守人
皆様の作品を無料で読む事に罪悪感を感じ、義務感から投稿します。初めての小説、初めての投稿、どうぞよろしくお願いいたします。
守人
形を創られたものには意味がある、しかしその伝えは既にこの世には無い、障りから逃れる事はできない、聞くな見るな知るな、探すな触れるな言霊を残すな。宙に誓い永遠に。
(僕の話)
東京から東北自動車道を5・6時間走ったインターチェンジから、更に2時間ほど入った山間の村に、小学校の夏休みに親と帰省した時の話。
窓から入る日の勢いにTシャツから出た左腕がじりじり焼かれ、眠っていた体が覚醒し痛みを感じたので車内の日陰に体ごと避難していると高速道路を下りた。
運転席の親に了解を取り助手席の窓を開けると、冷房で程よい車内と変わらない涼しい風が顔を撫でた。
2車線の山道をしばらく走った後、途中の道の駅で遅めの昼食を取り、奥に見える川で釣りをしたいとうずうずしていると、実家で散々出来るだろと言われさっさと行こうと車に乗り込んだ。
大きい車が通る杉ばかりの道から、村の入り口の狭い道を左に曲がるとき、運転席の親がやけに左前方を気にし左のミラーを見ながらゆっくり曲がるので何かと聞くと、見えずらい所に柱状に飛び出した石があり、車の側面をぶつけてしまわないよう気を付けてるとの事。
とても邪魔で村人の何人かが痛い出費をした事も有、一度村の仲間で協力し掘り返すか、削って取り除こうとしたらしいが、とても硬いので手持ちの道具では削れず、掘り返そうにも全貌が計れないくらい大きいらしく諦めたそうだ。気を付けていれば大丈夫なので放置する事になったが”いじわる石”という汚名を着せられていた。ただ宅配業者の少し大きな車や時折訪れる人にとってはとても不評だそうだ。
左手にある川を魚が見えるわけでもないのに凝視しながら上り、よく釣れる場所の飛行機岩(岩の下部がえぐれて浮いているように見える岩)を確認し、川沿いにあるアケビの木に実が無いのを残念に思い、赤い欄干の短い橋を渡ると濃い緑の匂いがする村に到着した。
村の神社の鳥居が無くなっている事に気付き、親に聞くと日本全土で災害が多かった年、この地域でも昨年秋の大雨により土砂災害があり、人的被害は無かったとの事なので安心しましたが、お祭りをする場所でもあった山の中腹にある神社が被害にあったそうです。
平らな敷地部分が社ごと正面の階段方面に崩れ、下の鳥居の足元を埋め尽くしたそうです。
その後現場の調査のため、村の人間が敷地に入ると遺跡らしきものが露出しており、観光に利用できないかとにわかに活気付いたそうですが、いかんせん出てきたものは、円形に配置された上が平らで人が立てるサイズの石が5つ、地面から40cmくらい突き出していて座るにはちょうどいいが、座って話すにはちょっと距離が遠い感じのもの。多少形に崩れはあるがいじわる石に似た色合いで自然にできたとは思えない円柱が地面に突き刺ささっている程度、伝承がどうのこうのと話がでたが、口伝だったためほぼほぼ失われておりだから何?程度のものだったそうです、一時の熱は冷め村の神社の再建が先だろうと、これ以上の調査は予算的にも難しく実質打ち切られたそうです。
赤いコーンとトラ色の棒で一応立ち入り禁止状態になっていましたが、遺跡と言われワクワクが止まりません。村に行くと遊ぶ同じ年の友人に話を聞き、現場に入れるか確認すると先に到着していた帰省組4人を巻き込み、親の目を盗んで早速進入しました。その日は災害がなければお祭りの日でした。
到着が遅かった事もあり日は既に傾いていて、さすがに真っ暗になってから家に戻り怒られる勇気は無かったので僕たちは急いで山の中腹に向かいました、現場を見た途端それぞれの子供達は、それが当然かのように石の上に立つと、やはり一番背の低い幼い子が石に乗れず真ん中に残され、みんなでからかって遊んでいました。
