【1】①
『優しい時間は。』(義兄弟BL)のサイドストーリー。
両親の結婚前後のお話・その1です。
「一日のうちでその限られた時間だけ、ただの自分に戻れるの」
お互いの息子を連れての、何度も重ねた結婚前提での交流の一場面。
涼音と交わした会話を隆則はよく覚えている。
その時は、土曜日に四人で遊園地に出掛けた。
隆則の息子である四年生の航大が涼音の息子である四歳の雪音にせがまれて二人きりでメリーゴーラウンドに乗っている。
その様子を柵の外から並んで見守りながらの、何気ないやり取りだった。
何の気負いもない口調、表情。
気を付けて見ていなければ、ただの世間話として流れてそのままになってしまう。
「とにかく勤務時間中は他の何も考えられないくらい必死で仕事してる。何があっても保育園のお迎えに遅れるわけには行かないから、昼休みもパン齧りながらPCに向かってたりして。で、時間になったら周りに頭下げて、職場飛び出して保育園に走るのよ」
「俺も、航大が保育園に通ってた時はそうだったな」
ああ、そうだ。
まだ「そうか、そんな時代もあったなあ」などと感慨に耽る心境には達していないものの、隆則にとっては間違いなく過去だ。
しかもたった二年足らずの保育園生活でしかなかった。
「そうね、隆則さんも経験者だものね。でも駅までは急ぐけど、電車に乗っちゃったらもうじたばたしても無駄だから、開き直って頭切り替えてるのよ。本読んだり、音楽聞いたり。いっそ何も考えずに、ひたすらボーっとしてることもあるわ」
隆則の言葉に、涼音は笑って頷いた。
「話を聞いてるとその頃のこと思い出すよ。なんかさ、毎日時間に追われて綱渡りの気分だったな。でも俺は親が一時間くらいのとこに住んでたからまだマシだった。そんなしょっちゅう頼ってたわけじゃないけど、いざというときの緊急避難先があるってだけで違うから。涼音ちゃんはそれもできないんだもんなぁ」
「ええ、私の実家はちょっと距離あるから。隆則さんと知り会ったときみたいに、友達の結婚式とかそういう特別な機会には連れてって預かってもらうけど。普段は頼れないし、……頼らないようにしたいと思ってる」
涼音は所謂未婚の母で、雪音が生まれる際には親とかなり揉めたらしい。
それでも、最終的にはどうしても産むと言い張る娘に親の方が折れる形になって、特に確執は残らなかったようだ。
実際に今も実家とは行き来があり、親も孫である雪音のことはとても可愛がってくれているという。
「俺もいい年して親には心配掛けたからなぁ。特に離婚したばっかりの頃は、母が泊まり掛けで来てくれてさ。でもあれはホントに助かった。家事にも全然慣れてなかったし」
「隆則さんは実際によくやってると思うわ。私の職場は共働きで子持ちの人が凄く多いし、私みたいなシングルマザーも珍しくないから。気を遣うのは当然としても、お互いさまで順送りっていうか自分がしてもらった分は後に続く人たちに返すって空気があるのよ。育児だけじゃなくて、病気とか親の介護なんかでいつ自分がそっちの立場になるかわからないもの。でも、隆則さんの会社はそういう感じじゃなさそうだし」
心底感心したように労ってくれる彼女の目を、真っ直ぐ見返せない気がした。
結婚していた頃。
仕事一筋で、それが自分の役割だと信じていた。自宅での自分の姿を思い出せないほどに。
そもそも寝に帰るだけに等しかった。休日は職場に呼ばれない限りは、ただ休息に当てたかった。
当時の妻の気持ちなど、考えてみたこともなかった。我が子である航大のことも。
妻が去り、まだ五歳だった一人息子と残されて、何もかも自分が取り仕切る羽目になって初めて彼女の苦悩が……、寂しさややりきれなさが真の意味で理解できたのだ。
離婚歴のある先輩に聞かされて一番印象に残っている台詞は、五年以上経つが少しも色褪せることはない。
「家事は相手が専業なら任せきりでもいいと思うよ。ふたりの意思疎通さえ図れてたらな。まあうちは共働きだったけど。──それでも『育児』は違うんだ。偉そうに言ってる俺も、嫁に出て行かれるまで、……、出て行かれてもわからんかった。ただ恨みしかなかった。でも、子どもって本当に次何するか予測つかねえんだよ。あいつがどんなに辛かったか、限界だったか、俺は知ろうともしなかった。『かわいい子どもと過ごして何が大変なんだ』って考えてたし言っちまってた。……親失格のただのクズだった」
あれはまさしく、真理だった。
聞かせてくれた先輩の元妻は、離婚の話し合いに設けた席上で「あんたに似たあの子がもう憎い」と吐き捨てたという。
その時のあまりの形相に、自分が拒んで向こうに委ねたら殺されるのではないか、と恐怖を覚えて自分が引き取ると言うしかなかった、とまで吐露した彼。
全五話です。