9. 魔界での生活スタート③
お昼はレオさんが、シチューのような煮込み料理を作ってくれた。
「朝は『臭いが苦手』って言ってたけど、これは大丈夫?」
恐る恐るスプーンですくって、ひと口食べてみた。
「あっ、平気です! おいし……」
口に入れた瞬間は確かにおいしかった。
けれど噛んでいるうちに、肉から臭みが出てきた。
吐き出しそうになったのをかろうじて我慢して、大きな塊のまま無理矢理、飲み込んだ。
何も言っていないにも拘らず、私を観察していたレオさんは嘆息した。
「あー、ダメかー」
「ごめんなさい……」
「いいの、いいの。今後、改良していくから。どれがおいしくなかった?」
「お肉が……」
「野菜は?」
「それは大丈夫です」
残りのお肉は申し訳ないけれど、お皿の隅によけさせてもらうことにした。
「今朝のミルクとこの肉ね……何となくわかったかもなー」
レオさんが歯を見せて、にいっと笑ってくれた。
レオさんのこういうところ、優しいと思う。
※
お肉を除いてシチューを完食したとき、リナさんが帰ってきた。
「ただいま戻りました」
リナさんは私のために、衣類と編み上げブーツの入った袋を抱えて帰ってきてくれた。
「全て一度試着してみてください。服と下着類は取り急ぎ3着ずつ用意しましたが、ご要望をうかがってから、あともう何着かご用意します」
そこで私は試着のために自分の部屋に上がった。
リナさんが私のために用意してくれた服は、予想に反して明るい色が多かった。
とはいえパステルカラーは1着もなくて、原色ばかりだった。どぎついといか、ケバケバしいというか……
それでも人間の私のためにと、特別に選んでくれた色であろうことは想像できた。リナさんの服や、あのファッション雑誌の中では見なかった色だから。
デザインはごくシンプルだから着やすくて、部屋着としてちょうどいい。
下着だけは全て真っ黒で、16歳が着るにはハードルが高いけれど、仕方がない。そこは大人の階段を上ってみようじゃないの。
着替えながら、ふと思った。
(そういえば魔王様は『別棟を出るのは僕と一緒のときだけにして』と言っていたけれど、魔王様と一緒に出かける機会はどのくらいの頻度であるのかな……)
まあ、あんまり期待できない気がする。
だって、私が魔界で外出しないといけないような用事なんて、特にないだろう。
それなのに命を狙われるかもしれない花嫁とお出かけなんて、魔王様にしてみればわざわざしたくはないはず。
(私が魔王様なら、迷うことなく別棟に閉じこめておく。うん)
リナさんはもっと枚数を用意してくれるつもりでいるようなことを話していたけど、ずっと別棟にいるなら部屋着(と黒い下着)が3着だけあれば事足りるだろう。
コン、コンとドアを叩く音が聞こえたのは、ちょうど試着が済んだ頃合いだった。
「ミクル様、いかがですか?」
私は最後に試着していた真っ青なワンピース姿を、リナさんに披露した。
「着心地もいいし、気に入りました。ありがとうございます。着るものは、これだけあれば充分です」
「でも、もし不足が出てきたときは、どしどし申しつけてくださいね。支払いは魔王様ですから、遠慮は要りません」
リナさんが『ふふっ』と笑った。
どんな小さなことでも、遠慮しないほうがいいんだろうな。
2日目にして、私にも別棟の人たちのことが段々とわかってきていた。
「それなら安心です……あっ、急にサロペットパンツがほしい気がしてきました。レオさんの掃除を手伝うのによさそうだし」
「サロペット……とは、どのようなものでしょう?」
机の上にメモ帳とペンを発見した私は、絵を描いて説明することにした。
「ストラップと胸当てがついてるパンツで……」
「こういうものは見たことがないですね。さっそく特注しましょう!」
「あと、楽なルームシューズもほしいです。スリッパはすぐ脱げちゃうし、ブーツは長時間履いてると蒸れてくるから」
「では、とびきり上等なものを探します」
「魔王様に買ってもらえるんですもんね!」
私とリナさんは目を合わせて、クスクス笑った。
それ以降、私はリナさんに借りていたワンピースを返して、青いワンピースのまま過ごすことにした。
リナさんは約束通り別棟を案内してくれた。
「立ち入り禁止の部屋とかはないんですか?」
「ミクル様が入ってはいけない部屋など、別棟には存在しません。どこでも自由に出入りしてください」
そう言ってもらったものの……
私専用にもらった部屋と朝食室に食堂、応接室の他は、魔王様の執務室と私室、それにキッチンと倉庫。あとは(やっぱり雰囲気だけ除けば、)学校の図書室みたいな書斎。
それらを除けば、何もない空き部屋ばかりで……
みんなが暇になると、応接室に集まるという理由が朧げながらわかった気がする。
「使ってない部屋が多いんですね」
「歴代魔王様の中には、子どもがたくさんいた方もいますから。プレッシャーをかけるつもりはありませんが、いずれは魔王様とミクル様の子ども部屋になります」
「こ、こ、こ、こ、子ども!?」
「いずれですよ、いずれ」
(そうだけど!)
このときまで、自分が魔王様の花嫁だという意識が、きれいにすっぽりと抜け落ちていたのだった。
(昨日寝てしまうまでは、あんなに悩んでいたはずなのに、一体いつの間に?)
今朝、レオさんと話をしていたときにも『花嫁』という単語は幾度となく出ていたはずだ。
それが、どの時点からかは不明だけれど、『花嫁』の意味を完全にスルーしてしまっていたことに、今気がついた。そして、そのことに驚いた。
『花嫁』という言葉に対して、感覚が麻痺してしまっていた?
それとも、他に気になる話が盛りだくさんだったから、そっちに気を取られた?
どうせ元の世界に帰れないんだったら、レオさんとリナさんみたいに魔王様と別棟で仲よく暮らしたい、とは思う。
使い魔以外に、生きている存在として、私が魔王様の近くにいてあげられたら……って、そんな気持ちが私の中ではっきりと芽生え始めてもいる。
だけどそれらは、『花嫁』としてではなくて、友達というか……同居人というか……
漠然とだけどイメージしてたのはそんなので……
(だ、第一、あんなイケメンで地位もある大人の人が、私なんかを好きになるとかある? …………ない。ないわ)
ひと目惚れされたはずはない。
そして、これからも私ごときに恋愛感情が向けられることはないって断言できる。
今の魔王様には、友達がいなくて寂しかったところに、召喚してしまった負い目がプラスされていると思って間違いないだろう。
だから、自分の花嫁として温かく迎え入れてくれているだけなんだ。
(あれ? そういえば、魔王様って『一生独身でいいと思って』たんじゃなかった?)
頭の中で必死に、昨日の魔王様を呼び起こした。
(そうだ、確かにそう言ってたよ!)
ということは、私は名目上の花嫁に収まっているだけでいいに違いない。
(なるほど! 理解ができた)
そうとわかれば、私は心置きなく魔王様と友達になるだけだ。
私の心が一気に晴れた。魔界にいる限り、実際にはお目にかかれないほどの快晴だ!
「別棟の案内は以上です。応接室に戻ってお茶にしましょう。先ほど買ってきたスイーツもご賞味くださいね」
「わー、魔界のスイーツってどんなか楽しみです!」
リップサービスなんかではなくて、ホントに楽しみに感じられた。