第2章 落語家の落ちない話
それから数週間後。
私は約束通り、可志楽さんの独演会に足を運んだ。
周りを見ると、自分よりも年上と思しきお客さんばかり。彼がちゃんとした落語家であるということを、今さらながら思い知らされる。
感想なんて、何を言えばいいんだろう…。
落語アプリで軽々に落語を聴いていた私は、少し気後れしてしまう。
そのアプリとは、IT通としても有名な可志楽さんが、独自に開発したものだ。
落語の本編ではなく、あらすじのようなものをテンポよく聴かせてくれる。
落語界では賛否両論のようだが、私はこのアプリがなければ落語と出会えなかったのだから、裾野を広げたという功績だけでも認めてくれてもいいと思う。
そんなことを考えているうちに、出囃子が高鳴り、とうとう可志楽さんが高座に上がった。
小さな会場とは言え、登場しただけで空気を一つにしてしまうのは、彼だからこそ成せる技だろう。
「いやぁ、皆さん、今月もご来場、誠にありがとうございます。さてと、何を話しましょうか……」
軽快な語り口に、すぐに会場は笑いに包まれた。
私も夢中になって聴き入り、気づけば最後の「おあとがよろしいようで」が響く頃には、現実に戻るのが惜しくなっていた。
「どうだった?」
終演後、楽屋口で待つ私に彼は声をかけた。
「すごく面白かったです。なんと言うか、その…いろんな世界を行ったり来たりする不思議な展開とか、そんな中でも説得力を持つ言葉の使い方とか……」
私は時々咳こみながら、可志楽さんの落語の好きなところを必死に言語化した。
「へぇ〜、ちゃんと聴いてくれたんだ……。で、転ばなかったか?」
「もう、その話はやめてください!」
彼は笑った。
「ま、気に入ってくれたならよかった。それにしても、あなたって面白い人だね」
「え?」
「普通、お客さんは噺の落ちを気にする。でも、あなたが気にするのはそこじゃない。落語の世界を一緒に生きてるかのように聴いてる。落語を"感じる"人なんだなって」
私はどぎまぎした。
「そんなつもりじゃ……」
「いや、いいんじゃない?そういうとこ、嫌いじゃないよ」
彼はじっと私を見つめた。
少しだけいたずらっぽく、だけど、どこか真剣な瞳で。
この瞬間、何かが変わり始めている気がした。
「また、聴きにきてね」
それは単なる社交辞令なのか、それとも——。
でも私は、その言葉に頷いた。
こうして、私と彼の関係は緩やかに始まっていった。
けれど、それが"秘密"にならざるを得ないことも、少しずつ理解するようになる——。