日の光は既に山肌を舐めており、日の光はすぐにでも途絶えそうでした。石の上に乗れない子が変わってくれと、周りにお願いしているうちに日の光が途絶えた途端、地面から大きな音が響き、細かく振動しました。びっくりして石の上でしゃがみ込み辺りをきょろきょろし周りに変化が無い事を確認すると、みんなを見ました。
石に乗れなかった子が地面に倒れていました、駆け寄り様子を窺うと意識はあるようでしたが意味不明
な言葉を発していたため、あわてて村の子が親を呼びに駆けていきました。僕たちはそこに残りましたが
どうしていいかわからず、大人がくるまでちょっと離れた場所で見ているしかできませんでした。
どんどん暗くなっていくなか、ものすごく不安でした。
大人が到着すると、何をした?、何があった?と問い詰められましたが、なぜそうなったのか解らなかったので首を横に振るだけでした、家に戻り少し落ち着くと経緯を両親に話す事が出来ました。
村のため救急車を呼ぶより車で連れて行く方が早いと、その子の親が病院に連れて行きました。
2時間ほど走った総合病院では原因が解らず、都市部の病院に行くことになったと後で聞かされました。
現場にいた子供たちと、到着した警察官が話をしましたが、当然何も解らず、子供たちが聞いた音も
村の人たちは聞いていないそうです。その後2泊ほど村ですごしましたが、例の事もあり釣りも虫取りもあまり楽しくありませんでした。滞在中に事故にあった子の詳しい状況は聞けないまま東京に戻りました。
(僕の話)
友人からその後の事を聞きました、被害にあった子は精密検査の結果右の脳が無くなったそうです、正確には無くなったのではなく、委縮していたそうです。
各専門家が本人と現地の調査をしたそうですが原因は不明だそうです。
約10年が経ち、村の友人は役場勤めになり、僕は大学生になりました。友人は歴史編纂の仕事に関わっていて当時の事もあり、資料に簡単に手が届く環境を利用し自分の村の事を調べていました。
自分の親から聞いた話等を合わせ調べて行くうちに、当事者の方に近い人間がまだご健在との情報を仕入れ、一緒に話を聞きに行かないかと連絡がきました。僕も当時の事が忘れられないのと郷土誌に興味があったので一緒に行く事にしました。
(おばあさんの話)
事故のあった時、僕が帰省した時にはすでに横浜の娘夫婦の所で暮らしていたおばあさんの所へ、休日に予定を合わせ友人と共に東京から1時間半程度の場所へ話を伺いにいきました。
まず、事故の事をおばあさんにも伝え、とてもショックを受けておられました。事故にあった人は現在障害は残ったものの動作はゆっくりですが自分一人で生活をおくれている事を伝え、時間を置き落ちついた頃お話をしていただきました。
当時お盆の時期にある儀式がかの場所で日暮れ前に行われていました、村長が代々受け継ぐそうですが、儀式の間隔が長く1世代では儀式を行わないまま次世代に引き継ぐ事もあり、管理が大変そうな印象でした。儀式そのものはとても簡単で村人であれば誰でも見学可能でした、出店こそありませんがお祭り前の前夜祭のようなものでした。儀式の無い年は、山の懐にある神社で儀式を模したお祭りがありました。5人で円陣を組み、真ん中に巫女を招き入れるという物です。
神社裏手の山の斜面に不自然に平らな広場があり、そこに5つ円柱状の石があるのですがその上に内側を向いて5人の子供が立って、中心部分の地面を見続けるように言われるそうです。5つの円柱の内側は少し地面が窪んでいてすり鉢状になっていて、その姿は高い所から低い所を見つめているため、5人は中心に向かって頭を下げて令をしているように見えました。
特に儀式的な祝詞も無くただ見つめていればいいそうです、地面を見つめてからしばらく後、中心地に大人一人(村の上役の女性)と子供が一人(おばあさんの友達の女の子)が入ってきました、周りで立ってる子供たちに男女の区別はありませんでしたが、中心には入れるのは女性だけのようです。
