3. ウェルカム・トゥ・ザ・魔王城③
魔王様から手を離した途端、背中がゾクゾクするのを感じた。
すると間もなく、今歩いてきた回廊から猛獣の鳴き声のようなものが聞こえてきた。
私は反射的に回廊を振り返った。
「えっ、どういうこと!?」
ここまで来るのに一直線ではなかった。何度も曲がったし、階段も上り下りした。
(だけど一本道だった。絶対に!)
そのはずが、今視界に入っている回廊は分岐しまくって、上下左右複雑に絡まっているように見える。
そしてその合間に、見るからにヤバそうな生き物がいる。ライオンやらコンドルの進化形みたいな。
進化形といっても、ネコがライオンになるみたいな、非現実的な進化を遂げないといけないレベル。
「魔王やるのも大変なんだ」
魔王様はもう1度私の手に優しく触れた。
すると回廊は元のすっきりとした一本道に戻り、ヤバい生物も消えてしまった。
「僕、命狙われることあるから。そのための警備」
「そんなあっけらかんと言うようなことですか!?」
(魔王様の日常はサバイバル? 大変過ぎる!)
「それで非常に言いにくいんだけど、ミクルは僕のお嫁さんになっちゃったから……」
魔王様が顎を引いて、上目遣いでこっちを見てきた。
「突然しおらしくなって、何ですか?」
嫌な予感しかしない。
「ミクルも命、狙われちゃうかもしれないんだ」
「はあ? そういうことをあとから言わないでください! どういうこと? 何で?」
「落ち着いて」
「これが落ち着いていられる話ですか?」
「だけど、しょっちゅう狙われるわけではないから。それにこの別棟にいる限りは安心していい。ただ、別棟を出るのは僕と一緒のときだけにしてねってだけ」
「それって軟禁!」
「軟禁なんてつもりはないよ。お嫁さんの命を守りたいだけ。あっ、レオはここから出たことないよ」
レオさんが何でもないことのように笑った。
「別棟だけでも、掃除にウンザリするぐらい広いから心配すんな。あっ、運動不足にならないように掃除手伝う?」
(危険なんだか平和なんだか……)
私の中には絶望しか見当たらない。
(なんだろう? 頭がクラクラする……)
私は咄嗟に目を手で覆った。
「ミクル? どうした? そこのソファに座ろう。おいで」
魔王様が私を支えて中へ誘導してくれた。左手の炎はいつの間にか消えていた。
別棟の中は明かりが点いていた。
(暗くても見えるくせに、明かりは点けるんだ……)
ぼんやりする頭でもそんなことを思った。
別棟も石造りだけれど、絨毯が敷き詰めてあるし、家具や装飾品もあるせいか、雰囲気が寒々しくない。
(……私の趣味とは違うけど)
よろけながら、だだっ広い玄関ホールの隅にあるソファまで辿り着いた。
ソファに腰掛けようとしたつもりが、そのまま倒れ込んでしまった。
「うわっ、危ない! ミクル、大丈夫だった?」
視界がボヤけている。これは脳貧血かもしれない。
「こういうときは魔王様や俺より、女性のほうがいいんじゃない? リナさん呼んでこよっか?」
「そうだね、そうして」
レオさんの革靴の音から、駆け足なことがわかる。
口は悪いけど、本気で心配してくれている。優しい人だ。
悪態をつきながらも優しかったであろう思春期の魔王様も、ついでに想像できた。
それにしても、乗り物に乗っていないはずなのに、乗り物酔いしたような気分。
「水でも持ってこようか?」
水を飲もうと思ったら上体を起こさないといけない。
それよりも今は横になっていたい。
「いえ、今は要りません。たぶんこのまま横になっていれば、そのうち頭に血が回って治ります」
目を閉じると、自分の体が渦に巻き込まれてグルグル回転しているみたい。
本当は足をソファに、もっというとアームレストに上げたいところだった。
でも素足で歩いたせいで汚れているから、足はソファから出して下ろしていた。
「あー、そういうことか。ちょっと失礼するね」
魔王様は私のおしりの横に座った。
そして私の足をひょいっと持ち上げて、自分の膝の上に乗せた。
「魔王様の着てる物が汚れます」
「洗濯するからいいよ。どうせすぐ着替えるつもりだったんだ。この服、着心地悪くて好きじゃないんだよね。『威厳を保つために着てください』ってリナがうるさいから、臣下に会うときだけ我慢してるけど」
「そんな服ますます汚したらいけないじゃないですか?」
「リナは洗濯がものすごく上手いから、きっと綺麗にしてくれるよ。あっ、リナっていうのは正確には僕の母親の使い魔なんだ。でも母親に命じられた僕の監視をしながら、レオと一緒に僕の身の回りの世話もしてくれてる」
「魔王様を監視……?」
(魔王様って、1番偉い人なんじゃないの?)
