7. 魔界での生活スタート①
階下から物音がして目が覚めた。
(目を開けたら自分のベッドだったらいいな……)
そう期待していたのに、目に入ってきたのはバイオレットの天井だった。
天井と睨めっこしながら、耳を澄ませた。
魔王様とレオさんの声がかすかにする。
「じゃあ、城のほうに行ってくるから」
「魔王様、辛気臭い顔しすぎっしょ」
「だって行きたくないよ。面倒臭い」
「あはっ、しゃーないじゃん。身元不明の花嫁を召喚して、『はい、終わり』なんて、誰も納得しないって」
「他人事だと思って……」
「ごちゃごちゃ言ってないで、行ってらっしゃいませー」
「あっ、あとミクルのことだけど……」
「わかってますって。ミクル様のことは俺とリナさんに任せて。ほら、行った、行った」
それから少しして、私の部屋の……という実感はないけれど、ドアがノックされた。
「ミクル様、朝になりましたが、朝食はどうしましょう? 今日は朝食室で食べてみませんか?」
リナさんだった。
(今って朝なんだ……)
私からすると、ずっと暗い魔界にも朝と夜の区別があるのは不思議。
昨日はあれからずっと部屋に閉じこもったままで、食事もリナさんが部屋まで運んでくれた。食欲がなくて、硬いパンみたいなのをかじっただけだけど。
そしていつの間にかまた眠っていたみたい。
この部屋でウジウジしていても気分が晴れることがないことだけは、昨日のうちに悟った。
「気分転換になるかもしれないし、そうします。顔だけ洗ったら、すぐに行きます」
私の部屋には、洗面所と浴室とトイレも付いている。ゴージャスなリゾートホテルの部屋みたいだ。ただし雰囲気を除いてだけど。
「かしこまりました。朝食室は、応接室のある廊下をさらに奥に進んで突き当たったところにありますから」
※
朝食室には、リナさんだけでなくレオさんもいた。
「少しは元気出た?」
「出ないです……」
「ミクル様が元気にならないと、魔王様もしょげたままなんだよ」
「魔王様がしょげるなんて……」
言いかけて思い出した。
昨日、魔王様が私の様子をリナさんに尋ねている声は、部屋にこもっていても聞こえてきた。
「今はひとりになれる時間が必要なときです」
そう言ってくれるリナさんにも感謝だったし、それを聞いてそうっとしておいてくれた魔王様にも感謝だ。
「あまり動いていないので、軽いものにしておきました」
リナさんがそう言って出してくれたものは、パンがゆみたいだった。
でも、ミルクは野生味があるというか、獣臭いというか、どう表現すればいいのか……
私は食レポに向いていないらしい。
とにかく牛乳に比べて随分と飲みにくかった。
「どうですか?」
「どう……」
と聞かれても、どう答えたらいいものか悩む。
昨日の失敗が思い出される。
「改良の余地がありそうですね」
「すみません……ミルク? の臭いが苦手で……」
「なるほど」
リナさんは液体の入った小瓶を取ってきた。
「果汁を加えてみましょう」
小さじ1杯くらい入れてくれた。
「わっ、嘘みたい! 一気に美味しくなりました」
「それならよかったです」
リナさんは満足気に微笑んだ。
「リナさん、さっすが。ミクル様がおいしく食べてくれると、俺もうれしい」
レオさんまでついでにニコニコした。
この別棟では、昨日からみんなして私のことを気にかけてくれている。
これから先の見通しはつかなくて、不安しかない中でもそれだけはわかった。
「ごちそうさまでした」
私が手を合わせると、リナさんがお皿を片付けてくれた。
「リナさんが皿洗いしてくれるんなら、俺は掃除でも始めようかな」
「あっ、じゃあ、私も手伝います」
「いいって。昨日のあれは冗談だよ。ミクル様に掃除なんてさせるわけないっしょ」
「でも……やることがないのもツラいです」
「そっかー。そうしたら、明日からお願いすることにしようかな。今日はまだゆっくりしてな」
レオさんは今日も私を応接室に連れていって、食後の飲み物を出してくれた。
「私、自分の部屋ももらったことだし、自分の部屋に戻ります」
「今からミクル様の部屋を掃除してくるからここにいてよ。それにここは応接室っていっても、魔王様が客を連れてこないから、魔王様と俺らの溜まり場みたいになってる。みんな暇になると、何となくここに集まってるんだ」
「魔王様は友達とか招待しないんですか?」
「うーん……前・魔王様は社交的だったから友人を呼んでた。魔王様も魔王になるまではもうちょっとマシだったんだけどねー。魔王になってからは……」
(自分の住まいである別棟に呼べる友達がひとりもいないんだ……)
