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三眼男八災六難恋路敵  作者: いちめ
5/9

二難

 陽Ⅹのことは両親に任せるよりなかった。僕に出来るのは

「うおりゃーッ!!!」

シャカシャカシャッカシャカシャカシャカシャカシャッカシャカシャカシャカシャ…

 自転車で目指すは常本宅。きっと常本は困っている。停電に怯え、空腹に泣く弟妹に囲まれ、途方に暮れているに違いない。今こそ彼女に助けが必要な時だ。背中に「これも持って行きな」自称阪神淡路大震災サバイバリストの婆ちゃんがセレクトしたお役立ちグッズと握り飯の入ったリュック。電話回線が不通なのでアポなしだが、これを届ける位なら僕にだって出来る。住宅街では人がちらほらと表に出ていた。それを横目に表通りへ出て、

「…マジですか…」

 呆気に取られる。確かに随分離れた場所にもクラクションは聞こえていたが、ここまで酷いとは思っていなかった。県道は怖ろしいまでに渋滞していた。車列は僅かも動かない。先に目をやれば、信号が点灯していない。動かぬ筈である。クラクションにクラクションが応える。中には車を置いてゆく気になった者も居るらしく、路肩に寄せられた無人の車両。大型車がこれを避けるのに手間取り、混乱に拍車をかける。電気が来ない、信号システムがトラブルとなれば交通そのものが麻痺してしまうのだ。そして交通が駄目なら流通も滞っているに違いない。これはとんでもない災厄かもしれない。

シャカシャカシャッカシャカシャカシャカシャカシャッカシャカシャカシャカシャ…

 あの記念すべきスーパーを過ぎた。開店時間はとおに過ぎているのに店は照明すらなかった。停電で食べる物がない者も居るだろう。或いは復旧の見込みが立たぬまま買い貯めを考えたのかもしれない。客は列を成している。だが会計しようにもレジが動かせない。冷蔵庫も冷凍庫もダウンして、生鮮食品はじわじわと鮮度が落ちてゆく。店を開ける事は出来ないのだ。店員が客を宥めていた。スーパーに限らない。コンビニも自販機も同じだ。婆ちゃん、正解。今更ながらに常本に食料を届けるというのはいい考えだったと思う。

シャカシャカシャッカシャカシャカシャカシャカシャッカシャカシャカシャカシャ…

 ややも行くと泣きそうな顔をした若い母親に通りかかったサラリーマン風の親父が話しかけていた。母親は背中に一人赤ん坊を背負い、ベビーカーを押していた。そしてもう一人、母親の足元に小学生くらいの子供がべたりと座り込んでいる。三兄弟か。

「…早く病院に行かなきゃ。熱がひどいみたいじゃないか」

 足元の兄が病気なのだ。これが下の子供なら問題はなかったろう。背負うなり、ベビーカーに乗せて運べばいい。だが、他に二人の幼子を連れては一〇代に差し掛かった少年を抱える事は出来ない。少年は意識が朦朧としているのか、へたり込んだままぐらぐらと身体を揺らしていた。

「タクシーが来なくて…」

「呼んであるのね?」

「あんまり来ないので救急車を呼んだんですが…」

 それも来ないのだ。出勤途中らしい親父は頷いて行ってしまう。無理だと思った。渋滞が解消する見込みはない。救急車両の為に車を寄せる事も出来ない程道は混んでいた。更にシステム異常が救急通報システムにまで及んでいる可能性もある…。その脇を通り過ぎた。

シャカシャカシャッカシャカシャカシャカシャカシャッカシャカシャカシャカシャ…

 僕は困っている常本の元へ駆けつけるのだ。彼女が一番に欲している家族の笑顔と安心を取り戻してあげれば、

「ありがとう!三井君!」

 最も困難な時に現れる僕って何て頼りがいのある男だろう。「三井君、ステキ!」とまでは行かないだろうが、「イイ人ね」位は思ってくれるに違いない。そして僕のためにだけあの笑顔を浮かべるのだ。市の反対側からチャリで馳せ参じた僕の思いに今度は気付くかもしれない。今は一刻も早く彼女の元へ…。

 シャカ、シャッカシャ…カ、シャ…。

「…オバちゃん、その子、僕の自転車の後ろに乗せて」

 二〇メートル先で振り返った。ごめん、常本、ちょっと遅れる。どうせ病院の前を通るのである。この母子を置いてゆけば、ハピハピ妄想が現実になった場合に後味が悪い気がするのだ。何より常本はそういうのは好きじゃないだろう。寄り道しても常本は怒るまい。いや、そもそも常本は僕がそちらへ向かっている事すら知らない。

