当たり前のように言う。
「恋人なんかいたら、俺のキャラ崩壊。芸人としての生き方にも関わる。まぁ、もしあなたと恋人になったとしても、そのことは、誰にも知られちゃいけない」
「それって、ずるくないですか?」
思わず口をついた言葉に、彼が足を止める。
「……何が?」
「あ、ごめんなさい……。でも、もし私が可志楽さんの恋人になったら、私の人生はすごく変わるけれど、可志楽さんは何も変わらない、みたいな……」
「いやいや、俺だって変わるよ」
彼は困ったように笑った。
「今は、独りだから何でも出来るんだよ。あなたとも、こうやって会えるし。でも、あなたと恋人になったらそうはいかない。俺のことであなたに迷惑をかけたくないからね。色々と出来ないことが増えるし、仕事に影響が出ないとも限らない。でも、それ以上に……」
彼は少しだけ考えるようにしてから、ぽつりと続けた。
「あなたのこと、本気で好きになったら困るでしょ?」
私は息を呑んだ。
彼は何気なく言ったように見えたけど、目は真剣だった。
「だから、あなたも深入りしない方がいいよ。お互い、ちょっと面白い時間を過ごすだけ。そういう関係なら、誰も傷つかない」
彼はそう言って、また歩き出す。
私は何も言えず、ただ隣に並んで、歩幅を合わせた。
指先がかすかに触れる。
その指が絡み合うことはなく。
けれど、まったく触れないわけでもなく。
そんな距離感が、余計に切なかった。