8. 魔界での生活スタート②
「あっ、そうだ」
レオさんがポンっと膝を叩いた。何か思いついたらしい。
応接室から出ていき、でもまたすぐに戻ってきた。
「退屈だろ?」
レオさんが手渡してくれたのは、どうやら魔界の若い女の子向けファッション雑誌のようだ。
「えーっ、これ誰のですか?」
この別棟の住人に該当者がいるとは、とてもじゃないけど思えない。
「リナさんに頼まれて昨日のうちに注文しておいたから、今朝の配達便で届いた。あと若い子たちの間で流行ってる小説も何冊かあるよ」
「配達便?」
「食料品とか生活雑貨とか、毎朝届けてもらってんの。ごく一般的なものなら大抵は届けてもらえるよ。ミクル様もほしいものあったら俺に相談して」
迷路のような回廊と、その周辺にいた魔獣が思い出された。
「誰が届けてくれるんですか?」
「ワイバーンだけど?」
「な、なるほど……」
それは上空を飛んでくるんだろうか。
気になったけれど、とりあえず雑誌の表紙をめくってみることにした。
「どれどれ……へえ、魔界にもこういう雑誌はあるんですね」
不思議と文字も読めた。
「だって魔王様と意思疎通がとれないと困るじゃん。そこは召喚したときに、何かうまいことやってくれてんじゃない? 会話だってできてんだし。その辺のことは俺じゃわかんないから、魔王様に聞いてみるといいよ」
ふーん。魔法って都合よくできているらしい。
レオさんが注文してくれた雑誌は、なかなか見応えがあった。
レオさんが掃除をしに部屋を出ていったあと、私は真剣に見入ってしまっていた。
※
30分くらい経った頃だろうか。応接室に入ってきたリナさんが、雑誌を覗き込んできた。
「ミクル様はそういうファッションがお好きでしたか?」
「えっ、自分が着たいとは思わないですよ。見る分には面白いってだけです」
もし元の世界に帰れるなら1着くらいハロウィン用にほしい気もするけれど、そうでないなら要らない。
「よかったです。昨日のうちに注文しておいた服とテイストが全然違ったものですから、ドキッとしました」
服! そういえば、今日までに用意してくれるんだった。
「もしかして、それもワイバーンが届けてくれるんですか?」
「いえ、魔王様の住居であるこの別棟に配達できるのは、特別に訓練されたワイバーンのみなんです。ここは謂わば陸の孤島のようなものですから、とても難しくて、1頭しかいないんですよ。ミクル様の衣料品は、私が今から店まで取りに行ってきます」
(あれ? ここが『陸の孤島』だって言うなら……)
「リナさんはどうやって外に出るんですか?」
「一旦、城まで行きます。城の外に出れば、公共の交通機関がいくらでもありますから」
ふむふむ。だけど大きな疑問が生じた。
「リナさんはあの回廊、平気なんですか?」
「このことは別棟の住民以外には秘密なのですが、警備システムは、別棟の主人である歴代の魔王様の魔力を感知できる仕掛けになっているんです。私は前・魔王様の魔力でできていますから、迷うことも魔獣に襲われることもありません」
「魔王様の魔力……」
私は、それが込められているはずの自分の指輪に視線を落とした。
「じゃあ、これがあれば?」
「ええ、警備システムを通過できます」
だったら……
「私もリナさんと一緒に行ったらダメですか?」
思い付きで発言してしまったけれど、それはどうやらリナさんを困らせてしまう内容だったらしい。
リナさんが渋い表情になった。
「それは……魔王様に聞いてみないことには……ですが、聞いたところで難しいと思います」
(そっかー。警備システムを抜けられて、私の身を守ってくれる指輪があっても、やっぱりダメなんだ……)
ダメ元で聞いてみただけのはずなのに、無理だとわかると途端にものすごく行きたかったような気がしてくる。
「ミクル様が人間ということがバレると、恐らくマズいことになります。魔族との関わりはできる限り避けるべきでしょう。魔王様がいればうまく偽装してもらえますが、私ではとてもではないですが……」
魔王様が、謁見の間から急いで私を連れ出した理由がわかった。
レオさんだけが気づかなかったんじゃない。
逆だ。魔王様とリナさんだけが気づいてたんだ。
「い、いいんですっ! ワガママ言ってしまってごめんなさい」
「できるだけ早く帰ってきます。そうしたら、別棟の中をご案内しますね」
私が入っていない部屋はまだまだあった。
住宅、それも豪邸の探検と思うと、ワクワクしてくる。
「レオさんがくれた雑誌もまだ途中だし、それを楽しみに待ってます」
(リナさんは、私の服を取りに出掛けてくれるんだから……)
私はリナさんを玄関まで見送ることにした。
掃除中のはずのレオさんも、玄関ホールにやってきた。
「お土産よろしくー」
「せっかくの機会ですから、有名店のスイーツを買ってくることにしましょうか」
「やった!」
「では行ってきますね。留守番、頼みます」
「へいへーい」
リナさんが出掛けてしまうと、私とレオさんだけが別棟に残された。
同じ使い魔なのに、こうやって外出するリナさんに対して、『別棟から出たことがない』というレオさん……
「レオさんは、自分でスイーツを買いに行きたいと思わないんですか?」
「俺? 思わないよ。だって、そういう仕様に作られてるから」
「そういう仕様……?」
「そっ。俺の仕事は、ここ別棟で魔王様が居心地よく生活できるように世話を焼くってことだけ」
「でも、仕事と関係なくプライベートで外出してみたいとかって思わないんですか?」
「思うわけないじゃん。俺、魔王様の魔力でこういう形をして動いてるけど、生命体じゃないもん」
「それって、感情がないってことですか?」
「感情はある。嬉しいとか悲しいとか、痛いとかも感じる。あっ、あとおいしいもね! さっきリナさんにお土産頼んだけど、俺ってホントは食べる必要なんてないんだ」
「えっ、どうやって生きてるんですか?」
「だから、俺は生きてないんだって。魔王様からもらう魔力で動いてるだけ。睡眠も取らないよ」
(目の前のレオさんはどう見たって、生きて動いているのに……)
理解が追いつかなかった。
「だから、決められた範囲以上のことをしたいっていう欲求はおこらないんだよね」
それって、なんだか寂しい気がする。
(だけどレオさんにとっては、それを寂しいことでも何でもないわけで……)
そのこともまた寂しいと思った。
「レオさんがそうってことは、リナさんも?」
「そうだよ。考えてもみなよ。使い魔が好き勝手に希望を言い出したら、使い魔にならないじゃん」
「そうかもしれないですけど……」
魔王様は臣下の人たちと、とてもじゃないけれど、仲がいいとはいえない雰囲気だった。
その上、近しい家族も友達もいなくて、昨日までは使い魔であるレオさんとリナさんしかそばにいなかった。
(そのレオさんとリナさんも、魔力で動いているだけで生きてない……)
魔王様の孤独が浮かび上がってくるようだった。
レオさんだけでなく、魔王様のことも寂しいと思った。