「僕の母親は前・魔王なんだ。女魔王ってやつね。母親から譲位されたとき、僕がめちゃくちゃ嫌がったから、真面目にやらないんじゃないかって心配だったんだと思う」
「魔王様は魔王になりたくなかったんですか?」
「当たり前でしょー。臣下たちは協調性ゼロなんだよ? 言うこと聞かないで喧嘩ばっかするし、おまけに僕の寝首をかこうとしてくるし」
(あっ、そうだった!)
どう考えたって簡単な仕事ではない。
「その辺はミクルも魔界に住んでるうちに、おいおいわかってくるよ」
「魔界!?」
(ここ、魔界なの? 地球の裏側じゃなくて? 私、とんでもないところにいた!)
でも魔王様がいるんだから、魔界なのも当然かと思い直した。
そんなことよりも気になることがあった。
「私がここに住むって、どういうことですか? 私はすぐにでも自分の家に帰りたいんですけど」
「それは体調がよくなったあとで、ゆっくり説明するよ」
「今っ、今説明してきますださい!」
けれど、革靴の足音に混じって、カツッカツッという細いヒールの音が聞こえてきた。
「リナー! こっち、こっち」
ソファで横になっていた間に気分は少しよくなっていた。
私は足音の聞こえてくる方向に顔を向けて、薄く目を開けた。
魔王様から『リナ』と呼ばれたその人は、魔王様の監視役というよりも霊媒師っぽい……
ダークグレーのロングワンピースに、髪はきっちりとしたお団子。痩せていて、頬もほっそりしている。
(濃い青紫の口紅が似合い過ぎっ!)
別棟の警護だという猛獣とは、違う意味でヤバそう……
年齢は50ぐらいに見えるけれど、もっと上かもしれない。でも、この服装のせいで実年齢より老けて見えるだけで、実は若い可能性も考えられる。
(年齢不詳過ぎでしょ!? 魔王様はよくこの人を呼び捨てできるね?)
魔王じゃなくて勇者だと思う。
ふとリナさんがもし担任の先生になったら……と想像してみた。
元々行きたくなかった学校にますます行きたくなくなって、ついに行けなくなりそう……
「リナ、この子が僕のお嫁さんのミクルなんだけど、」
(ひいっ!)
リナさんが目を細めて、私ではなく魔王様を見た。
けれど魔王様は少しも怯む様子はなかった。慣れっこなんだろう。
「はい、たった今レオからそのように聞きました」
「なら話が早くてよかった」
(全然よくないって! 魔王様、リナさんのこめかみに気づいてー!)
「具合が悪くなっちゃって」
「わかりました。私が付いていますので、魔王様はご自分の仕事をお願いします」
「言われると思ったー! でも何かあったら教えてくれる? あと、体調がよくなっても教えて」
「かしこまりました」
「絶対だよ? ねえ、ホントにわかってる?」
「しつっこいですね! わかりましたから、さっさと仕事に戻ってください!」
リナさんから叱られると、魔王様は私の足をそうっと下ろしてソファから立ち上がった。
そしてリナさんの耳元で何か話した。
リナさんは頷いた。
「ええ、私も気づきました」
「さすがリナ。レオは未だ気づいてないと思うんだ」
「えっ、まさかと思うけど、ふたりで俺の悪口言ってんの?」
リナさんの後ろにいたレオさんが反応した。
「言っとくけど、俺の悪口はそっくりそのまま魔王様に返るよ? 魔王様の爪の垢を煎じてできたのが俺だから」
「そうだね。しかもガキだった頃の僕の爪だもんね。母さんの爪の垢から作られたリナとは違うよなー」
「『ガキだった』って言い訳するなんてダッセー」
「レオ、やめなさい。魔王様もいい加減、仕事にお戻りください」
「はーい。じゃあ、リナはミクルのことくれぐれもよろしくね。それからレオはミクルの部屋を準備しておいて。僕の大切なお嫁さんに相応しい部屋だよ」
魔王様は私を心配してくれて、何度も振り返りながら階段を上っていった。
そして階段を上り終えると最後に手を振り、それから通路の奥へと消えた。