「で、でも…」

 躊躇う母親に

「救急車もタクシーも来ないよ。このひどい渋滞ずっと先まで続いてる」

 座っていられない少年を落とさぬように何かないかとリュックを探る。あった。ガムテープで少年と自分の腰を一緒に巻いた。更にリュックの肩紐を目一杯に出して少年に背負わせた。二人羽織りのようにして僕の腕を通す。これで自転車をこげる。母親は後から付いてくればいい。母親が涙目で何度も頷いた。

「一〇分くらいで着く筈だから」

 その程度の遅延はどうという事はないない。その程度なら。


シャカシャカシャッカシャカシャカシャカシャカシャッカシャカシャカシャカシャ…

 体重が五割増になると流石に市立病院の坂はきつい。背中の少年は熱く荒い息を首筋に吐いている。これは確実に感染した。そんな僕に常本が「ありがとう三井君!」駆け寄ってぎゅうっと抱きついてチュー…なんてことはアリエナイ。常本に伝染させる危険性はまず絶対に確実に〇・一%ない。安心していい。

 病院の正面玄関は車溜まりも正面駐車場も人で溢れかえっていた。

(こんなに混んでるのかよ…)

 驚いた。今朝からの混乱で怪我をした者が居るのだろうか。皆不安そうに玄関を覗き込んでいる。自家発電が稼動したのだろう。照明は灯っているのが見えた。が、この人数の中、背中の少年を列の最後尾に着けるのは不憫だった。そして僕は急いでいるのだ。こんな所で「三井君!」常本が僕を呼ぶ幻聴がする程。

(救急搬入口に回ろう)

 元々救急車で運ぶ予定だったのである。彼方に姿の見えたベビーカーに救急口へ回る事を身振りで示した。片足を跳ね上げるようにして後ろの少年ごと自転車を降りる。ガムテープの威力はすごい。ゲートを通った。が、なぜか人の姿がない。自動ドアを潜っても看護士の一人もいない。そう言えば、救急窓口も無人であった。正面で人手が入用になったのだろうか。首を傾げながら搬入口脇の救急処置室の表示を確認した。そこでも

「ドア閉まってるじゃん…」

 処置室の扉が閉まっているのである。以前来た時には目隠しのカーテンだけだったように思う。閉まったままでは緊急時に都合が悪かろうに、一体どうしたのだろう。構わずドアを引く。手に軽い衝撃が返ってきた。開かない。鍵まで掛かっているのだろうか。

「すいませーん!」

 ノックノック。鉄扉が揺れる。と、「あら、人だわ」看護士が顔を突き出した。僕にも背中の少年にも注意を払わず背後の廊下の先を覗っている。「早く入って!」袖を引かれた。な、何だ?入るとすぐに扉が閉められる。

「で、どうしたの?」

 いや、どうしたのじゃねえ。

「急患です」

 看護士は漸く僕の背中の少年に気付いた。

「いやだ!ここは救急のみなのよ。正面に回ってもらわなきゃ」

「救急車がこの渋滞で動けなくなっているので、背負ってきたんです」

「まずは受付を通してもらわないと」

「そんなこと言ってる場合じゃないんですよ!すごい熱なんですよ」

「そういう問題じゃないのよ!こっちはこっちで他にも患者さんが居るんです!」

 押し問答。奥から他の患者を看ていた医師が寄ってきて背中を覗き込んだ。

「あらら、脱水おこしてるね。そこの椅子でいいから下ろして点滴…」

「先生!規則は規則なんです!」

 看護士が金切り声を上げる。

「どうせここから出られないんだし」

 救急に似つかわしくないとぼけた風の医師である。待てよ?今、何か言ってなかったか?

「んじゃ、こうしよう。この子受け入れるから、君」

 僕?

「表のボット何とかできないか考えてよ」

 はい?首を傾げる僕を尻目に「輸液パックまだあるでしょ?」看護士が溜息。「あとはこれだけですね」彼女も諦めたのか少年ごと体重計に乗せられる。ガムテープを切ってはがし、漸く少年が僕の背中から下ろされた。処置に入ると看護士は早かった。後は僕の出番はない。任務完了…じゃなくて、何か言ってたよね。…デラレナイ?

「あのー、さっきボットが何とか…」

 言いかけた時だった。

 ぐワガガガガガシャッッッ!!!