周りで見ている村人も石の外側で円になっています、皆の中心に入ってきた二人は両手を取ってお互いを見つめます、これからどうなるのか不安が立ち込めますが、周りの大人たちは多少緊張感は見られるものの普段どおりに見えます。村長さんがちらちら時計をみていました。
そんなに時間はかからなかったと思います、とつぜん地面の下から雷が聞こえました、空ではなく
あきらかに下から音が聞こえると、中心地の子どもの方の体がぐらつき大人が支えます。
大人が確認すると友達はしっかり自分の足で立ち直しました、ただ友達の様子が変わっていました、目の焦点が合わず、視線がきょろきょろと定まっていませんでした。
村人は儀式の詳しい内容は知らないので今起こった事にはビックリしていました、しかしこれからおこる事象を代々受け継いで聞いているので、周囲の大人達はこれで安心だな等と言い合い自宅へ戻っていきます。
私はさすがに不安になり友人の女の子に向かって〇〇ちゃんと呼んでみますが、こちらを向いてくれません、そのまま村長の家へ連れていかれるようで、見送る事しかできませんでした。
その後その子に再び会えたのはしばらく経った後の事でした、その頃にはすっかり元通りの友達でしたが、当時の事からその後の事はどんなに聞いても話してくれませんでした。
自宅に戻ると、両親から今後についての話がありました、村人として注意する事、行わなくてはならない事、を聞かされました。よくわからない内容もありましたが別に怖い話でもなくすんなり受け入れました。〇〇ちゃんは心配ないよと親に言われました、あの儀式に選ばれるのは非常に光栄な事だと言います、私に選ばれなくて残念だったねと言っていたくらいです。
それでもやっぱり友達に起こった事なので、物知りなお年寄りにいろいろ聞いてまわりましたが、
制約は暮らしの拠点を村に残す事、別に一歩も外に出るなとかも無く短い旅行程度なら大丈夫だそうな事、おばあちゃんになった人とちっちゃい子の組み合わせ(この言い回しが不明でしたが、もの心ついて解明、閉経後の女性と初潮前の女性との事、閉経後何日以内の制約ありそうですが、儀式がお盆限定なので1年の猶予はありそう)とそれくらいしかわかりませんでした。
他にも当事者が儀式前に死亡の場合した場合や適応する子供がいなかった場合はどうするのか等、気になるといろいろ出てきて聞きましたが不思議と今までそのような事は無かったそうです。
この村は守られているから・・とお年寄りはいいます、たしかにとてもおおらかな人ばかりで、とくにいざこざや事件・困った事や災害や飢饉が起こった事が無いそうです。
月日が経ち儀式の詳細は今となっては失われてしまい知る事ができません、当事者と村長だけが詳細を知る、しかも口伝のみの制約では過疎と化した村では残らなかったのでしょう。
その後村の子どもたちは、それぞれ町に向かい疎遠となり現在その友達がどうしているかは知りません、
私の代で実家を掃い娘夫婦の厄介となりました、村に行く事も無くなりました。その後次の儀式を行った
という話も聞こえようがないため分かりません。別に呪われるとか生贄だとかの儀式ではなかったので、あまり気にしていませんでした。
これは想像ですが、あの儀式はいい意味であの村の平穏を守るものだったのでしょう、閉経した女性から初潮前の女性へと受け継ぐ儀式が途絶えたから今回の土砂災害に襲われたと考えるのは村の者だけでしょう。
実はと、昔にも一度事故がありましたと話の続きをお話していただきました
実際に儀式を見ていた当時の子ども達が翌年のお盆に見様見真似で事故が発生しました、命は助かりましたが状況は悪く今後ふつうの生活は送れないような酷い事故でした。いままでも悪ふざけで子供たちが立ち入った事がありましたが、何も起こらず心配ないものとの認識でいましたが、どうにも今回は条件が揃ってしまったようでした。
