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三眼男八災六難恋路敵  作者: いちめ
2/9

困難

 陽Ⅹは普通のパーソナルナビではない。そして確実に普通ではないのは僕の家庭だ。母は人工知能の研究者で、父はそのシステムエンジニア。単なる職場結婚で済めば良かったのに、何かの専門家という奴は往々にして常識に欠ける。母は僕ができて産休を取る時にAIを一緒に育てようと考えてしまったのである。人間は生後間もなくから微笑まれ、話しかけられ、感じ、真似て、失敗を繰り返して人間になる。腹が減ったり、オムツが濡れて不快さに泣けば、親が現れてそれを払拭する。やがて他者の存在が快に繋がり、表情を真似て、身体の動きや言葉を学び、物の仕組みを知り、善悪の基準を得て社会の一員となる。AIが人間のようにならぬのはその絶対的な経験の差なのだ。誰も機械を人間と同じ様に育てる事はしてこなかった。そいつをやってしまおうと考えたのが僕の母であり、システム的に作り上げてしまったのが僕の父である。育成するAIに敢えて僕と同じ名前をつける事で同一視を図り、僕とAIを一緒に育てた。一人育てるのも二人育てるのも手間は一緒だ。

 一緒なのは名前だけではない。陽Ⅹに最初から与えられていたのは快不快回路と学習意欲のみ。人間の道具としての基本ルール、かのロボット三原則すら与えられなかった。与えられたのは僕が見て、聞いて、感じたあらゆる情報。そう。僕の額のデキモノは陽Ⅹの視覚カメラなのである。ほかに血中ホルモン、脳波及び酸素消費量の測定機器を僕に埋め込んだのは生後三ヶ月頃の話だ。埋め込まれたのはセンサー類だけで、情報を処理する陽Ⅹの脳、即ち本体は別。両親の勤める研究室のマシンの一部が専用回線を通じて我が家の二階にも出張してきていて、視覚、聴覚、主だった感情の波と言ったデータが無線でそこへ送られる。そのようにして僕の感じる快を快とし、僕の感じる不快を不快として陽Ⅹは人間になる事を学んだ。子供が夜鳴きをするのと同じで、夜中にいきなり大音量で喋りだしたり、自分のシステムプログラムを勝手に書き換えるなどのイタズラもやってのけたらしい。同じ経験をして同じ様に感じていた時期は過ぎて、記憶力や情報処理能力、寝ないで済む利点に僕が適うわけもなく、学齢前までに僕は陽Ⅹに追い越された。確かに陽Ⅹは怖ろしく人間的に育った。自立的に思考し、人間性を獲得した、即ちブレイクスルーに達したAIなのだろう、多分。陽Ⅹ公開の日は近い。だけど。そもそもの話、センサー類に害はないが、手術をもって我が子の身体にそれらを埋め込もうと思いつき、さらに実行してしまう親は明らかに一般的ではない。それが法律に適った行為なのかどうか、僕は未だに調べる事が出来ないでいる。怖くて。さて、ここで問題です。果たして僕が生まれたついでにAIを育てようとしたのか、AIを人間のように育てるために僕が生まれたのか。システム開発の段階が偶然に僕の誕生時期に合致する確率は如何程な物だろう。だから今日も空は青い。


「婆ちゃん、大門の和菓子買ってきた」

 玄関脇の和室をあけると婆ちゃんが炬燵に入っていた。僕にセンサー類を取り付けるのに猛反対した両の祖父母とは長く縁が切れていたが、母方の祖母は一昨年に爺さんが死んでから同居するようになった。関節炎で右手が不自由なので一人にしておけなかったからだ。いきなりババアが増えるのってどうよ?と思っていたけれど、陽Ⅹがこれを喜んだ。婆ちゃんは難解な比喩表現を使う。「含蓄のある会話だ。長生きしてる人間は違うな」人間同士のコミュニケーションにはまだ戸惑う事も多い陽Ⅹには学習意欲をそそられるのだろう。何故僕までが婆ちゃんの部屋に顔を出すのかといえば、婆ちゃんがこの和室と一階の風呂トイレ以外に足を踏み入れる事はないからであり、スピーカーからの声だけだと「話があるなら顔を見せな」無視されるからだ。その理由は孫とAIを一緒に育てたからではない。この婆ちゃん、今の時代に生きてゆけるのが不思議なほどアナクロで、あらゆる新規な物に拒絶反応を示すのである。娘である母がAIの研究などという最先端技術に関わるのはきっとその反動だろう。同居に際しては母との家電を廻る壮絶なバトルの末、国境が定められて休戦協定が結ばれた。だから喋る機械などもってのほか。誰が何と言おうと頑として「アタシの孫は一人だよ」陽Ⅹの存在を認識しないのである。家事にかける時間のない母が最新家電とホームシステムで管理している我が家に良く同居できた物だと思う。

「関節炎の具合はどうよ」

 スピーカーから陽Ⅹの声。だが、婆ちゃんは僕が声色を変えて喋っていると決め付けている。あんたの孫は腹話術師か。

「西じゃ豪雨らしいから、明日はダメだろうね。お茶いれるかい?」

 陽Ⅹについての事実を指摘しても無駄なので、黙って炬燵に足を入れる。出されたお茶で掌を暖めた。地上波のみのテレビ(BSすらなしネットは況やおや)は再放送だろう、音楽番組が付けっぱなしになっていた。この部屋のテレビのリモコンはボタンの少ない物を別に購入した。番組の再生録画も出来るのに、電源とチャンネル以外のボタンが使用される事はないからだ。サイズだってリビングの物より二回りも小さい。だけどここでこうしてぼんやりとテレビを眺めるのは僕も嫌いじゃなかった。ジンワリとつま先が温まってゆく。