 車が衝突した様な轟音。処置室の鉄扉がひしゃげるほどの衝撃に看護士が身をちぢこませ、僕は飛び上がった。

「な、なななななな何ですか!」

 動じないのは医師と意識のない患者だけ。

「うーん、朝からボットが暴走しちゃっててね。フロアに出られないのよ」

 ボットが?暴走?耳を疑った。ボットは物資運搬用の自走式ロボットカートだ。病院内でも検体、薬品類や病院食、リネン類の運搬にはボットを使う。

「ボットが暴走?ないでしょ、そんな事!」

 自走式ボットはどんなものであれ、対物対人回避は基本機能である。二重三重の安全装置が付いている筈で、視覚センサーの他にも対ショックセンサーが…

 ガリッ、ガリガガガガガッガリガリガリガリッ

 役に立ってない。壁を擦る金属音は一旦途切れて、

「ないはずの事が起こってるから困ってるのよね」

 ガッガリガリガリガガッガガがッガッガガリッ

 …うちの掃除機も暴走してたっけ。カートの大きさでは当に走る凶器。

「壁だろうが人だろうが見境なくてね。フロアに出られないのよ」

 正面玄関の人達は暴走するボットに待合室を追い出されたのだ。

「君が入ってこれた方が奇跡的なのよね」

「…緊急停止スイッチは?」

「リモート操作は受け付けない。主電源は底面なんだ。通常使用しないからね」

「…元々のボットの操作は音声入力ですか?」

「ああ、それも受け付けないがね。操作液晶も付いてはいるんだが、その入力も受け付けない。勇気あるナースが飛び乗ってチャレンジしたが振り落とされた」

 策は尽きていた。メンテナンスを待つしかない。それを何とかする方法を僕に考えろって?常本は「三井君、こんな時に私の事を思い出してくれるなんて…」感激してしまったりするのだ。「大した事じゃないよ」その顔を正面から見返す事はできそうにないけれど、その距離は確実に縮まる。それには迅速さが重要だ。混乱が終息してからでは遅い。ここまで病人を運んできただけでも十分だろう?ベットに横たわった患者が呻いた。フロアに出る事が出来ぬので処置室のベットは満床だった。僕が連れてきた少年は長椅子に横たえられている。そしてこれからも患者は病院へ駆け込んでくるのだ。この混乱がいつ終息するか誰にも分からず、病気や怪我は一秒だって待ってくれない…。必要なときに必要な事を。必要とされたい場所でないのならば「その時」って奴は意外と頻繁なのだ。何か泣きたい。

「…ボットに病院内の地図はインストールされているんですか?」

「いや、ホストが位置管理して動かしている」

 カートボットのサイズでは床下収納に放り込む事はできない。リュックを開ける。婆ちゃんのお役立ちグッズ。その威力は経験済みのアルミホイルとガムテープを取り出す。

「ボット、止めてきます」

 看護士も医師も顔を上げた。

「ちょ、ちょっと、ちょっと、考えってってあれは…」

 細く開けた鉄扉をすり抜ける。居た。廊下の向こうから。結構なスピードでボットが走ってきた。背丈は腰ほど。中段が棚、上は柵の付いた荷台になった楕円筒型のスタンダードタイプ。入力用のマイクと液晶が前面に、足回りにぐるりと一周アクリルカバーが廻っていた。視覚カメラのカバーだろう。六方にカメラを配置して三六〇度網羅しているはず。天井に目を向ける。

「あった」

 照明と照明の間にホストからの命令を送信するポート。複数のボットが一時に全て故障すると言う事はまずない。ならばボットが壁面や扉の構造物にぶつかるのはホストから間違った位置データを与えられているからだと考えた。視覚センサーも同様か機能がオフになっている。だが複数ある天井のポートを塞ぐのは無理だ。予め待合室の椅子に乗って準備。横を通った瞬間に飛び乗った。

「お!」

 急にボットが方向転換して振り落とされそうになる。

「僕が悪かった!戻って来い!」

 処置室の鉄扉の隙間から医師が叫んだ。遅いッス。ボットは陽Ⅹ程賢くない。位置情報と視覚センサー情報が共に無くなればボットは判断ができなくなると踏んだ。そこでボットが暴走するのか機能停止するのかは賭けだ。元々暴走しているのである。悪い賭けじゃない。こいつが受け側のポートだろうという黒いアクリルカバーを手で塞ぐ。ブブッとボットが震えた。いける。両足を柵に引っ掛けて掴まりながらキーパッド全体にアルミホイルを貼り付けた。飛び降りる。さらに、ガムテープでボットの足元にめぐらされた視覚センサーも塞いだ。ボットは逡巡するようにブブブブブブブブブブブッッ…と震えて停まった。

「ヨッシャ!」

 小さくガッツポーズ。停まったボットの底を探って電源スイッチ自体を切る。

「ポートをアルミホイルで覆ってから、底面の電源を落とす!」

 処置室に叫ぶ。首を突き出した医師がオオッ!と喜びを露にする。

「じゃあ、僕、行きます!」

 常本が待っている。なんていうのはちょっとばかり甘かったと後で知る。

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