儀式を行った前代の女性がそのショックによりこれ以上犠牲を出さないよう、今代の女性を最後の儀式者として現場を潰すよう村に相談しました。
本人達は儀式の詳細(本質)は知っていたはずでしたが、長い歴史の中で続く安寧が通常になっており儀式の意味を実感する事ができなくなっていたのではないでしょうか?、本当の所は分かりませんが。
村長と村人で判断し、丁度村の神社が老朽化のための移築計画があったので、くだんの地へ社を移す事になりました。
しかし実際の工事が始まり、石を取り除こうとしても刃が立たず結局埋める事にしたため、今回の事態に繋がったようです。
(僕の話)
おばあさんに貴重な話のお礼をいい、退去しました、一応何かあった時に備え、携帯番号を記入したメモを残してきました。
親が村人で東京で育った僕としては不思議な話だと思いました、親にも聞きましたがおばあさん以上の情報はありませんでした。ただ余談として村の七不思議を教えてもらいました。
一つ目は村の女性は同じ名前の人が多いとの事、二つ目はいじわる石はあと4つあるとの事(2つは発見しており道路のいじわる石と合わせ2つ、あと3つは不明)、三つ目は風が真上から吹いてくる、四つ目はニュース速報には出ない地震が多い、五つ目は・・・。と話がそこで止まってしまい四不思議だねとツッコミ、思い出したら教えてくれと言っときました。
後で教えてもらいましたが、古い神社に空に向かってクロールで泳ぐお化けが出ると、村長の髭はアンテナで何かを受信している・・・と、しっぽが縞々の狸の親子が川で拝んでいる(アライグマ?)でした。残り三つは笑えました。
事故については1度目も2度目もたまたま不運が重なったとしか思えません、2回共一人欠けた状態で当時の儀式と同じ状況が重なってしまった。儀式の時刻も子供の行動時間内の夕刻というのも要因でしょう。今後もあの場所を調査するでしょうが、同じ轍は踏まないように厳重な管理を期待します。
1度目の方は事故後しばらくして亡くなったそうですが、2度目の当事者の子は今も村で暮らしているそうです、なんでも人間は片方の脳が機能しなくなっても、もう片方で不都合を補うそうです。重い障害ですがゆっくりであれば一人で何でもできるそうです。
おばあさんにあった時、誰かに似ていると思いました。話が終わり友人と共に自宅に戻りましたが、どうしてもその思いが消えませんでした。狭い村なので一族の中に似た人は当然いたでしょうし、自分も村に行った歳に似た人を見たんだろうなと納得しようとしていると、後日一緒に行った友人から連絡がありました。
彼も同じ思いであったらしくおばあさんが誰かと似ている、いや見たことがあると言いました。
町村の合併のため、資料整理など忙しく働いていた時、昔の村の写真が出てきたそうです、石を載せた屋根、隙間が見える外壁、土の地面、着物姿と100年は前の写真で、米軍から寄贈された村の記録写真の中に、おばあさんがいると言うのです。
それこそ話してくれたおばあさんのおばあさんのじゃないの?と僕は聞きましたが、友人は同一人物だと言い張ります。それじゃこの前あったおばあさんはいったいいくつなの軽く答えました、それなら写メを送るから見てみろというので、見たところ今より若いですが全く一緒の顔が携帯の中にありました、家族で似ている人間はいるでしょうが、これは似ているのではなく同じ人だと直感でわかり、今度のお盆休みに村に行くから他の資料も見てみたいと友人に連絡しました。
(友人の話)
村で育ち、長い休みになると昔村で暮らしていた父の友人家族が遊びに来る。飛行機岩よりも魚が釣れるポイントを発見したと伝えるのを楽しみにしていた。
