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【1】②

「離婚して航大を引き取って、定時で帰れる部署に異動させてもらったから何とかやって来られたよ。でなきゃもう辞めるしかなかったな」

「それでも、誰もができることじゃないでしょ」

 父と母、そして離婚か未婚かの差はあれ、涼音は「ひとり親でフルタイム勤務を継続しつつ子育てをする苦労」を身に沁みて知っている同志だった。

 何よりもそれが、単なる苦痛で枷だけではないことも通じる仲間。


「そうかもしれない。だけど、できるできないじゃなくてやるしかなかったからさ。航大には俺しかいないんだから」

「……そうよね。私も仕事終わって、保育園についたら即母親になるから。その間の、ほぼ電車の中になるけど、それだけが会社員でも親でもない私『三枝(さえぐさ) 涼音』個人に戻れる時間なのよ」

 薄っすらと笑みを浮かべながら、子どもたちから完全に目を離さないよう気をつけつつも彼女が静かに話す。


「それもわかるな。仕事はまあ別としても、子どもといる時は完全に『親』になっちゃうっていうの」

「うん。でもね、じゃあずっとただの自分でいたいかっていうとそれは違うの。ひとりの時間が欲しくないって言ったら嘘になるけど、雪ちゃんと引き換えにする気は絶対にないから」

 斜め下から一瞬見上げるようにして、見蕩れるほどの綺麗な笑顔できっぱりと言い切る涼音に、隆則は思わず息を飲んだ。

 そして万が一にも子どもたちから見えないように、涼音の背中越しにそっと手を握る。

 明るい陽光の下で微笑む愛しい人は、馬車に乗る我が子たちに目を向けたまま甲から握り込んだ隆則の手を解かせて、掌を合わせるようにして指を絡めて来た。


「ママ〜! おがた(緒方)おじさ〜ん!」

「雪ちゃん、走ったら危ないよ!」

 メリーゴーラウンドが止まって、二人が他の客に交じって降りて来る。


「雪ちゃん、お馬さん楽しかった? お兄ちゃんと一緒でよかったわね。──航ちゃん、雪音の面倒見てくれてありがとう」

「すっごいおもしろかった〜! もっとのりたい!」

「いえ、……ぼくはなにも」

 大喜びの雪音に比べて航大は遠慮がちに口籠ってはいたが、その手はしっかり幼い少年と繋いでいる。


「だめよ、一人一回! そういうお約束だったでしょ!?」

「はぁ〜い」

 不承不承といった調子でも無理を通そうとしない我が子の頭を撫でて、涼音は航大に声を掛けた。


「ねえ、航ちゃんは何か乗りたいものないの? メリーゴーラウンドなんてつまらなかったでしょ。ごめんなさいね」

「ぼく、……ジェットコースターとかあんまり好きじゃないから。雪ちゃんと一緒で楽しかったです」

 はにかむ息子の横顔に今更のように頭を過る、苦い記憶。離婚前は三人でレジャーに出掛けたことなどなかった。


「そんな時間あるわけないだろ。家のことはお前がなんとかしろよ。俺は家族のために働いてるんだ」

 定型文のように繰り返す隆則に、妻はもう何も言わなくなっていった。

 いつの間にか期待する気も失せて、終わりのスイッチが入っていたのだと思う。隆則が何も見ようとしなかっただけで。

 航大と二人新居に移って、元妻が全力で受け取りを拒絶した「家族の」アルバムを開いてみて気づいたのだ。

 自分が、いない。

 ほぼ航大の写真で埋め尽くされ、時折誰かに頼んで撮ってもらったのか母子二人が交じる虚しい記録。


 一体、己は何だったのか。

 本当に胸を張って夫だと、父親だと言える存在だったのか。

 妻にとって、息子にとって、何らかの意味のある人間だったのか今もまだ揺らいでいる部分はある。

 働いて家族の生活を支えるのは当然の責務だ。だが、何事にも限度がある。


 それでも、起きている間には顔を合わせることさえ稀な影の薄い父親でも、会うたびに航大は「おとーさん」と呼び慕ってくれていた。

 七海子(元妻)がおそらくは日々息子に話してくれていたからだ。決して悪口ではなく、父の良いところを。

 そんな彼女に、隆則はいったい何をしたというのか。ただ苦しめて、虐げて、まるで世話係の如く扱っていた。

 できることなら詫びたい気持ちはあるが、向こうはもう憎い元夫の顔など見たくもないだろう。自己満足で他人に不快な思いをさせたくはない。その程度の分別はある。

 夫婦としても、家族としても、ただの形式だった。その形式すら保てなかった。

 それもすべて隆則自身の責任だ。

 もう結婚は懲り懲りだ、という以前に、そんなことを考える余裕さえなかった。


 息子ももう十歳。

 ただでさえ大人びた聞き分けのいい子ではあるが、……そうならざるを得ない状況に追い込んでしまった負い目もある。

 一人苦しんでいるかもしれない息子を放置して、恋愛にうつつを抜かす気にはなれなかった。

 ましてや「両親揃った家庭」を整えるために見合いを、などというのは論外だ。

 実際には話を持ち込まれてはいたが、すべてその場で断っていた。

 第一己に、「また結婚を・誰かと夫婦になろう」などと望む資格があるのだろうか、と戒めていた。


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