「何かあったんだろ」

 あると言えば慢性的にあるし、ないと言えばないのだけれど。アナクロを通り越して神がかり的に鋭い所があるババアだ。きっとその非合理的整合性に陽Ⅹはシビれるのだろう。

「…なんて言うかなぁ…自分の事を理解されてないって言うかさぁ…自分を表現し切れてないって言うのかさ、フラストレーションがたまるのよね」

 何故か応えたのは陽Ⅹ。開発段階で非公開と言うだけでなく、おそらくはセンサーが拾ってしまう僕の低迷感だとか憂鬱感に説明を付けたいのだろう。以心伝心ではないが、僕を代弁されているようで余計に滅入る。婆ちゃんが言った。

「見てごらんよ」

 顔はテレビを向いたまま。コンサート会場からの中継だろう、画面では最近人気のロックグループがパフォーマンスを行っていた。これの何を見ろと言うか。

「皆腹が減ってしょうがないって顔をしてる」

 その意味は僕にも分からなかった。

「ウロウロしている奴ばっかりだ。この歌い手さんじゃなくて聞いてる客の方だよ」

 恋と自分探しの歌。客も普通に見えた。「楽しそうだけど?」陽Ⅹが聞き返した。

「必死で楽しんでる。楽しんでいなければ自分が迷子になっているのに気付いてしまうからね」

 ああ…と思った。

「お前のそれだよ。自分が何処にいるのか分からない」

 お気に入りのファッション、イチ推しミュージシャン、フォローしてるチューバ―、好きな物をアップし続けるSNS。一杯に自分を飾って、これが自分だって叫んでいるのに、誰にも分かって貰えない気がする。同じ場所にいて自分を語りつくしてもまだ理解しあえない。何が足りない?何処に行けばいい?自分が何者かわからなくて必死なのだ。僕もその一人。僕は迷子だ。自分はこれという何か特別な物があればそんな声を聞かなくて済むのではないか。そんな事ばかり考えている。婆ちゃんは言った。

「自分らしさなんてのはどうでもいい話さ。年若のうちに自分がこれだなんてのを持ってる奴はホンの一握りだよ。そう思っていても勘違いだったって事もあるしね」

 陽Ⅹは黙っていた。

「本当はね」

 茶をすする。

「自分はここにいる。それだけでいいんだ」

 ここにいる…か。思案する僕に婆ちゃんは言い添えた。

「居場所ってのはね、場所じゃないんだ。家だとか学校だとかじゃなくてね。あれが出来る、これが得意なんて能力でもない」

 婆ちゃんが僕の目を覗き込む。

「人の中に在るんだよ」

 婆ちゃんは陽ⅩがAIで僕と同居している事を知らない級友とは違う。当たり前のように僕と陽Ⅹを同列に扱う両親とも違う。ここでは僕はただ孫であればいい。それがこの炬燵の居心地がいい理由。僕は苦笑いして見せる。僕は何かで特別になりたかったのではなく、誰かの特別になりたかったのだ。陽Ⅹのオマケではなく。

「わッかんねーよ」

 陽Ⅹが喚いた。婆ちゃんは頷く。

「そこに居るって事はね。その場所を知るって事さ。よく見て、聞いて、必要な時に必要な事をするって事さ。何が必要かは良く見てりゃ分かる。分からないのは見てないからさ。必要な事をやっていれば、どんな奴でもそこを自分の場所に出来る」

 必要な時に必要な事を。ではそれが出来て、何処にいても居場所が持てる奴ってどんな奴なのだろう。例えば誰?クラスメートの顔を思い浮かべる。夫々の能力で目立つ奴は居るけれど、そうではなくて…ああ、いたいた。何処にいても自然体で変わらぬあの子。居場所があるとはそういう事なのかもしれない。脳裏を過ぎった笑顔に勝手に狼狽する僕を他所に陽Ⅹが言った。

「じゃあ、婆ちゃんはどうなのさ」

 婆ちゃんにはここに、この家に居場所はあるのかと。これまでの言葉に含まれた意味を理解できなかった陽Ⅹは辛辣だった。機械音痴の婆ちゃんの同居は当初混乱を極めた。クッキングヒーターを罵り、自走式掃除機に怯え、オーブンレンジを破壊しそうになり、風呂掃除をするスクラビングワームを残らずゴミ袋に詰めた。今では炊事は夫々別。婆ちゃんは和室にミニキッチンを増設し、更にカセットコンロを持ち込むことで勝手にやっている。長年音信不通だったという事は、僕の家族は婆ちゃん無しでもやっているけるという事なのだ。それでも尚、僕達家族の中に居場所はあるのかと陽Ⅹは指摘したのだ。いまや何者でもないババアに何者でもない迷子の僕はかける言葉がなかった。だが婆ちゃんはニヤリと笑って続けた。

「その時が来たら分かるさ」

 今はまだ時にあらずと。

「その時ね…」

 婆ちゃんにそんな時が来るのだろうか。僕にそんな時が来るのだろうか。

「俺、婆ちゃんのそんなトコ見てみたいな」

 ああ、僕もそう思う。


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