午後遅めの時間に友達が到着すると、神社の鳥居の事を聞かれ面白い物があるよとそそのかしました、
しかし仲間を集め現場へ案内した事を今は後悔しています。
親からこの村の伝承を聞かされて育ちました、この村が世界の全てだった頃は何の疑問も無く全てを
受け入れていましたが、事件後友達と話したり、時間が経ち情報が手に入る時代になって来ると、この村は特異な環境ではないかと思う様になりました。
痛い・苦しい・辛いとかのネガティブな行いでは無い為、あまり深刻にならずこつこつと調べて行きました。その中で儀式の事を知っている方がご健在と聞き友達と話を聞きに行きました。
儀式の内容を聞くことが出来、得た知識で他の地域の歴史と自分の村を比べると不思議なくらい平穏な事がわかりました。あの儀式に意味があると確信するようになりました。
特に街に興味は無かったため学校を卒業すると役場で働く事になりました、村の緩い環境で村の歴史をまとめる仕事を勝ち取り、簡単に資料に手の届く状況となりました。
丁度、町村合併のため資料が溢れ返り、その中の米軍寄贈の資料に目が止まりました。
戦時中隣町にパラシュートの紐を作る組紐工場があったらしく、攻撃の対象になったようです、(上空から攻撃対象が撮影されており、その建物にタクティカルマークの十字が照準されていました)実際は攻撃されませんでしたが、戦後に米軍が周辺の村まで含めて調査に来たそうです。
戦後の友好関係が進み、歴史資料として日本全国へ寄贈された調査資料の中に私の村の写真があり、興味深く見ていると飛び上がりました、友達と話を聞きに行ったおばあちゃんがそこに居ました。
慌てて友人に連絡を取り、写真をメールで送信すると軽口を返してきましたが、よく見てくれと念を押し本人ならば概算で160歳は超えているだろうと伝えました。
(僕の話)
お盆休みに入り明日村に行こうと自宅で準備していた所に電話があり、おばあさんがいなくなったと娘さんから連絡がありました。いなくなるとはどういう事かと聞き返しましたが、部屋の荷物がかたずけてあり貴重品が無くなっているとの事。
一昨日の昼ごはんを一緒に食べたあと、娘さんが夕食の買い物に出かけ帰った時には居なかったそうです、年齢の割には矍鑠としており、しょっちゅう出かけるので心配はしていませんでしたが、日が変わる頃には警察へ届けでたとの事。
わかりましたと言ったものの、何をどうすればいいのかわからないまま翌日田舎へ向かいました、朝早く出かけ午後2時頃到着すると、警察車両がおり村人に話を聞くと前日の夜おばあさんと、村に住んでいた昔事故に事故にあった方が現場にいたとの事、ただおばあさんは亡くなっており、連れて行かれた方はそこで放心状態で見つかり現在は病院で検査中だそうです。
(2度目の事故の当事者の話)
村ですごしていると、容体が落ち着いたとの連絡があり、おばあさんに話を聞いた関係で友人と話を聞きにいきました。
突然現れたおばあさんに手を引かれ、とてもご高齢とは思えない足取りで儀式の場へ連れていかれました、事故の場所なので嫌がりましたが、抱きかかえられるようにして連れていかれました。
おばあさんは私を中心に座らせると5つの石の上に手を添え何かを念じ対角線になるように回っていきました、それが終わると私の手を取り立ち上がろうとしましたが、例の事故の記憶で激しく抵抗しようとしましたが、体に強く力を入れられないので簡単に立たされてしまいました。
夕日が途絶え、地面から音がしました、青い世界のなかで私は普通に立っていました。
目の前のおばあさんから謝罪を受け抱きしめられました、瞬間、流れる知らない記憶が頭をよぎりました。社会復帰で浦島にならぬよう不自由な間の世の中の事と、少しの幸せの記憶をいただきました。
