1. ウェルカム・トゥ・ザ・魔王城①
学校なんて常に行きたくない。
けれどそんな中でも、行きたくない気持ちが特別に強くなるのは月曜の朝……
(今日が日曜なら……ううん、永久に日曜だけを繰り返してくれればいいのに……)
全身が重くて手足どころか瞼すら動かせなかった。
それでも頭の中だけは起きていて、朝が来ていることは認識していた。
(あとどれくらいで目覚ましアラームが、この平和に終わりを告げる? 30分?)
ひょっとすると残り5分もないかもしれない……
頭まで隠れるように掛け布団を引っ張り上げ、外の世界を遮断する。
(あー、本気で学校行きたくない。学校なんてなくなってほしい! 学校に隕石が落ちればいいのに!)
学校を呪った。心の底から。
その瞬間だった。
なぜかベッドに寝ていたはずの私は落ちたのだ!
何に? って、底なしなんじゃ……と思うような深い深い穴に!
ベッドに穴が空いたのか、ベッドが消えてその下に穴が出現したのかもわからない。
気づいたら、穴のずっと深いところまで落下していた。
(呪った相手が人ではなくて、学校だったから穴はひとつで済んだ?)
まあ、落ちるのにひとつもふたつも同じなんだけど……
*
底なしではなかった。
はるか下方に地面らしきものが見えてきた。
(何あれ? 御影石? あんな強度ありそうな床、いやーっ!)
衝撃が来るかと体を丸めて身構えた。
しかし着地の直前、私は密度の濃い、真っ白な煙に包まれたかと思うと、急に落下速度が下がった。
そして、ひんやりする床にふわっと落ちた。
何が起こったのかさっぱりわからない。
(でも私、生きてるっ!)
恐怖と安堵とがぐちゃぐちゃで、涙がボロボロ溢れた。
私を取り巻いていた白い煙が徐々に薄くなっていく。
(ここは……どこ?)
私は天井が高くて、だだっ広い部屋の中央にいたのだ。
部屋というより、石造りの体育館……のような……?
この場所に見覚えは皆無だった。
そして、ギョッとした。
大勢に囲まれ、それらの視線を一挙に集めていることに気がついて。
(体育館に集まって、ハロウィンの仮装行列の練習でもしてたとか? 頭についている角は、カチューシャかヘアピン?)
私も似たようなのを、去年のハロウィンで付けた。もっとずっと安っぽい(実際安かった)ものだけれど。
ここにいる人たちが付けているのは、精巧な角だ。
(本物の動物の角を使っていたりして)
衣装もペラッペラでなくて、その本気度が窺える。
私の正面は壇のようになっていて、そこに立っている男の人は、一際大きな角に重厚な衣装とマントを身につけている。
この前『30になった』と言っていた担任よりは若くて、新任の英語の教科担任よりは上だと思う。
(ということは20代半ば、ってところかな?)
腰まであるストレートのロングヘアはかつら?
そして、今まで会ったことがないくらいのイケメンだった。
切れ長の目に、すっきりした鼻筋。
(これほど美しい王子様、というかこの服装は魔王様なのかな……がハロウィン行列にいたら、沿道は盛り上がるだろうな)
だからこそ、この体育館にいる人たちの中では若いほうなのに、大役を任されることになったんだろうか?
そうだとしたら納得だ。
(……あら? あらら?)
その規格外なイケメンの顔がだんだんと大きくなる。
魔王様っぽいイケメンは壇上から降りて、私に向かって歩いてきていたのだ。
(もしかして私を助けようと? 私がどこから来たのか知っていて、帰してくれるとか?)
しかしその割にはその表情は冷たく、まるで何の感情も宿していないみたい。
至近距離まで迫られ、まじまじと見つめられた。
背中がゾクッとした。
「あ……あの……」
魔王様は一見、表情を崩さなかった。
けれど、私にしかわからないほど微かに目を見張ったのを、私は見逃さなかった。
それから一呼吸置いて、ようやく私に話しかけてきた。
「僕の花嫁、」
(……ん?)
この人、今何て言った?
「名前は何という?」
「内藤ミクル……です」
周囲からヒソヒソ話が聞こえてきた。
「ずいぶんと貧相だな」
「それに弱そうだが、あれで魔王様の花嫁になれるのか?」
また『花嫁』と聞こえた。
しかも今度は『魔王様の花嫁』と……
(思った通り、この人は王子様でなくて魔王様役で合ってたんだ)
ところで困ったことに巻き込まれた。
私も仮装行列の参加者、それも魔王様の花嫁役と間違われているらしい。
「あ、あの……私、花嫁じゃないです。勘違いしてますよ。それと私は家に帰りたいんですけど……」
「何?」
魔王様が私をにらんだ。
(ひいいぃぃー、この人イケメンだからじゃなくて、眼光が鋭いから魔王様役に選ばれたのかも!? ううん、『かも』なんかじゃなく、絶対にそうに決まってるー!)
周りもザワついた。
そして、ひとりの高慢ちきそうなおじさんがわざわざ顎を上げ、私を見下ろすようにして言った。
「魔王様、こんなみすぼらしい娘など、さっさと送り帰しましょう。やはり魔王様の花嫁には、ぜひぜひ私めの長女を!」
すると次々に声が上がった。
「貴方のご息女は筋力ばかりが取り柄ではないですか。その点、私の三女は魔族一といわれる器量よしです。魔王様と並んでも見劣りしません」
「それでしたら、我が家の二女は……」
「いやいや……」
必死の売り込みは、真に迫っていた。
そして魔王様のイライラを募らせる様子も。
(仮装行列の練習じゃなくて、演劇の練習中だった?)
「黙れっ!!」
広いこの部屋にそのひと言は響き渡り、そして静まり返った。
「僕は、我が花嫁に相応しい娘を召喚した。そしてこのミ……クル?が召喚されたのだ」
(あっ、魔王様、私の名前はちょっと自信なさ気)
笑いそうになったけれど、そういう場面でないことはわかる。
私は口もとを引き結んだ。それと同時に自分にそんな余裕があったことに驚きもした。
「し、しかし!」
「何だ? 僕の召喚魔法を疑うとでも?」
「と、とんでもありませんっ。そのようなことは決して、」
「なら黙れ! 僕の花嫁はこのミクルだ。そして召喚の儀式前に宣言した通り、僕の花嫁はただひとり。今日はもう疲れた。これにて解散すること!」
魔王様は私の腕を引っ張り上げようとした。
「痛っ!」
魔王様は私の耳元で囁いた。
「悪かった。急いでて。でも危険な目に遭いたくなければ、僕と一緒においで。早くっ」
(き、き、危険!? それって、劇中での話ですよね? そういう設定の場所ってことですよね?)
それにしては魔王様の目が真剣すぎる。
(ここは本当に危険なのかも?)
自分の周りを360度見回した。
蔑むような視線がほとんどだけれど、中には憎むような視線まで……
魔王様だけが、私のことを真剣に心配してくれているように見えた。
とにかく一刻も早く帰りたい。帰ったら学校に行かないといけないにしても。
そのことを相談できそうな相手は、この場にはひとりしかいない。
私は自分の足で立ち上がった。
膝がガクガク震えている。
だって、訳の分からないこの状況が怖くて仕方がなかったから。
魔王様はおもむろに黒い手袋をはめた手を差し出してきた。
私には魔王様のその手にすがるほかなかった。
「では行こう」
そうして魔王様に案内されて、私は体育館のような部屋から退出した。