「今の魔王様は孤独なんだよなー」
でも、謁見の間での魔王様を思い出すと、友達がいないのも当然な気がする。
「それって、魔王様が臣下の人たちに対して高圧的な態度だからなんじゃないですか? 自業自得っていうか……」
途中でレオさんが、悲しそうに微笑んでいるのに気づいた。
「俺は別棟にいる魔王様しか見たことなくて、城で魔王様がどんな態度取ってるのかは知らないんだけど……それでも、ミクル様から見て高圧的な態度のときの魔王様がどんな思いでいるのかは、だいたい伝わってきてるわけね」
(魔界の最高権力者が高圧的態度を取るときの思いなんて……)
「でも魔王様のお母さんには友達がいたんですよね? 魔王様と違って命を狙われることもなく?」
「俺もそんときはまだ存在してなかったから聞いただけなんだけど、前・魔王様は即位のときに圧倒的な力を見せつけるために、パフォーマンス的に反対派を粛正したんだって」
「えっ、なんだか物騒!」
「うん。魔界のあちこちを大災害レベルでめちゃくちゃにしたらしいよ。魔族って魔法で破壊することはできても修復することはできないから、そのあとが本気で大変だったみたいだね」
奇想天外すぎて、私では想像ができない。
「魔王様が即位したとき、前・魔王様からは『同じことしろ』って言われたけど……」
「えっ!?」
背筋がぞぞぞーっとした。
「だけど、魔王様はそれを拒んだんだ。命狙われる度……っていっても1年に1回あるかどうかなんだけど、その度にそいつらだけ罰してる。面倒だと思うんだけど、『そのほうが被害が小さくて済むから』って」
(ほっ……)
とんでもなくヤバそうなことはしない、と判断する人でよかった。
「でも……魔王様も大災害レベルの圧倒的な力を持ってる?」
「持ってる、持ってる。もしかしたら全盛期の前・魔王様を凌ぐかも。なのにそれを見せないから、他の魔族の連中からはちょっとナメられてるっぽいんだよねー。悔しいなー」
(いやいや、見せないでいいですから!)
「魔王様は平和主義者なんですね」
「魔族には珍しくね。そのくせに魔王なんかやっちゃってるから、魔王様ってホントに淋しいんだよ。だから花嫁であるミクル様だけでも、仲よくしてあげてよ」
「な、仲よく……?」
(大人の男の人、それもどのぐらい強いのかは正直わからないけれど、とにかくめちゃくちゃ強いんであろう魔王様と仲よくなんて……)
「ミクル様がまだ花嫁の自覚なくても、それだけは頼むよ」
「でも……私なんかが仲よくしたって……」
「『私なんか』じゃないんだって。昨日も言ったけど、魔王様はミクル様のことを自分の花嫁だって認識してる。それも唯一の。この重大さ、わかる? 花嫁が何人いてもいいのに、ただひとりって決めてるんだよ?」
「えっ、何人いてもいい!?」
「驚くポイント、そこじゃないから!」
(いやいやいや、驚くから!)
「なら、前・魔王様もたくさんお婿さんがいたんですか?」
「ううん。前・魔王様は結婚してない」
「あれ? なら魔王様のお父さんは?」
「わかんない」
「わかんない?」
「うん。父親が誰だか、魔界中のみんな知らないんだって。前・魔王様って、そういうとこ自由な人なんだよ。魔王様にも父親がいればよかったんだろうなー。前・魔王様は、母親って感じじゃなかったし。魔王様のこと、息子っていうより後継者として育ててたんだよね。だから本気で孤独なんだよ、魔王様って」
「そんな……」
(友達どころか、家族もいないに等しいってこと? 心を許せるのは、レオさんとリナさんしかいない?)
「可哀想だと思ってくれる? だったら仲よくしてあげてよ」
「で、でも、具体的にどうすれば?」
レオさんの話を聞いているうちに、私はすっかり仲よくする気になっていた。
けれど、その方法がわからない。
「そうだなー。昨日みたいに自分の部屋に篭ったりしないで、なるべくこの部屋で過ごしててよ。そうしてれば魔王様と会話する機会もできるし、自然と仲よくなってるんじゃないの?」
(なんだ、そのぐらいなら……)
私だって魔王様とはうまくやっていきたい。というか、うまくやっていかないと魔界では死活問題だ。
「……やってみます」
「ありがと。実は魔王様、昨日からミクル様のこと心配しつつも、ちょっと浮かれてるから」
心配してくれてたのは知っていた。でも……
「浮かれてる?」
「うん。自分の家族になってくれる子を別棟に招くことができて。必死で隠してるけど、残念ながら俺にはわかっちゃうんだよねー」
レオさんは『クックックッ』と楽しそうに笑ったけれど、私は恥ずかしくなってしまった。
この笑い方は魔王様と似ていると思った。