また当時目隠しをするように社を建てましたが、もう二度と起動しないよう処置したので安心して村で暮らしてほしいと言われました。不自由だった時間が無かったような感覚です、体も子供の頃に様に動かせるし、言葉もスムーズに喋れます。これからは前を向いて生きていけそうですと締めくくりました。
(僕の話)
おばあさんは村で荼毘に付されました、後に到着した娘さんと初めてお会いする女性二人にお葬式の後話があると言われ、出来たら友人と一緒に聞いて欲しいとの事に了承の返事をしました。
友人の家に厄介になり、役所で資料や写真を見せてもらっていると連絡がありました。
(添人)
守人様から言われた通り、あなたに連絡をいれました、事が済んでから村に到着するように時間の調整をしました。これで私の役割が終わりました.、これからは普通の主婦として暮らして行きます。
守人様の娘と同じ苗字同じ名前の私は、実の娘さんの年齢が守人様の外見と違和感が出そうな頃、村長に指示され入れ替わりました、法的な手続き等を代行し不自由なく守人様が暮らして行けるよう守るのが私の使命です。違う年齢の似た名前の女性が他に何人かいましたが私が選ばれて幸せでした。
実の娘さんは離れた町で暮らしているそうです、これがおそらく最後のお勤めになるとの事、私が知る以外の詳しい話は聞けませんでしたが、村に生まれた女の定めと親から聞かされて育ちました。周りの子供たちも同じように育ちましたので自分の番が来た時も特に慌てず事にあたれました。
村長とは連絡を取り合っているので現状は知っています、守人様がお戻りになられ最後の儀式を行ったと聞かされ、これで本当に村は終ったんだと実感しました。過疎となり残っていた人々もそこにいる理由が無くなったため更に過疎化は進むでしょう、とても寂しい気持ちです。
(実の娘の話)
母の外見上の特徴はお気づきになったと思います、村長から昔の写真が見つかったと連絡がありました。すでに編纂室内で共有されており気付いた坊がいると・・。
私は実の娘ですが全然似ていないでしょう?、同じ場所で生活していると私の年齢的外見が母にどんどん追いついていきました、年齢だけでなく母は顔つきも変わりどんどん美しくなっていきました。当然私も村の出身なので掟の教育はされていて、分かってはいるつもりでもとても不思議でした。母の見た目と私の見た目が近づいたとき村長から連絡があり添人を送るので準備するよう言われました、今生の別れではありませんがやはりとても悲しい想いでした。添人に後をお願いし別の街に移り住み、現在もそこで暮らしています。
お二人を呼んだ理由ですが、母から手紙を預かっています。内容は公表して構わないそうです、私たちも異存はありません、守人様が最終的にはお二人にお任せすると仰っておりました。
(守人の手記)
まずお詫びいたします、お二人が横浜へ来た時そこで私はふたつの嘘をついた、ひとつ目は娘と紹介した子は本当の娘ではない。ふたつ目は私が見聞きした話だが、友人が引き継いだのではなく私が当事者だ。の書き出しで始まりました。
あの時私は儀式が私に決まった事を大変喜びました、なぜかと言うと他の家より知っている事が若干ですが多くその内容は女性であれば夢の様なお話でした。
私の親は実の娘が当事者になった事で不安になったようで、伝統の秘密をいろいろ調べはじめました。教職についている為か学校資料や歴史に詳しい人に、人生に一度だけ経験するような儀式を過去に渡って徹底的に調べたそうです。
もちろん守人になる事に反対しているのではなく、親として心配になったのでしょう。
それでも知りえた事は少なく、周知のこと以外に、儀式を行った者は子供の頃に比べ容姿が変わる事、非常に長い時間を生きるようです。容姿が変わると言うのは子供の頃の親に似た部分が消えとても美しく育つそうです、まるで時間がゆっくり進むかのように周りに比べると明らかに老化が遅くなるそうです。この2点だけは調べ上げたようですがもちろん確証は無くその上で、親は私に子供でも分かるように話してくれました。それを聞いた私が憧れるのは当然でしょう。
女に生まれ、美しくなり、年を取らない(誤解)と聞けば候補が私になったと聞いた瞬間、天にも昇る気分で舞い上がってしまいました。
私は私のおばあちゃんと同じ名前でした、そして守人様とも同じ名前です。それで選ばれたようでしたが
本当のところは分かりません。
みんなが見ている中、守人様と5つの石の真ん中に立つと、すぐに夕日が途切れ下から音が聞こえたと思ったら青い世界に1人で立っていました。
すぐ後ろに誰かがいる事に気付くと振り向きました、そこには守人様が立っていました、両手を繋ぎ私の目の前にいたはずなのに、何で後ろに立っていたのか不思議に思っていると抱きしめられました。
すると頭の中へ守人の記憶が流れ込み、圧倒される情報の奔流に押し流されないよう強く足を踏ん張っていました、現在にいたるまでの守人の歴史が共有されました。
目的はただここにいれば良いそうです、人型の媒体として機能するそうです。
儀式の後生活が一変しました、感覚そのものが変化しとても幸福感をえられました、外に漏れ出してるかのような、いや本当に漏れていたのでしょう。私の周辺では争いごとは無く皆笑顔で暮らしていました。
しかしその力は弱く驚くほど減衰してしまったそうです、もう生活の拠点のこの村の範囲しか届かないと言われました。私で最後になるそうです、村が生活の全てであり、私も生涯をかけ村を守る決意でいましたが、長く生き更に力が衰えているのが分かります。
村の中では大事に扱われ結婚は許されませんでした、力の衰えとは対象的に私の容姿は守人様と同じ容姿へ美しく変化して行きました。時代が進み情報が簡単に手に入るようになると外が気になります、力が弱くなった事を口実に私の足は街へ向かうようになりました。
幸せだったが既に人の倍は生き、さらに何年も生きるだろうと思うと流石に、もういいかと思うようになり、死期を早めようと村を出ました。その頃にはすでに村は過疎化しており、私が村を離れるのを咎めるものはいませんでした。それでもたまには村に顔を出し務めは果たしているつもりでした。
街に出てそこで恋をし娘をもうけ街で育てました、世間知らずの私がその後夫とどうなったかは察して下さい。
普通に生きました、村とは完全に関係を切れませんので村長家との連絡は欠かせません、実の娘との容姿が不都合を向かえる頃、今の娘役の添人をあてがわれました。様付けで呼ばれるのには辟易しましたが大変良くしていただいております。
1度目の事故に遭った片は私の友達の妹でした、当時引き継いだばかりの私はただただ混乱し、引き継いだ私の使命との間でその子を助けるという発想にたどりつけませんでした。
2度目の事故の話は知らなかった、やはりあそこに居ないといけなかったのだと後悔しました。
これから村に向かいある儀式を行います、事故にあわれた方に行うので完全とはいかないかもしれないし私も無事で済まないでしょう、彼女に普通の生活が送れるよう願います。
そしてこの儀式を最後にここの機能は失われてしまいます。
守人はこの国にあと4人いるそうです、ただ伝えなくてはならない言葉を宙からいただいたのでここに書き残します。
力が薄れた、備えよ。
この言葉をあなた達に伝えたかった、しかし宙からの思惑は外れ、現代の未成熟な人間に伝えても無意味なようです。
時代が進み情報の伝わりは速くなりましたが軽さを嘆くしかありません、人類の生末を任せる様な事を言われ戸惑いしかないでしょうが、村人として関係性をもつあなた達の生涯を掛け、少しでも先に進めるよう努力して欲しいのです。
どうかよろしくお願いします。
(僕の話)
・・・・・これが、なんの力も発信力も無い僕らが、世に伝えるのに思いついた方法の一つだ。
そして守人様はもう1つ嘘をついている。